第1716日目 〈シラ書第3章1/2:〈両親に対する義務〉、〈謙遜〉&〈心のかたくなな者〉withぼそり、と一言。〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第3章1/2です。

 シラ3:1-16〈両親に対する義務〉
 子は父の戒めを守ってよく生きよ。そうすれば、やすらかに時を過ごすことができる。「言葉と行いをもって、父を尊敬せよ。/そうすれば、父から祝福を受ける。」(シラ3:8)
 このことを知れ。主は子に対する権威を父に与え、子は母に従う義務を課した。「父を敬う者は、長寿に恵まれ、/主に従う者は、母を安心させる。」(シラ3:6)主は、両親への心遣いを覚えていてくれる。子が苦しみ、悩んだとき、主はそれを思い出して不安を取り除いてくれる。
 「父の名誉を傷つけてまで、/自分の栄誉を求めるな。/父の不名誉は、お前の栄誉とはならない。/父親を敬うこと、これこそ人間の栄誉なのだ。/母親を侮ること、それは子供にとって恥である。/子よ、年老いた父親の面倒を見よ。/生きている間、彼を悲しませてはならない。/たとえ彼の物覚えが鈍くなっても、/思いやりの気持を持て。/自分が活力にあふれているからといって、/彼を軽蔑してはならない。」(シラ3:10-13)

 「父を見捨てる者は、神を冒瀆する者、同じく/母を怒らせる者は、主に呪われている者。」(シラ3:16)

 シラ3:17-25〈謙遜〉
 子よ、なにをするにも柔和であれ。そうすれば、憐れみをかける人、施しをする人よりも愛される。
 子よ、勤勉に努めて偉くなったら、心掛けなくてはならないことがある。それは偉くなればなる程、自らへりくだるようにすることだ。それを忘れず実践していれば、主はあなたを喜んで受け入れてくれるだろう。
 主なる神の奥義は柔和な人に現れ、示されることを、汝、知れ。
 子よ、人智の及ばぬ領域にゆめ踏みこむことなかれ。あなたへ示されたこと、定められたことを熟慮せよ。あなたに示されていないこと、定められていないことを知る必要はない。驕り、高ぶった者が身の程もわきまえずに禁じられた領域を侵犯したことで道を誤り、判断をゆがめてしまったことも、ある。
 知識がなかったら、知ったかぶりをするな。

 シラ3:26-30〈心のかたくなな者〉
 何事にも柔和ならざる心かたくなな輩は、晩年になるに従ってとても苦しみ、重荷を背負って悩むことになる。
 危険を好む者はそれゆえに身を滅ぼし、罪人なる者は更正することなく罪に罪を重ねてゆく。高慢な者が己の所業によってわが身へ招いた災難は最悪で、如何ともしようがない。かれの心には悪の根が深く巣喰っている。
 一方で、何事にも柔和である人のうち、たとえば「賢者の心は、格言を思い巡らし、/知者の耳は、格言を熱心に聴く」(シラ3:29)のである。

 もはやダイジェスト、エッセンシャル・オブであることを諦めて殆ど引き写しである。能う限り自分の言葉、自分の表現に置き換えたつもりだが、却って己の無の無才を知るばかりとなった、只此の一筋てふにつなげられゝば良いのだが。まあそれはともかく、このノートを認めている間はとても心が落ち着き、やすらかな気持ちになれた。筆も、走ることも滞ることもなく。なにやら写経しているみたいな思い……。
本章は、いまの自分の心に響いてきた。というよりも、自分が、いま・ここにある幸せに感謝した。両親なくして子はあり得ぬ。父への尊敬、母への愛情。親は子のために生きるが、子も親のために生きるのだ。両親、或いは片親が生きている限り、自分のゆえに嘆かせ、悔やませ、涙させることがあってはならないのだ。
 ──自分はいったい両親のために、母親のために、なにをしてきただろう。そうして、なにができるだろう。みまかって後も親を悲しませないようにするには、自分を正し、自分を律し、自分を高めてゆくよりない。
 それを今度はわが身の振り方に思いを巡らせてみると、いったいどんな一面が見えてくるだろうか、というのが、次の<謙遜>に書いてある。
 ここでは主という存在が上にあるけれど、そのまま会社での振る舞いに置き換えて考えてみることができるだろう。但し注意しなくてはならないのは、「へりくだる」ことは「へつらう」ことではない、ということだ。欠勤や遅刻などせず真面目に勤めあげ、実直に仕事をしていれば昇進することもあるだろう(双方が合意するならば)。それが実は落とし穴で、人によっては転落のきっかけとなる。偉くなったら、上の者には勿論、同じ職場で働く人たちに対して、自分の方からへりくだり、けっして地位ゆえに増長したり、傲慢になったり、勘違いしたりしないようにせねばならぬ。
 ──わたくしはそんな風に専ら読めてならなかった。もしかすると、現在の自分について、上役の巡らす思惑を(その一端ながら)察しているせいかもしれぬ。
 旧約聖書続編、第二正典とされる書物のうち、「シラ書」は往古より読まれてきたものである、という。即ちそれは、世代を重ねて読まれ続けて思想形成に貢献してきた、と言い換えてよい。ならば本章などは、今日のヨーロッパ、否、欧米諸国に於ける福祉政策のほぼ出発点にあるもの、というて構わないかも。



 今日は、ちょっと書き疲れました。いまTSUTAYAにいるのですが、これの筆を擱いたら映画のDVDを借りて、帰ろう。◆

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