第1450日目 〈創世記第35章1/2:〈再びベテルへ〉withノートの方法を変えています。〉 [創世記]

 創世記第35章1/2です。

 創35:1-15〈再びベテルへ〉
 神の言葉に従ってヤコブたちはベテルへ向かった。かつてその地であなたのために現れた神のための祭壇を築きなさい、と神はヤコブにいった。それに伴ってヤコブは家族と一緒にいるすべての人々に、われらは皆、衣服を改め身を清め、身に付けている外国の神々を取り去ろう、といった。わたしヤコブはその地に苦難のときに一緒にいてくれた神のための祭壇を造る。
 人々はいわれたとおり、身に付けていた外国の神々を取り去り、シケムの近くの樫の木の下にそれを埋めた。かれらはシケム近郊に張っていた天幕を畳み、そこを発ってベテル目指して南へ進んだ。主の威光が途中の町の人々を恐れさせたので、ヤコブ一行は誰にも襲われることがなかった。
 かれらはカナン地方を南下し、かつてはルズという名のベテルへ着いた。リベカの乳母デボラが死んで埋葬されたのは、ベテルの下手にある樫の木の下である。そこがアロン・バクト(「嘆きの樫の木」)と呼ばれる由縁である。彼女はヤコブの家族から深く愛され、篤く敬われていた。
 ヤコブがパダン・アラム/ハランから帰ってきたことを神は喜んだ。神はかれを祝福して、いった。曰く、――
 「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる。(中略)/わたしは全能の神である。/産めよ、増えよ。/あなたから/一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり/あなたの腰から王たちが出る。/わたしは、アブラハムとイサクに与えた土地を/あなたに与える。/また、あなたに続く子孫にこの土地を与える。」(創34:10-12)
――神はそういって、その場所を離れ、昇って行った。
 ヤコブはその場所に、石の柱で記念碑を立てた。そこにぶどう酒を注ぎ、油を注いだ。神が自分に語ったその場所を、かれはベテル(「神の家」)と名附けた。

 シケムを出発するにあたって、ヤコブは外国の神々を象った像や装身具の一切を捨てることを人々に呼び掛けました。これから自分をこれまで守ってきてくれた神の縁の土地へ入ること、既に神が祖父と父に与えると約束したばかりでなく自分とその子孫にまで与えるといった土地を進んでゆく以上、それは絶対に必要な行動であった。
 汚れなき身で神の守護を得ながら、縁の地ベテルへ進んでゆくことはヤコブにとって、満ち足りた気持ちを保ったまま帰るべき地へ帰ってきたという自信と誇りであったろう。
 おそらく、ハランを発つ際ラケルが父の家から盗み出した家の守り神の像も、このとき樫の木の下に埋められたものと思われます。
 乳母デボラの名はここが初出ですが、既にその存在は創24:59にイサクの妻リベカの乳母として登場します。彼女はリベカ没後ヤコブの家に仕えて、推測の域を出ませんがハランへの逃亡に動向したのかもしれません。埋葬地に斯様な名が付けられ、殆ど唐突な言及のされ方などから、デボラはヤコブの家の人たちから愛されていたのでしょうね。



 一日のブログの文字数が「創世記」に入った途端、多くなっていることにお気付きと思います。情報量の多さといってしまえば聞こえはいいが、自分のノート力の低下にその原因があるのかもしれない。
 これまで本ブログの原稿は、まず無印良品のリングノートに書かれました。そのあと100円ショップで買うA5サイズのノートに推敲した上で、ワープロソフトを用いて清書され、午前2時の定時更新と相成っていました。
 が、現在はそうではないのだ。12小預言書の後半あたりからだが、無印良品のリングノートへ下書きを書いたあと、すぐにノートPCでの清書に取り掛かる。
 文章の量が増えたりしたのは途中のワン・クッションがなくなったことで、文章の推敲に多くの時間を割けなくなったためかもしれない。本来のやり方の方がより良いものが出来るとわかっているのだが……。
 現在の手法で良くなれるのならば、それに越したことはない。下書きの段階で限りなく決定稿に近い文章にしておけばいいだけの話だもの。しかしそれがまた難しいことも限りなく事実である。困ったものだね。◆

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