第1655日目 〈就寝時の友;オーディオブックを聴いています。〉 [日々の思い・独り言]

 寝しなに読む本はその都度変わってゆきますが、就寝時に聴くものはそう代わり映えしないのが悩みといえば悩みと言えなくもない。
 もし音楽を聴くならそれはクラシックかジャズとなる。若い頃のように洋楽やJ-POPは聴けない。クラシックであっても、20代の頃ならワーグナーやヴェルディのオペラを平然と聴けて、しかも第1幕の途中でぐっすり眠りこけることができたものだけれど、現在ではとてもそんな芸当はできない。
 クラシックの場合、年齢を重ねるにつれて就寝時に聴く気になれるジャンルは限られてきて、まずオペラと声楽が脱落。続けてオーケストラ曲──交響曲も管弦楽も協奏曲も軒並み拒否反応が起きるようになり、管楽器、弦楽器、撥弦楽器の別なく器楽曲と一括される分野も遂に耳に障るようになってしまった。
 むろん、いずれのジャンルにも例外はある。声楽ならバッハの教会カンタータ、オーケストラ曲ならメンデルスゾーンの《スコットランド》交響曲、器楽ならバッハの無伴奏チェロ組曲とショパンの《夜想曲》といったところだ。
 こうしたものを別とすれば必然的に残るは室内楽だが、これも就寝の友となる作曲家と御免被る作曲家とがいるようだ。前者の代表は就中バッハとシューベルト、ブラームス。後者の代表格はブゾーニや新ヴィーン学派といった近代以後の作曲家たち。深閑とした響きが耳を刺激することなく心に安寧をもたらし、自ずと眠気を誘い、一時の安らぎともう一つの人生を追体験する好機を与えてくれるのだろう。その他の作曲家の作品はどうかといえば、そのときにどれだけ眠たいか、という開き直ったような基準しかないので、ここでは片隅に追いやっておこう、その質問自体。
 就寝時、iPodで音楽を聴くことはとても少ない。シューベルトのピアノ五重奏曲《ます》とブラームスの弦楽六重奏曲第1番ぐらいしか、ここ1年間では聴いていないように記憶する。では、就寝時になにかを聴くことがあるとすれば、それはいったいなに? ジャズ? ノン、モナミ! iTunesから購入したオーディオブックか、Podcastで聴く文芸作品が音楽に代わってわが就寝時の友となってくれている。
 そのなかでもいちばん聴いているのは、楠木華子が朗読する泉鏡花「怪談女の輪」である。マニアックというな、自分でも承知だ。ゆえに斯様な小品がオーディオブックとなって発売されている事実と遭遇したときのわたくしの驚きと喜びをお察しいただきたい、どうか読者諸兄よ! いま調べてみたら、この人は他に『四谷怪談・番町皿屋敷・牡丹灯籠』という日本三大怪談の朗読までやってのけている。なるほど、納得のキャスティング、納得の作品チョイスだ。
 なんというかね、この人のしとしととした話術が怪談を語るにぴったりなのですよね。大仰な朗読になって興醒めさせるわけでもなく、ジャンルゆえの勘違いが引き起こす過剰演出に走るのでもなく、あくまで淡々と、密やかに語り、湿り気ある声が聞き手の想像力を鷲摑みにして、芯から「怖い」という感情を抱かせてしまうのです。そうして時折垣間見せる艶やかな色声がまたなんとも官能的で、良いのであります。怪談はかつて語られて伝えられてゆくものであった。百物語などその典型。怪談は耳で聞いてこそその真価を発揮するもの──それを思い出させてくれもしたのが、この「怪談女の輪」だったのであります。
 朗読時間は約18分、本当に短いものです。たいていはこれを聞き終えるかどうか、というぐらいの時間でぐっすり眠ってしまう。だから最後までしっかり起きて聞いていると、女たちが主人公を見据える場面など鮮やかに想像できてしまって、『本当にあった呪いのビデオ』など裸足で逃げ出すような生々しさにわれながらゾッとするのであります。想像力を刺激するしとしとした語り口調が、この小品の怖さを活字の何十倍も増幅しているというてよい。
 iPodにトップ25という機能がありますが(第5世代のiPodにもあるの?)、そこにランクインするオーディオブックのなかで本作品がいちばん再生回数が多いという点が、どれだけわたくしが気に入って聴いているかを証明する最良の証拠と申せましょう。
 朗読による文学作品をよく聴いていたのは学生時分であった。というのも、スティーヴン・キングが自作『GUNSLINGER』を朗読した、確か6本組みのカセットブックを手に入れてずっと聴いていたり、図書館で鏡花や荷風、漱石を朗読したカセットテープやCDを借りてきては聴き耽ったことがあったからだ。キングが車の運転中やスポーツジムで無削除版の文芸作品を聴いている、という記事をどこかで読んだことが朗読作品を聴く遠因であったように記憶するが、コリン・マッカラーズ『ソーンバーズ』がそのときタイトルを挙げられていた作品ではなかったかな。
 それが約20年の間を置いて、iPodと出会い、iTunesに文学作品の朗読があると知り、かつての嗜好が再び頭をもたげた。県立図書館から文学朗読のCDを借りてきたりするようになったのも、それと無縁ではない。その過程でずいぶんと非道いものにも出喰わしましたが……。
 いまはPodcastや自作オーディオドラマの配信も行われているから、選り取り見取りだけれど、それゆえに今一つ違和感を抱いているのも事実である。群雄割拠といえばまだ聞こえはいいか、玉石混淆の体をなしてきた、というのがいちばん正直なところだ。それに伴って自分好みの声による聴きたい作品を見附けるのが次第に困難になってきた。iTunesといえば音楽と映画の配信、芸能人と語学のPodcastが注目されがちだけれど、<朗読>による文芸作品についても積極的に語られて然るべきではないか、というわたくしの望みは時流にそぐわぬゆえに無視され足蹴にされてしまうだろうか?
 いつか自分の作品──小説であれ本ブログにてお披露目中のエッセイであれ、聖書についての文章であれ──がオーディオブックになって発売されたりポッドキャスト配信されたら、嬉しいな、と思うているみくらさんさんかでした。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。