第1686日目 〈知恵の書第14章2/2:〈偶像崇拝の起こり〉&〈偶像崇拝の結果〉with発見はあるだろうか?〉 [知恵の書]

 知恵の書第14章2/2です。

 知14:12-21〈偶像崇拝の起こり〉
 遠くに在って自分たちの支配者を直接見られぬ者は、王の肖像制作を職人に依頼した。職人はその人たちのためというよりも支配者に取り入る手段として、腕を奮って肖像制作に勤しむ。
 偶像は、支配者の栄華盛衰に伴って生まれ、浸透していった。いつしか偶像に対する儀式や犠牲が義務附けられた。
 それと共に「時とともに神を汚すしきたりが力を得、法として守られるようになった。」(知14:16)即ち、イスラエル/ユダヤの神を忘却することでもあったのである。
 斯くして各地に置かれた権力者の肖像は、人々の間に広まる偶像崇拝の中心となった。──が、そうした偶像もやがて忘れられ、壊され、朽ちてゆく。

 知14:22-31〈偶像崇拝の結果〉
 かれらの過ちは、先祖の神を忘れる行いを始めたことだけではない。無知が生んだ主との大きな戦いの渦中にあってなお、自分たちの犯す悪事を「平和」と(愚かにも)呼ぶからだ(※)。
 かれらは快楽に耽り、姦淫を犯し、偽りの預言をし、不正を行い、平然と欺き、嘘をつく。かれらは魂なき偶像に依り頼んだり、不当な誓いをすることを罪と思うていない。
 「二とおりの罪のゆえに神は彼らを裁かれる。/まず、偶像に依存して神のことを悪く考え、/次いで、神の清きをさげすみ、/不当に偽って誓ったからである。」(知14:30)
 が、しかし、悪人の犯すこうした過ちを常に懲らしめるのは、罪人に対して下される神の罰を除いて他にない。

 「実態のない偶像を礼拝することは、/諸悪の始まりと源、そして結末である。」(知14:27)

 (※)を付けた箇所を上では省略しましたが、「知恵の書」本文では以下のように書かれています。曰く、──
 「彼らは幼児殺しの犠牲や密儀、/奇怪なしぐさを伴うみだらな酒宴を行う。/生活も結婚も清くは保たず、/裏切って殺し合い、姦淫を犯しては苦しめ合う。/流血と殺害、盗みと偽りが至るところにあり、/堕落、不信、騒動、偽証、/善人への迫害、恩恵の忘却、/魂の汚染、性の倒錯、/結婚の乱れ、姦淫、好色が至るところにある。」(知14:23-26)
 旧約聖書で偶像崇拝について触れた箇所は多くありましたが、その発生と結果を述べた箇所はなかった、と記憶します。あっても、本章の如く体系的に述べてはいなかったのでは? そんな意味でも、本章は(やや退屈ながら)興味深い記述がされていると思います。
 もっとも、権力者の肖像が造られる理由なんて、古今東西を見廻しても一つしかない。つまり、己の権威を領内に知らしめて民の従属を図るプロパガンダである、ということ。われらの記憶にはまだ新しいのではないか、──1989年12月、ルーマニアに於いてチャウシェスク政権が倒れて独裁政権の象徴であった宮殿が途端に略奪の的になったことを。2003年4月、バグダッドに建立されていたフセイン像が市民の手で引かれて倒される(とされている)その瞬間の場面を。
 ……歴史を繙けば事例はもっと出てくるでしょう。しかし、いずれにせよ、偶像崇拝の結末は洋の東西、今昔を問わず不変であることを痛く感じさせられるところであります。



 朗読のペースに合わせて小説を読む。すると、自分のペースで読んでいるときは気付かなかったことが見えてくるかもしれない。今度、萩原朔太郎の短編「猫町」でそれを試してみる。
 それはそうと、だれか金阜山人/永井荷風「四畳半襖の下張り」を朗読してiTunesにて配信するような度胸と声の持ち主は、嗚呼、いないものかしら?◆

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