第1449日目 〈創世記第34章:〈シケムでの出来事〉withどうしてベローチェって、……〉 [創世記]

 創世記第34章です。

 創34:1-31〈シケムでの出来事〉
 町の首長であるレビ人ハモルの息子シケムは、偶々町に用あってやって来たヤコブの娘ディナに情欲を抱き、これを辱めた。が、かれは彼女を真剣に愛した。妻にしたい、と願った。それがため、シケムは父と共にヤコブの天幕に行き、ディナを嫁に欲しい、と頼んだ。
 ハモルがヤコブに、息子とあなたの娘を夫婦にしてわれらは縁者となりましょう、といった。あなた方にわれらの土地の一部を差しあげます、自由に使ってください、とも。
 シケムはヤコブにいった。あなた方の望むものを差しあげますから、お嬢さんをわたしの妻にください。
 ――そのときヤコブはなんの返事もしなかった。かれの息子たちが皆狩りに出掛けていたからである。戻ってきたかれの息子たちは父から話を聞いて憤怒した。
 かれらは町へ行き、ハモルとシケムに会って、いった。割礼を受けていない男に妹を嫁にやるわけにはいかない。あなたはもちろん、町の男子は皆が皆、割礼を受けて、われらと同じようになってほしい。そうすればわれらは町の娘を娶り、一つの民となることができましょう。町の男子が皆割礼を受けること、この条件に同意されるなら、われらはこの町から立ち去ります。
 ハモル父子はこれを良い提案と思った。「とくにシケムは、ヤコブの娘を愛していたので、ためらわず実行することにした。」(創34:19)
 町の人々を集めた前でハモルがいった。ヤコブとその家族はなかなか信頼できるひとたちだ。かれらの提案を受け容れ、男子はみんな割礼しようではないか。そうすればわれらはかれらと同じになり、かれらの家畜の群れも財産もすべてわれらのものとなる。われらはただ、ヤコブの息子たちが出した条件に同意さえすればよいのだ。
 こういう次第で町の男子は皆、割礼を受けた。
 が、割礼の傷の痛みがまだ消えぬ3日目のこと。ヤコブの息子シメオンとレビは剣を持って町に入り、殆ど抵抗されることもなく男たちを殺した。ハモルとシケムも例外ではなかった。シメオンとレビは女と子供をすべて捕虜とし、町のなかのものも、野にあるものも、家のなかにあるものも、すべて略奪した。かれらはディナをシケムの家から連れ戻して家に帰った。
 ……これを聞いたヤコブは、なんということをしたのか、といった。これでわれらはカナンの人々から憎まれるようになった、少人数ゆえに攻められたら滅ぼされてしまう。
 が、シメオンとレビは、ではわたしたちの妹が娼婦のように使われてもよいのですか、と反駁するのだった。

 果たしてどちらが悪いのだろう。ディナを凌辱したシケムと、その復讐に町を滅ぼし略奪した兄弟と。シケムは行為のあとでディナを愛する自分に気附き、悔いて改めて妻に迎えようと誠意を見せた。が、その誠意が実って始まったディナとの生活はあっという間に終わった。
 妹が辱めを受けたことに対する報復とはいえ、シメオンとレビはちょっとやり過ぎなのではないか。精々がハモルとシケムを殺せばよいものを、どうして割礼の傷の痛みで満足に動けない男子皆を剣に掛け、捕虜を作り、町のものや野のもの、家のものすべてを略奪する必要があったのか。もし強姦ゆえにシケムが糾弾されるなら、シメオンとレビも同じかそれ以上に弾劾されて然るべきであろう。
 肉から始まる愛もある。今日に於いても古代に於いても然り、ならばシケムの行為はその悔い改めゆえに限りなく<否>に近い<是>であったのではないか。むろん、それを容認する意見に与する者ではないことは、これまで本ブログをお読みくださってきた人々にはご理解いただけよう。

 予感でしかないが、これはけっして<復活>ではない。睡眠時間を減らしてでも、本ブログを更新しなくてはならない理由がある。それだけの話です。



 どうしてベローチェってあんなにカウンター内がうるさいのだろう? 皿を重ねたりマグカップを置いたりする音を、まるで店内の隅々にまで響き渡らせることがわれらがステータス、とでもいわんばかりの騒々しさだ。それともそれは店に30分以上いる客たちへの威嚇行為なのかな。
 もちろん、これは横浜市内にある某オフィスタワー1階に入っているベローチェの話。わたくしのベローチェ・デヴューであった田町や伊勢佐木モール入り口の店舗、或いはアルバイトが終わったあと神保町の古本屋街を彷徨したあとで寄る駿河台のヴェローチェは、なかなか快適であった、と記憶する。願わくばこの記憶が事実で、いまでも当時の印象が保たれている店舗でありますように。
 そういえば駿河台にあった地下のシャノアールがなくなってずいぶんになりますね。淋しいものです。◆

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