第1654日目 〈マカバイ記二第15章:〈ニカノルの冒瀆〉、〈ニカノルの敗北と死〉他with「マカバイ記二」読了のご挨拶〉 [マカバイ記・二]

 マカバイ記二第15章(デメトリオス治下)です。

 マカ二15:1-5〈ニカノルの冒瀆〉
 ユダ・マカバイとユダヤ軍はその頃サマリアにいた。それを知ったニカノルは、相手を確実に倒すためには安息日に攻撃を仕掛けるより他ない、と考えた。無理矢理シリア軍に同行させられていたユダヤ人たちは、その計画を知るやニカノルの許に行って諫めた。すべてを見ている方が定め給うた聖なる日を、君よ、守るべし、と言って。
 その諫めをニカノルは一笑に付した。そんなことを守れと決めた者が天にいるとでも言うのか、それならばこの俺は地上の支配者だ、だからお前たちも俺の命令に従って武器を取り同胞と戦え。そうニカノルは言った。王の求めを果たせ、とも。
 が、斯様に残虐な企みが成就するはずはない。

 マカ二15:6-11〈ユダの激励〉
 シリア軍が迫ってくる。率いるはニカノル。
 それを聞いてもユダ・マカバイは怯まなかった。主の助けがもたらされることを信じて、希望を捨てなかった。かれは同志たる兵士たちを前にして檄を飛ばした。かれらに、律法の書と預言書に基づいて士気を高め、数々の戦いをくぐり抜けて勝利してきたことを思い出させた。
 「こうして戦意が昂揚したとき、ユダは異邦人の不誠実と、誓いの破棄を指摘するとともに、励ましの言葉を語った。同志の一人一人を、盾や槍による守りではなく、力強い言葉が持つ励ましで武装させ、信ずるに足る夢を語って聞かせ、彼ら全員を喜ばせた。」(マカ二15:10-11)

 マカ二15:12-16〈ユダの夢〉
 ユダ・マカバイが同志たる兵士たちに語って聞かせた夢とはこういうものである。曰く、──
 前の大祭司オニアがユダヤ民族のため、ユダヤ人社会全体のため、祈りを捧げていた。その隣に、白髪と気高さゆえに際立ち、驚嘆すべき威厳をあたりへ漂わせる人物がいた。
 オニアはその人物を指して曰く、この方こそかつてエルサレム陥落を目撃し、深くユダヤの同胞を愛し、民と聖なる都のため不断に祈り続けてくださっている預言者エレミヤです、と。
 エレミヤはユダ・マカバイに一振りの黄金の剣を手渡した。神からの賜物であるこの剣を受け取りなさい、この剣で敵を打ち倒しなさい。そうエレミヤは言った。

 マカ二15:17-36〈ニカノルの敗北と死〉
 ユダ・マカバイが聞かせたエレミヤの夢の話は、すべての兵士たちを奮い立たせた。かれらはもはや陣営に留まることを良しとせず、敵を求めて出撃した。誰もがこの戦いが、危機に瀕する都と律法と神殿を守る戦いであることを自覚し、そのために雄々しく戦う覚悟を固めたからである。「既に、すべての者に、事を決する戦いへの覚悟はあった。」(マカ二15:20)
 かれらは進み、シリア軍と対峙した。敵は大軍であった。武器は入念に揃えられ、象部隊を擁していた。敵軍を前にして、ユダ・マカバイは祈った。勝利は武器や人数によって決まるのではなく、主なる神の裁きによってのみ決せられるのだ、ということを知っていたからである。
 シリア軍が進撃のラッパを吹いた。戦いが始まった。ユダヤ軍は神の名を呼び、祈りながら、シリア軍と剣を交えた。そうしてかれらは35,000人は下らぬ数の敵を打ち破り、勝利を得たのだった。ユダヤ軍がエルサレムへの帰還準備をしていると、戦地に敵将ニカノルが武具をまとったまま倒れているのが発見された。
 「市民のために全身全霊を傾けて敵と戦い、青年のときから同胞に対して愛情を抱き続けてきたユダは、命を下してニカノルの首をはね、腕を肩から切り取ってエルサレムまで持って行かせた。都に着くと、ユダは同胞を呼び集め、祭司たちを祭壇の前に立たせ、要塞からも人々を呼んだ。そして、汚れたニカノルの首と、傲慢にも全能者の神殿に向かって上げたその腕を人々に示し、次いで、罵詈雑言をほしいままにしたニカノルの舌を切り刻んで、鳥に与え、その腕を神を畏れぬ報いとして神殿に向けてつるすように命じた。そこで人々は皆、天に向かって栄光に輝く主を賛美し、「御自分の聖所を汚れから守られた主はほめたたえられますように」と言った。それから、ユダは、主の助けの明白なしるしとして、ニカノルの首を要塞につるして衆目にさらした。」(マカ二15:30-35)
 ──人々は協議し、この勝利の日──第12の月即ちアダルの月13日を、忘れたり疎かにしたりしないように、民族の祝日とすることを定めた。それはモルデカイの日、つまりプリム祭の前日にあたっていた。

 マカ二15:37-39〈結び〉
 ……キレネ人ヤソンの書物からの、われらによる要約は以上であります。そろそろ筆を擱くべきときが参りました。
 もし本書の編集が巧みで要領を得ているならば、それはわれらの喜びとするところ。もし否ならば、われらの力が及ばなかった証。
 ぶどう酒だけ、水だけを飲むのは体に害がありますけれど、両方を適度に混ぜると人を気持ち良くさせ、心を楽しくさせます。それと同じで、「物語もよく編集されていると、それを聞く人の耳を楽しませる」(マカ二15:39)ものなのですよね。
 本書「マカバイ記二」を終わります。

 気のせいであることは承知しておるのですが、ユダヤ人はいつだって安息日に攻撃を仕掛けられているようであります。勿論、実際に「マカバイ記」でそれが明記されているのはほんの数回であって、他の日に戦闘していることの方が専らなのでしょうが、「マカバイ記一」と「マカバイ記二」の両書を読了したいま顧みると、そんな風に錯覚してしまうぐらい安息日に攻撃されている印象が強いのであります。
 安息日にはユダヤ人を攻撃して負かしてしまおう。──シリア軍が斯様に発想するのは、逆に言えばそれだけユダヤ軍が強力であることの証左でありましょうし、ユダヤ人が信念と覚悟を胸に主なる神の加護を信じて立ち向かってくる姿に恐れをなしてのことだったかもしれません。シリア軍にとってユダヤという存在は、勝つに困難である相手だったのかもしれませんね。
 最後に要約者たちが記した自分たちの仕事への自負と困難は、文章を書く者、物語を紡ぐ者にとって古今東西、普遍に抱き続ける思いであると言えましょう。



 「マカバイ記二」は本日を以て読了となります。前巻に比べれば比較的スムーズに読み進められたように思います。もっとも、本書が語る出来事は「一」で語られた歴史の半分程度でしかありませんので、そう思うたとしても不思議ではないのですけれどね。
 読者諸兄よ、今日までありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたなら、要約者と同様に満足であります。
 次の「知恵の書」はおそらく来月からの読書になりましょうが、そのときに聖書読書ノートとしての本ブログを再スタートさせたいと思います。明日からはしばらく通例通り、エッセイの日々となります。こちらもどうぞよろしくお願いします。◆

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