第1468日目 〈創世記第49章:〈ヤコブの祝福〉&〈ヤコブの死〉with道の上に墓標を見ること〉 [創世記]

 創世記第49章です。

 創49:1-28〈ヤコブの祝福〉
 いよいよ臨終というとき、ヤコブは息子たちを呼び集めた。そうして一人一人に、後の日にかれらに起こることを語って聞かせた。
 ルベンには父に隠れて犯した罪ゆえに長子の特権を失うことを、ユダにはかれの家系から王が生まれメシヤが到来することを、ヨセフには民族の誉れが与えられることを。
 ルベンよ、「お前は水のように奔放で/長子の誉れを失う。/お前は父の寝台に上った。/あのとき、父の寝台に上り/それを汚した。」(創49:4)
 ユダよ、「あなたは兄弟たちにたたえられる。/あなたの手は敵の首を押さえ/父の子たちはあなたを伏し拝む。/(中略)/王笏(おうしやく)はユダから離れず/統治の杖は足の間から離れない。/ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。」(創49:8、10)
 ヨセフは泉の畔で実を結ぶ若木。敵はあなたに矢を射て追いかけてくる。が、あなたの弓は弛(たる)むことなく相手を射て討つ。ヤコブ(イスラエル)の勇者の手によりそれは成されて、かれはイスラエルの石となり、イスラエルの牧者となった。
 「どうか、あなたの父の神があなたを助け/全能者によってあなたは祝福を受けるように。/(中略)/これらの祝福がヨセフの頭の上にあり/兄弟たちから選ばれた者の頭にあるように。」(創48:25-26)

 創49:29-33〈ヤコブの死〉
 そのあと、ヤコブは集まった息子たちに、埋葬地について命じた。それは前(さき)にヨセフ一人にしたのと同じ内容であった。曰く、――
 わたしが死んだら遺体はカナンの地に埋めてほしい。そこが主の約束された永遠の所有地なのだから。マムレの前のマクペラの畑にある洞穴がわれらの墓所だ。そこは祖父アブラハムがヘト人エフロンから買い取った場所。アブラハムは妻サラ共々そこに埋葬されている。父イサクと母リベカも、わが妻レアも、その洞穴に眠っている。そこはわれらイスラエルの墓所である。
 ――ヤコブは息子たちへそう命じて、息を引き取った。

 〈ヤコブの祝福〉では、トピックとなる3人しか取り挙げませんでしたが、むろん、他の息子たちについてもそれぞれ語られております。ヤコブはかれら全員に対して、「おのおのにふさわしい祝福をもって祝福した」(創48:28)のでした。
 シロと聞けば、既に旧約聖書を最後の書物まで読んできた者の脳裏へいの一番に思い浮かぶのは、やはり地名としてのシロであります。が、もちろんここでいうシロは地名ではありません。ここでの「シロ」はむしろ人名に部類されるもので、本文にも反映させたように「メシヤ」的存在を指すとのことであります。ユダの家系からボアズが出てダビデが出、その遠い未来に大工ヨセフが出てイエスが出る。「王笏はユダから離れず」という点を併せて考えれば、「シロ」の意味も自ずと明らかになるものと思います。



 本章の原稿をノートからPCへ写すにあたって読み直したところ、どうにも未熟なものと思えてならず、気分を新たに本日改稿。本日というのは11月25日夜。即ち、宵刻より風邪が出て雨が降ると予報されていた日、さんさんかは風邪が治らず会社を休んでゆっくり養生していた日のことだ。
 この日、神奈川県東部地方に暴風警報が出た。さんさんかの住む西部地方に於いても暴風はその勢いを強うし、雨は弾丸の如く家の屋根に叩きつけることがあった。夜更け、ふと目が覚めて用を足し、窓から外を見れば、黒ずんだアスファルトを背景に紅葉した木の葉が散り敷き詰められている。
 それは名を成さぬまま中途で死んでいった人々の墓標と映った。25年前のこの日の未明に逝った婚約者の墓標、9.11でなにもわからぬままこの世との縁を断ち切られた2人の友の墓標、先達て交通事故で意識戻らぬまま不帰の人となった恩ある人の墓標。あといったいどれだけの大切な人々を奪えば神は気が済むのだろう。酷さこそが愛とでも? ――ふざけるな。
 これを書いているいま、外は静かだ。わたくしの心も静かだ。が、それは静穏とは程遠い。もっとどろどろしていて、負の感情渦巻く暗い情念が支配する静けさ。それの縁者を狂気という。それはさんさんかがいつ囚われるかと不安になり、恐怖するものである。いや、正気を保って生きていること自体が狂気なのかもしれないけれど。◆

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