第1613日目 〈マカバイ記一第1章:〈アレキサンドロス大王とその後継者〉、〈アンティオコス・エピファネスの登場〉他with新MacBook Airが発売されましたが、……〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第1章です。

 マカ一1:1-9〈アレキサンドロス大王とその後継者〉
 マケドニアの王アレクサンドロスは幾多の戦いを経て、その領土を東へ、西へ、北へ、南へ、伸ばしていった。栄華ここに極まれり。が、病に倒れて遂に崩御すると、跡目争いが勃発した。ディアドコイ戦争である。斯くしてアレキサンドロス大王のマケドニア帝国は分裂し、3人の将がそれぞれ王朝を樹立、3朝鼎立の時代を迎えた。地には悪がはびこった。

 マカ一1:10-15〈アンティオコス・エピファネスの登場〉
 時代が下り、世代は変わり、セレコウス朝シリアから最悪の王、悪の元凶アンティオコス・エピファネス(アンティオコス4世)が現れた。ギリシア人の王朝第137年、即ち前175年のことである。
 この頃、イスラエルには律法に背いて生きる者が続出していた。かれらは積極的に周辺諸国の民と交わり、かれらの習慣を取り込んでゆき、かつての生活を忘れてゆく。「こうして彼らは異邦人の流儀に従ってエルサレムに錬成場を建て、割礼の跡を消し、聖なる契約を離れ、異邦人と軛を共にし、悪にその身を引き渡した。」(マカ一1:14-15)

 マカ一1:16-28〈アンティオコスの遠征と神殿略奪〉
 シリアでの支配権を固めたアンティオコス4世は、プトレマイオス朝エジプトを後退させて落とした要塞都市からの略奪を繰り返した。次に遠征の標的となったのはイスラエルであった。
 前169年(ギリシアの王朝第143年)、王とその軍勢はエルサレムに入城。王は不遜にも神殿の聖所へ入り込み、すべての装飾品を剥ぎ取り、祭具や宝物を略奪した。それのみならず、都の住民を無差別に殺戮し。そうしてかれらは自分たちの都へ帰った。
 イスラエルの全地に大いなる悲しみがあふれ、ユダヤの全家は哀しみに暮れ、恥辱を身にまとった。

 マカ一1:29-35〈エルサレム再び汚される〉
 2年後、王は再び来て、言葉巧みに都の民を騙し、エルサレムに更なる破壊と略奪を敢行した。
 ダビデの町即ちエルサレムに強固な城壁が巡らされ、この都は要塞化された。そこには罪深い異邦人と、律法に背く者たちが配置され、武器や食料、戦利品がここに蓄えられた。これは、ユダヤ人にとって大いなる罠となった。

 マカ一1:36-40〈都を嘆く歌〉
 要塞は聖所に対する罠。聖所のまわりに罪なき者の血が流され、斯くして聖所は汚された。都はいまや他国民が住むところとなり、異郷の地も同然となった。
 聖所は荒れ野の如くとなり、都の栄誉は諸国民の嘲笑の的となった。エルサレムの尊厳はいまや悲しみに取って代わった。

 マカ一1:41-63〈アンティオコスのユダヤ教迫害〉
 占領政策の一環として、アンティオコス4世は諸民族の習慣を排して各地でヘレニズム化を推し進め、エルサレムとユダヤに対してはかれらの宗教であるユダヤ教の禁止を発布した。多くのユダヤ人がこれに同調して、セレコウス朝の宗教に鞍替えした。そうして先祖たちがしたように、異教の偶像にいけにえをささげ、安息日をも汚したのである。
 多くの民が律法を捨て、セレコウス朝の流儀に従って生き、悪を犯した。
 神殿の祭壇には「憎むべき破壊者」の像が建てられた。周囲の町々に異教の祭壇が築かれ、戸口や大路で香が焚かれた。律法の巻物は見附かり次第焚書の憂き目に遭い、契約の書を持っていたり律法に従って生きる人々は発見されるや即時処刑された。悪き者たちは町を隈なく練り歩き、ユダヤ人への暴行を欠かすことがなかった。毎月25日には、主の祭壇上に築かれた異教の祭壇でいけにえがささげられた。割礼を受けた子の母親、その乳飲み子、その家の者、割礼を施した者は、いずれも処刑された。
 アンティオコス4世によってユダヤ人は、「律法を忘れ、掟をすべて変えてしまう」(マカ一1:63)生活を余儀なくされた。が、心ある敬虔なるユダヤ人たちはそれを潔しとせず、「聖なる契約に背くよりは、死を選んで死んで」(マカ一1:63)ゆくこともあったのである。斯様にしてイスラエルは、神の激しい怒りの下に置かれたのだった。

 これまでアッシリア、バビロニアによる占領政策をわれらは垣間見てきました。が、セレコウス朝シリアによるそれは、本章での描写が詳しくなっているせいか、より過酷で、いっそう凄惨であります。
 こうも民族の宗教が弾圧されたのは、いったいなぜだったのでしょう。セレコウス朝シリアが支配下に収めた国はいずれも例外なく、こうした宗教弾圧がなされたのでしょうか。他に伝える資料があるならそれは未見でありますが、ユダヤ教は紀元前から迫害され続けてきた歴史があるのだ、ということが本書に於いて理解されます。
 「マカバイ記 一」が旧約聖書続編でしか読むことができないのは、甚だ残念としか言い様がありません。
 でも、こうした迫害・弾圧の時代にあっても、主の目に正しいと映ることを行って生きる人々のあることになにやら安堵する思いもすることであります。



 マイナーチェンジを施したMacBook Airが04月29日に発売されましたね。あまり気乗りのしない新モデルです。Macユーザーになって初めての新モデル発売が、それまでの現行機種とさして代わり映えしないというのは、なにやら淋しくもあり、白けた気分でもあり、というところです。
 今回の新モデルに食指はあまり動きませんが、それでも価格が下がったというのは大きな魅力。5000円程度とはいえ、前モデルよりも価格の面で検討しやすくなったのは事実ですから、そろそろ外での原稿書き用にMacBook Airを買おうと思います。11インチか13インチか……悩むなぁ。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。