第1553日目1/2 〈ユディト記第3章:〈西方諸国の恭順〉with村上春樹『中国行きのスローボート』を読みました。〉 [ユディト記]

 ユディト記第3章です。

 ユディ3:1-10〈西方諸国の恭順〉
 ホロフェルネス率いる軍勢はアッシリア人の王ネブカドネツァルの意思に従わなかった国々を蹂躙した。その勢いと無慈悲に民は恐怖し、かれの許へ使者を出して恭順を誓った。われらが所有するすべてのものはあなたのものです。われらはあなたに従います。
 次いで、ホロフェルネスは軍勢を海岸地方へ動かした。要害の町には守備隊を置いた。住民から選りすぐった男子を組織して支援隊とした。町の人々は踊りと音楽とでホロフェルネスとその軍隊を歓迎した。が、アッシリア軍は西方諸国民の領地をすべて破壊、森の木々を切り倒していった。というのも、「地上のあらゆる神々を滅ぼしてすべての国の民にネブカドネツァルただ一人を礼拝させ、言語の異なる民、いかなる部族にもネブカドネツァルを神と呼ばせるよう命じられていたからである。」(ユディ3:8)
 そうした後、ホロフェルネスとその軍勢は南下した。エスドレロンの平野を進んでドタン近郊に至り、ガイバイとスクトポリスの中間の場所に丸1ヶ月、物資調達のため駐屯した。ドタンはユダヤの広大な山脈に面している。

 地理について少々。
 ユディ3:6に見る海岸地方は前章にて名の出たシドンとティルスを擁す大海(地中海沿岸)を指すものと思われます。
 ユディ3:9に出るエスドレロンの平野がどこにあるのか、といいますと、既にわれらはそれを知っている。旧約聖書を読んでいるとき何度か目にしたイズレエル平野がそれ。旧北王国イスラエルの北方に広がる平野がイズレエル平野、即ちここでいうエスドレロンの平野です。同じ章節に出るドタンは平野の南西に位置し、廃都サマリアは目と鼻の先にある。旧南王国、いまもエルサレムを擁す南部地方まではあと数日の距離に、アッシリア軍は迫っていたのでありました。
 ユディ3:10に記されるガイバイとスキトポリス。スキトポリスはヨルダン川西岸沿いの町、ベト・シェアンの「ユディト記」当時の名称です。サウル王率いるイスラエル軍はギルボア山(ベト・シェアン西約20キロ)で敗れ、その遺骸はベト・シェアンの城壁に曝されました(サム上31:10)。王国分裂の時代に町は一旦破壊されましたが、ギリシアの傘下にあったヘレニズム時代にベト・シェアンは再建されました。その際新たに付けられた名がスキトポリスで、デカボリス同盟に参加した町の一つとして知られました。
 デカボリスとはパレスティナ北東地方にあるギリシアの10の植民町による、相互防衛と貿易活性化を目的とした同盟(連合体)であります。前64年にシリア・パレスティナ地方を属州としたローマ将軍ポンペイウスによって発足しました。詳細については世界史の本や教科書にてどうぞ。
 なお、ガイバイの位置はわかりませんが、同じ文脈にドタンとベト・シェアンがあることから、やはりイズレエル平野南縁に位置する町であるか、と想像されます。
 スキトポリスにまつわるサウル王の挿話を書いていて、「ユディト記」にもこのあと似通った場面が出てくるのを思い出しました。ありがちなこと、とか、ただの偶然といえばそれまでですが、この奇妙な符号になにはなし感慨深いものを胸の奥に感じてしまうことであります。



 村上春樹初の短編集『中国行きのスローボート』(中公文庫)を読みました。初めて書かれた短編ということもあって、出来映えや質については「……」な作品が多い。長編小説ではうまく語ることができても、短編小説の語り方はまた別個のものであることを痛感させてくれます。
 そんななかでも好きな作品のあることは僥倖だ。「午後の最後の芝生」と「土の中の彼女の小さな犬」の2編がそれ。全体に漂う虚無感が初期の村上作品の特徴だと思うのだけれど、ここに挙げた2編はまさに、本短編集に於いてその特徴を具現化した数少ない証拠といえます。
 次は『カンガルー日和』(講談社文庫)を読む。初めて読んだ村上春樹の短編集に、今度は約20年ぶりに還る。当時書いたと記憶する感想はもうどこかへ失われてしまったけれど、新しい気持ちで再びページを開くことができることを楽しみにしている。◆

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