第1432日目 〈創世記第26章2/2:〈イサクとアビメレクの契約〉&〈エサウの妻〉with『ONE PIECE』TVシリーズ、第1話からリピート放送スタート!〉 [創世記]

 創世記第26章2/2です。

 創26:26-33〈イサクとアビメレクの契約〉
 或る日、従者を伴ったアビメレクがイサクを訪ねてきた。かれらを迎えてイサクは、どうして憎んで追い出したわたしのところへなど来たのですか、と問うた。
 主があなたと共にいることがよくわかったからです、とアビメレクが答えた。そこで提案なのですが、われらは誓約を交わし、契約を結ぼうではありませんか。われらがあなたになんの危害も加えず送り出したのと同じように、あなたもわれらに如何なる害も与えないでください。イサクよ、あなたは確かに、主に祝福された方です。
 イサクはアビメレクの提案を受け入れ、祝宴を催した。翌る日の未明、アビメレクとその一行はイサクに見送られて、やすらかに去っていった。
 同じ日、井戸を掘っていた僕たちが帰ってきて、イサクに報告した。水が出ました。その井戸はシブア(誓い)と名附けられた。それゆえにこの井戸を擁す町はベエル・シェバ(誓いの井戸)と呼ばれて今日に至っている。

 創26:34-35〈エサウの妻〉
 イサクの長男エサウは、ヘト人の娘ユディトとバセマトの2人を妻とした。
 2人の嫁はイサク夫妻にとって頭痛の種、悩みの種となった。

 創21に続いてベエル・シェバの名の由来が語られます。いずれの場合もアビメレク王が訪ねてきて、その場で誓いを交わしあった場面であるのが面白いところです。
 しかし、由来となるとどうでしょう。2つの章で述べられることが異なるのにお気附きでしょうか。ベエル・シェバとは創21では「7つの井戸」の意味であり、創26では「誓いの井戸」であります。
 時間の流れるなかで語義が変化したのだろうか。アブラハムの時代には創21であったものがイサクの時代には創26となった、と? この間、正確にどれだけの歳月が流れたかわかりませんが、語義の変化は時代や地域によって非常に早い場合があるという。ベエル・シェバの由来の一件も同じ理由なのかも知れません。
 或いは聖書に書かれなかっただけで、「シェバ」には「7つ」の他にもともと「誓い」の意味があったとか? このあたり、ヘブライ語の専門家に尋ねてみたいことであります。
 もう一つ。
 エサウが迎えた2人のカナンの娘が、イサク夫妻にとってどう頭痛の種、悩みの種となったのかはわかりません。が、想像は容易につきます。カナンの娘を嫁に迎えるな、との言い付けが守られなかったが、いちばんの原因でありましょう。その警告は第24章〈イサクとリベカの結婚〉で出されております。
 神の民は異教の娘を娶るな。エサウはそれを敢えて破った。イサク夫妻にとって異教の娘の闖入は悩ましきことであり、自分たちの慣習から外れたカナンの民の振る舞い、行いに翻弄されたがため、夫妻には2人の嫁が「悩みの種」となったのであろう、と推察される。また、これゆえにリベカは後にヤコブの嫁に同胞の娘を選ぶよう夫に働きかけるのであります(創27:46)。



 TSUTAYAのアニメ・コーナーの前に立つたび、いつも迷うこと――『ONE PIECE』のDVDを最初から借りて、ウォーターセブン編まで視聴してしまおうか。でも結局やめてしまう。怯んでしまうのだ。このまま第1話から観ることは叶わぬ望みなのだろう。そう思って諦めて、改めてCS放送で魚人島編を終えて新世界編を観始めたわたくし。
 が、なにを血迷うたか、今月に入ってフジテレビTWOは『ONE PIECE』TVシリーズをイーストブルー編から改めてスタートしてくれたのだ。問題は概ね解決された。あとは時間を作って、夜中に録画した分を滞りなく消化してゆくことを心掛ければよい。仕事もブログもお出掛けも読書も映画も演奏会もお食事会も飲みもあって忙しいけれど、なんとかなる。ちなみにただいまWOWOWでは劇場版『ONE PIECE』全作を放送中。いったいなにが起こっているのだ?
 とはいえ、問題点が一つ。果たして第1話より放送が始まった『ONE PIECE』はぶじに、少なくともウォーターセブン/エニエス・ロビー編まで辿り着いてくれるのか? 途中で他のエピソードに、或いは中断の憂き目に遭わないだろうか? かつてAXNにて『LOST』が同じ目に遭っているだけに心配は尽きることがない。その点のみ心のずっと奥底で不安を覚えつつ、『ONE PIECE』を視聴中のわたくしであります。◆

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