第1636日目 〈「マカバイ記二」前夜〉 [マカバイ記・二]

 今日から読む「マカバイ記二」はこれまで読んできた「マカバイ記一」の補遺というべきものであります。本書はその<序>にあるように、「キレネ人ヤソン」によって書かれた<マカバイ戦争>にまつわる五巻から成る書物を要約したものであります。
 ではそのキレネ人ヤソンは自身の著作に、どのような事柄を書き留めていたのか。「マカバイ記二」第2章にその片鱗が記されております。曰く、「ユダ・マカバイとその兄弟たちに関する事柄、大いなる神殿の清めと祭壇の奉献、 更にアンティオコス・エピファネスとその息子エウパトルに対しての戦い、 ユダヤ人の宗教を守り抜くため雄々しく戦った者たちに天から示された数々のしるし、すなわち、寛大なる主の憐れみにより、彼らが少人数にもかかわらず、全地方を奪回し、野蛮な異邦人たちを追い払い、全世界に聞こえた神殿を取り戻し、都を解放し、まさに瀕死の律法を蘇生させたこと、等々」(マカ二2:19-22)と。
 <序>に言う要約とは、「マカバイ記一」の前半部分を指す。が、ただ単にヤソンの著作を要約したというのではない。「マカバイ記二」の著者は明らかでありませんが、ともかくヤソンの書き残した広範な書物を、「物語の展開のみに興味を持つ人」のため、「物語の筋を追ってみたい人を夢中にさせ、暗唱したい人にはそれを容易にさせ、ともかくこの本を手にするすべての人に役立つよう努めたい」の一心から要約本を作成しようと思い立ち、筆を執ったのであります。
 単なる要約ではない、というもう一つの理由として、適所に要約者の意見が差し挟まれていることが挙げられましょう。たとえば第6章第12節であります。「マカ一」では人々の心の内にあって表立って出てくることほぼ皆無であった<神>について、要約者が意見を述べております。ここで長い引用を再びするのもどうかと思われますが、原稿の文字数稼ぎでないことをご理解いただきつつ、──
 「さて、わたしはこの書を読む者がこのような災難に気落ちせず、これらの罰は我々民族を全滅させるためのものではなく、むしろ教訓のためであると考えるよう勧めたい。我々の場合、主を汚す者を主はいつまでも放置せず、直ちに罰を下される。これは大いなる恵みの印である。他の国民の場合、主は、彼らの罪の芽が伸びるだけ伸びるのを、じっと待っておられるが、我々に対して直ちに罰を下されるのは、芽が伸びきらないうちに摘んでしまうためである。主はわたしたちへの憐れみを決して忘れられない。主は、災いをもって教えることはあっても、御自分の民を見捨てられることはないのだ。」(マカ二6:12-16)
 ところでそもキレネ人ヤソンとは何者か? 要約本を作ったのはどのような人々であったか? その答えは非常に単純。即ち、いずれについても不明である、という答えです。
 キレネは北エジプトにあった古代ギリシアの都市国家、現在はリビア領内にある町で、聖書での言及は、他地域との並記という形を除けば、殆どなかったのではないでしょうか。「マカバイ記一」は前134年のシモン謀殺で幕を閉じました。それを承けてヤソンは前100年前後に北エジプトはキレネ地方に生きていた人物、とされます。
 ヤソンが<五巻本の年代記>をその存命中に書いたとなれば、当然のことながら「マカバイ記二」もさほど離れてはいない時代に成立したことになります。マカバイ戦争に関する五巻の著書を遺したヤソンも、そこから<物語の展開を知り、その内容に夢中になりたい人を専ら念頭に置いて>要約作業に従事した人たち(「我々」/マカ二2:23他)も、つまるところはいつどこで生まれ、死に、どのような職業に就いていたのか、執筆と要約の他にどのような仕事をしたのか、などはわからないのであります。
 古代史、或いは古代の物語に登場する実在と思われる人々の来歴をたどろうとすると、すぐに必ず同様な問題にぶち当たります。ゆえにタイムマシンがあったらたちまち疑問は解決するのになぁ、と思わないでもありませんが、そんな願望が叶えられないからこそ歴史は面白いのかもしれませんね。
 なお、「マカバイ記」には第一のマカバイ記、第二のマカバイ記の他、第三、第四の「マカバイ記」が存在します。これらはどのような性質の書物なのでしょう。いずれも「マカバイ記一」、「マカバイ記二」と直接的な関連性はありません。
 「マカバイ記三」はエルサレム入城を果たせなかったプトレマイオス朝エジプトの王(プトレマイオス4世)が腹いせにアレキサンドリア在住ユダヤ人を皆殺しにしようとするが、イスラエルの神の力によって計画が挫かれるというもの。「マカバイ記四」は哲学書、思想書と呼べばいいでしょうか。確か引き合いに出される人物として「マカ二」の殉教者の名前が挙げられていたように記憶します。この「マカバイ記四」はいまよりもっと若い頃、フィル・ディック《ヴァリス》4部作によって関心を誘われて読んだ聖書外典のうちの一つでありました。個人的には思い出ある外典の一つであります。
 この「マカ三」、「マカ四」を本ブログにて取り上げる予定はありません。が、もし新約聖書が終わって余力あれば、「ナグ・ハマディ文書」や「ユダの福音書」などと併せて「マカバイ記三」、「マカバイ記四」を読んでゆくかもしれません。いずれにせよ、まだまだ先のお話です。
 それでは、明日から1日1章の原則で「マカバイ記二」を読んでゆきましょう。◆

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