第1565日目 〈ユディト記第15章2/2&第16章:〈イスラエル人の追撃と勝利〉、〈エルサレムへの勝利の行進とユディトの讃歌〉他with「ユディト記」読了の挨拶〉 [ユディト記]

 ユディト記第15章2/2と第16章です。

 ユディ15:4−7〈イスラエル人の追撃と勝利〉
 ベトリアの指導者オジアの呼び掛けに応じて全イスラエルがアッシリア軍追撃に参加し、敵をダマスコ地方との境界まで追いこみ、これを領外へ退けた。
 ベトリアの住民や追撃に参加したイスラエル人は、もぬけの殻となった敵の陣営からたくさんの戦利品を町や村、里へ持ち帰った。そのうち、ホロフェルネスの天幕にあった食器や寝台など家財一式はユディトへ贈られた。

 ユディ15:8−11〈ユディトへの公式謝意〉
 エルサレムから大祭司ヨアキムと長老会議の議員たちが来て、主が行った数々の恵みの業を確かめ、ユディトに祝福を述べた。

 ユディ15:12−16:20〈エルサレムへの勝利の行進とユディトの讃歌〉
 女傑ユディトを一目見ようと多くのユダヤ人女性が集まってきた。彼女たちはユディトに祝福の言葉を手向けたり、彼女を囲んで踊ったりした。ユディトは自分のまわりに集まってきた女性たち
へティルソスの枝を配った。
 ユディトは彼女たちの先頭に立って進み、その後ろに武装したままのユダヤ人男子が続いた。やがてユディトが<神への新しい讃歌>を歌うと、人々もそれに倣ってこの讃歌を歌うのだった。
 「わが民に逆らって立つ国は不幸である。/全能の主は、裁きの日に彼らを罰して/その体に火と蛆を与え、/彼らは痛みのため、永遠に泣くことになる。」(ユディ15:17)
 ベトリアから南下してエルサレムへ到着したユディトは身を清めた後、神殿に赴き種々の献げ物をささげた。そうして贈られたホロフェルネスの家財一式を納め、ホロフェルネスの首を包んだ天蓋の垂れ幕を奉納した。
 ユディトたちは3ヶ月の間、旧都エルサレムに滞在した。

 ユディ16:21−25〈結び⎯⎯ユディトの祝福された晩年⎯⎯〉
 エルサレムからベトリアに帰ってきたユディトの名声は年を追って高まり、天の下にあまねく広まっていった。
 彼女は家の財産を以前にも増して能く守り、そんな彼女の許には求婚者が相次いだ。が、ユディトはそれをすべて退け、亡き夫マナセ1人に貞節をささげたのである。
 彼女は105歳で逝った。遺体は夫の墓に埋葬され、すべてのユダヤ人は7日間の喪に服した。財産は生前のうちに身寄りの者たちへ分配されていた。
 そうしてユディト存命中は勿論、彼女の死後も長い間、ユダヤ人を脅かす存在はついぞ現れなかったのであった。

 「ただ、主を畏れるその人こそ、常に偉大である。」(ユディ16:16)

 オジアはイスラエル北部の町々へ号令を掛け、またそれに呼応してギレアドとガリラヤの同胞がアッシリア軍を側面から攻撃した。敵は追撃の手を緩めぬイスラエルから這々の体でダマスコ地方の向こう側へと逃げ去っていった。⎯⎯ノートには反映させなかったけれど、個人的にどうしても捨て難い一節だったので、ここに復活させてしまいます。大祭司ヨアキムたちがすべて終わったあとに腰を上げたのには少々憤慨してしまいますが、まぁ、それは仕方ないことなのかもしれません。
 ユディトが歌う讃歌にこんな一節があります、「タイタンが彼を打ったのでも、/巨人族が襲ったのでもない」(ユディ15:6)と。タイタンも巨人族も旧約聖書続編は勿論、聖書全体のなかでもこれが初出であり、おそらく唯一の記述ではないでしょうか。わたくしは〈「ユディト記」前夜〉のなかで本書にはギリシアの影響を受けた描写がされており、またそれゆえにヘレニズム時代の執筆がほぼ確実視されている旨、申しあげたように思います。本節で「タイタン」が出、「巨人族」が出るのもその一例というてよかろうと思うのであります。タイタンも巨人族(ギガス)もギリシア神話ではお馴染みの存在であります。
 また、ユディ16:25「長い間」とあるのも、同様にやがて西から襲来するアレクサンドロス大王率いるギリシア軍の存在を示す材料なのは、疑うべくもないでしょう。



 本日を以て「ユディト記」は終わります。これまでお読みいただき、ありがとうございました。iMacでの執筆とあって馴れないところでもありましたが、なんとか最後の章まで辿り着けました。でも、まだ道は長い。
 ⎯⎯「ギリシア語によるエステル記」は明後日から始めます。引き続きご愛読願えれば幸甚です。◆

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