第1487日目 〈出エジプト記第11章:〈最後の災い〉withわが身わが心を強く律することがなによりも重要。〉 [出エジプト記]

 出エジプト記第11章です。

 出11:1-10〈最後の災い〉
 第十の災いは最後の災いとなる。それは最も恐ろしい災いとなった。
 主がモーセに、なおもう一つの災いをファラオとかれの国に降す、と告げた。災いを目の当たりにしたファラオはあなたたちを一人残らず追い出す。イスラエルの人々に伝えよ、そのときあなたたちは隣人なるエジプト人に金銀の装飾を求めなさい、と。
 ――主は自分の民が、エジプト人の好意を得られるように慮った。またモーセその人もエジプト人から尊敬されていた。
 モーセはファラオの前に立ち、主の言葉を告げた。曰く、――
 わたしは真夜中近く、エジプトのなかを進む。それによりエジプト国中の初子は皆、死ぬ。王の子であろうと奴隷の子であろうと関係なく、すべての初子は死ぬ。嘆きと哀しみの叫び声が国中から聞こえてくることだろう。これは、後にも先にも経験することのない災いである。以上、主の言葉。
 但し、イスラエルの人々に対しては番犬ですら、人に向かっても家畜に向かっても吠えたり唸ったりしない。「あなたたちはこれによって、主がイスラエルとエジプトを区別しておられることを知るでしょう。」(出11:7)――王よ、あなたのすべての家臣がわたしにこういってお願いするでしょう、どうかイスラエルは全員エジプトの国から出て行ってください、と。そうしたらわたしどもはこの国から出て行きますよ。以上、モーセの台詞。
 そのあと、主がモーセにいった。ファラオは耳を傾けない、わたしはエジプトへ大きな奇跡(わざわい)を起こす。
 心を頑なにするばかりのファラオはこれを聞かされても、まだイスラエルを去らせない。

 主/モーセからの最後通牒です。それでもファラオは心を頑迷にするばかりだ。
 最早モーセは出エジプトの近いことを、それが確かに行われる、と知っている。モーセの台詞にそうした察知を滲ませてみたのですが、どうでしょうか? 失敗しているかな。
 次章が過越について語られる章ということで、まだイスラエルは酵母なしのパンについてなどなにも知らされていない状況ですが、このあと慌ただしく物語内の時間は経過してゆきます。



 今日から「トビト記」を読み始めました。書きこみしたりメモを執ったりはせず、まずは最後まで読むことが最優先事項。旧約聖書続編は見たところ過半が歴史書に分類できそうなので、そうした点では旧約聖書後半よりは進めるのが楽かな、と早合点しております。
 順調に進めば続編は2014年中に終わるのでしょうが、そうは問屋が卸さないことを誰よりもわたくし自身が知っている。怠惰と欲望に搦め捕られぬよう、わが身わが心を強く律すること。そうでなくては終わらせられるものも終わらせられなくなってしまう。「わたしは災いだ。欺く者が欺き/欺く者の欺きが欺く。」(イザ24:16)◆

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