第1712日目 〈「シラ書〔集会の書〕」前夜〉 [シラ書〔集会の書〕]

 お待たせしました。数日遅れで旧約聖書続編の読書ノートを再開、今回は「シラ書[集会の書]」を読みます。
 のっけから私事で恐縮ですが、或る出来事がきっかけで聖書を購入したものの本腰を入れて読み出すまでの1,2年の間、この新共同訳聖書は書架の飾りと化していました。それでも折に触れて、なにかの拍子に手にして開き、漫然と目を通し、気に入った箇所などあればページの隅を折ったり、そこに鉛筆で印を付けたりしました。その頃巻を開いて黙読し、なんらかの痕跡を残すこと最多だったのは、今回読む「シラ書」なのでありました。
 どうして旧新約聖書でなかったか。顧みて倩思うに当時の自分にとっては聖書のなかで「シラ書」がいちばん敷居が低く、馴染みやすい書物だったからではなかったか。物語や映画で描かれること多い律法中の諸エピソードや新約聖書で描かれるイエスの行状は殆ど端から無視でした。「シラ書」と同じような性質を持つ「箴言」や「コヘレトの言葉」にはどういうわけか積ん読の手が伸びなかった。重たい不可侵のヴェールが「箴言」、「コヘレトの言葉」を始め、たいていの書物とわたくしを隔てている。そんな風に思うた。こうしたなかで「シラ書」に馴染んだのは、その後の聖書読書を始めるにあたって幸い事であったかもしれません。
 「シラ書」は「ベン・シラの知恵」などとも呼ばれます。ベン・シラとはシラの子、という意味。本書は旧約聖書、旧約聖書続編(第二正典)のうちで唯一、著者を特定することができるものであります。預言書はたしかにかれらの言行録というべきものですが、その書物へ名前を冠せられた預言者が実際に著者であったかどうか、根拠となるものが脆弱であることが多いため、預言者各人を個々の書物の著者と断じるのは軽挙妄動に等しいと思うのであります。
 本書の著者は、かつてエルサレムに住んでいたシラ・エレアザルの子イエススである(シラ50:27)。後に「シラ書」と呼ばれることになるイエススの原著はヘブライ語で書かれていた。時代は下って於エジプト、エウエルゲテス王(プトレマイオス8世)の御代第38年(前132年)にかの国へ移り住んだその孫がエジプト、就中アレキサンドリアに住む離散ユダヤ人のため祖父の著書をギリシア語に翻訳したのであった。孫が翻訳に際して使用したテキストは、祖父自筆の完本ではなかった、とされます。19世紀から20世紀にかけて発見されたヘブライ語による「シラ書」写本と、ギリシア語写本の間には相違が見られるといいますが、具体例を挙げてのことになるとわたくしの手に余るため、向学心ある読者諸兄がおられたらばぜひ両者を付き合わせて異同を調べたり、写本の系統を明らかにすることで埋もれた事実に光を当てていただきたく願います。
 イエススが本書の筆を執り、擱いたのは前2世紀のこと。本書中で大祭司シモンの描写が殊に生彩を放っている点から前190年頃、幅を取ってもその前後10年のうちには成立していたのではないか、と考えられる(ジークフリート・ヘルマン『聖書ガイドブック』P188、フランシスコ会訳聖書P1724など)。ここで成立時期の根拠として挙げる大祭司シモンはオニアス2世の子シモン2世と仮定。シモン2世が大祭司職に在ったのは前225-195年にかけての頃だった。そこを出発点としての「シラ書」成立時期の推定であります。
 本書の内容は、明日から読んでゆく過程で自ずとわかりましょうからここでは省きます。が、一言でいってしまえば日常生活と人生の諸事諸場面に於ける指針であり、もう少しいえば、「格言による知恵、律法と道徳にもとづく原則、創造の認識、聖書の歴史がその中で結び合わされ」(S.ヘルマンP192)たものであります。
 知恵は神に帰するもの。知恵とは具体的にいえば<律法>であり、生活に即した場合は<道徳>である。漫然とした態度ではあっても「シラ書」を読んでいると、そう感じるのであります。こうしたことについては明日からの約2ヶ月弱を通して、改めて考えてみたく思います。
 なお、曾野綾子の小説に本書をモティーフとしたものがあります。『アレキサンドリア』という作品です。文藝春秋社、文春文庫より。「シラ書」の著者シラ・エレアザルの子イエススの孫がヘブライ語からギリシア語に翻訳する場面を前景に、現代の家族が直面する諸事を後景にした作品で、前景と後景は「シラ書」にある内容を底に置いている、という点で共通しています。本ブログの読者諸兄のうち興味を持たれた方がいたら読んでみてください。
 旧約聖書の「箴言」、「コヘレトの書」と並んで「シラ書」は、「『知恵』の類型に従う最大の作品」とジークフリート・ヘルマンは述べる(『聖書ガイドブック』P191-2)。規模と内容と質の3点に於いて、「シラ書」は旧約聖書の知恵文学に肩を並べる存在というてよいでしょう。読書と執筆と清書/入力の3点に於いても、「シラ書」はこれまでの書物と較べて理解力と読解力、精神力と体力を要求するものとなるように思います。
 途中で息切れして放り出したりしないよう、1日1日の原稿を端然と書いてゆく。
 「口を開く前に、よく考えよ。/病気になる前に、養生せよ。/裁きが来る前に、自らを省みよ。/そうすれば、主が訪れるとき、お前は贖いを得る。/病気になる前に、自らへりくだれ。/罪を犯したときは、改心の態度を示せ。
 誓願は、必ず、期限内に果たせ。/それを果たすことを、死ぬときまで延ばすな。/誓願を立てる前に、よく準備せよ。/主を試す者になってはいけない。」(シラ18:19-23)
 それでは明日から1日1章の原則で「シラ書〔集会の書〕」を読んでゆきましょう。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。