第1713日目 〈シラ書序言:〈序言〉with無理はしない。〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書序言です。

 シラ序:1-36〈序言〉
 私は、プトレマイオス8世の御代第38年にエジプトへ来た(前132年)。この地で私は、イスラエルの主の御業と御旨、御言葉を記した多くの書物に触れて、感動した。
 そこで思い起こすのは私の祖父である。かれの名はイエスス、シラ・エレアザルの子だ。祖父はかつてエルサレムに住んでいて、律法や預言書、その他の書物をあまねく渉猟、広範に読書していた。然る後、自分でも知恵と教訓についての書物を著したい、と志し、筆を執って一巻を認めた。
 エジプトに来てイスラエルの主の御言葉、御旨と御業を記した書物に触れた私は、祖父の著作をヘブライ語からギリシア語へ、この地にいてもはやギリシア語しか解さぬ同胞ユダヤ人のためにも、翻訳しようと思い立った。そうしてそれを、チームを組んで実行した。しばしば徹夜し、あらゆる知恵を動員して、作業に励んだ。
 が、或る言語を他の言語へ翻訳しようとすると、どうしても弊害が付きまとう。「というのは、元来ヘブライ語で書かれているものを他の言語に翻訳すると、それは同じ意味合いを持たなくなってしまうからだ。」(シラ1:21-22)
 私たちは能う限り努力した。ヘブライ語の文章、内容を瑕疵なくギリシア語へ移し替えられたかどうか、心許ない限りである。そうした点についてはお許し願いたい。
 シラの子イエススの知恵と教訓の書物をここに読者へ供す。

 一読して唸り、二読して暗澹となる文言が並ぶ。あらゆる意味合いで翻訳を行う者にとって、これは耳に痛いものとなるのではないか。翻訳という行為に宿命的に付きまとう悩みを、よもや聖書を読んでいて突き付けられるとは!
 外国語で書かれた著作を翻訳するとき、原意から離れることなく他言語へ移し替えることは困難を伴う。翻訳にあたって圧縮したり省いたり、補ったりすることもある。図らずも原文を読み誤って本来の意味から外れてしまうケースもあろう。文章に塗りこまれた著者の本音や暗喩、或いは仕掛けられた文章の罠──ダブル・ミーニング、告発など──を見逃してしまうケースもあるのではないか。翻訳された文書を読んでそこに不適当と思われる訳語があっても、或る意味でそれは避けがたき事故である。誤訳と無縁の翻訳などあり得ない。むろん、そんなものがない方が良いのは当たり前の話ではあるのだが。
 或る言語を他へ移し替える際の困難と悩みを、「序言」は端的ながら能弁に語り訴える。「序言」は最古とまではいわぬまでも、それに近い時代に書かれた翻訳論の祖型である、とはいえそうである。
 孫(名前不詳)がエジプトへ来たのは前132年。「マカバイ記」で読んだプトレマイオス朝がエジプトを支配しており、前132年当時その王位に在ったのはプトレマイオス・フェスコン、即ちプトレマイオス8世であった。記憶の片隅にこの名前のある方がいるやもしれぬ。われらはかれの名を、「マカバイ記」の読書中に知ったはずである。
 プトレマイオス8世はセレコウス朝シリアのアンティオコス4世エピファネスによって捕虜となったが、共和政ローマの介入により復帰。前145年の対シリア戦で兄プトレマイオス6世が亡き人となるや、その妻クレオパトラ2世を迎えて后とし、兄の子で自分の甥プトレマイオス7世を殺害、プトレマイオス8世として即位した。イエススの孫がエジプトへ来た第38年、即ち前132年はプトレマイオス8世が、兄とクレオパトラ2世の娘クレオパトラ3世を妻とした年である。
 プトレマイオス8世の御代は断続的で、前171-163、145-131、127-116年であった。かれは自分の意に添わぬアレキサンドリアの知識人を憎んで追放、もしくは粛正の目に遭わせた。相次ぐ重税や戦争、クレオパトラ母娘を妻としたことなどにより臣民の信頼、支持は薄く、暴動が起こったこともあるという。ちなみに「フェスコン」とは「太鼓腹」の意味。



 無理はしない。エッセイを書けないときは書けない日なのだ、と了解して、聖書読書ノートを進めてゆく方が精神衛生的にも良いのだろう。
 アクセス数は、ぐっ、と減ってしまうかもしれぬが、それのために形相を変えてすっかりネタを使い果たしたノートを繰ってむりやり一編のエッセイに仕立てる方が、却って悪影響を後々に及ぼすだろう。
 そんなわけで、これからエッセイのない日があるかもしれぬが、それはそれとして大目に見ていただきたい、と切に願うのである。◆

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