第1474日目 〈出エジプト記第1章:〈エジプトでのイスラエル人〉、〈男児殺害の命令〉&〈モーセの生い立ち〉with久しぶりかな、こんな年末は。〉 [出エジプト記]

 出エジプト記第1章と第2章2/2です。

 出1:1-14〈エジプトでのイスラエル人〉
 エジプトに生活の場を移したヤコブの子らは、結婚して家族を持った。かれらの子孫は世代を重ねるごとに数と力を増してゆき、エジプト国中にあふれた。
 その頃、宰相ヨセフを知らぬファラオが即位している。王は国民へ警告した。寄留者ヘブライ人はあまりに数が増え、強力になりすぎた。これ以上かれらを増加させるな。もし外国と戦争になったら、ヘブライ人はそれに乗じてエジプトを乗っ取るかもしれない。
 そこでエジプト人は強制労働の監督役を置き、イスラエル人に数々の重労働を課した。生活を脅かす程、過酷で熾烈なものであった。かれらが建てた町に、ファラオの物資貯蔵を目的としたピトムとラメセスがある。
 が、イスラエル人の人口は増える一方で、エジプト人をますます嫌悪させた。

 出1:15-21〈男児殺害の命令〉
 とはいえ、エジプト国民はファラオよりもイスラエルの神を畏れた。新しく生まれたヘブライ人の男児は生かさず殺めよ――このファラオの命令に背き、ヘブライ人の新生児皆を生かしたのはエジプト人の助産婦シフラとプアである。
 事態を知ったファラオが2人を呼び出して、どうしてわたしの命令を実行しないのか、と詰問した。彼女らはそれに答えて、ヘブライ人の妊婦はわたしたちエジプト人の妊婦と違って、助産婦が駆けつける前にお産を済ませてしまうのです、と。――エジプトのイスラエル人はこうして人口を増やしていった。
 神は彼女らに恵みを与えて、子宝に恵まれるよう配慮した。というのも、シフラとプアが自分たちの王ファラオではなくイスラエルの神を畏れ、尊んだからである。

 出1:22-2:10〈モーセの生い立ち〉
 新しく生まれたヘブライ人の男児は皆残らず殺せ、但し女の子は生かしておいてよい。――ファラオは改めて国中に命令した。
 ――その頃、レビ族の族長の一人に男児が生まれた。その子は生まれて3ヶ月間は隠れて育てられたが、いよいよ隠しきれなくなった或る日、パピルスの籠に乗せられてナイル河畔の葦の茂みの間に置かれ、折しも水浴びにやって来たファラオの王女に保護される。
 その様子を見ていた男児の姉の進言によりイスラエル人の乳母、実は男児の母が連れてこられた。王女の命令により男児は、乳母を必要とする間は実母の許で、成長してからは王女の養子として宮廷にて育てられる。
 男児は王女によりモーセと名附けられた。ナイル川のなかから王女自身が引き上げた(マーシヤー)、という謂われからである。

 「そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。」(新約聖書「使徒言行録」7:22)

 モーセには兄アロンがいたことがわかっています。が、本章でモーセは両親の第一子と紹介される。おそらくモーセ誕生がトピックとして扱われるため、それを踏まえての恣意的な改変と思われますが、それでも疑問が一つ残る。
 モーセはエジプト人の目を避けて育てられ、それが出来ぬとわかると逃がされた。では――兄アロンは如何にしてエジプトの目を逃れ、成長したのだろう。それとも、アロンが生まれ育った時代は、まだファラオの命令が出されていなかったのか?
 イスラエル人が建てた町の一つ、ラメセスは、創47:11に出ました。



 久しぶりに、苦みも迷いも憂さもない年末を迎えられそう。こんな無垢な喜びに満ちた師走も良いね。乱れもなにもないわが心は、なにものにも代え難い歓びに彩られている。
 この時期になると決まって思い起こす人がいるけれど、もう決して逢えない人であることがわかっていると、却って気分は清々しいね。悠久の希望だけを我は切に求める者なり。
 「いかに恵まれていることか。/妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。/食卓を囲む子らは、オリーブの若木。」(詩128:2-3)
 「有能な妻を見いだすのは誰か。/真珠よりはるかに貴い妻を。」(箴31:10)

 「確かに未来はある/あなたの希望が断たれることはない。」(箴23:18)◆

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