第1719日目 〈シラ書第6章2/2:〈誠実な友〉、〈知恵に近づけ〉with秋を肌で感じる一方で、──〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第6章2/2です。

 シラ6:5-17〈誠実な友〉
 聞いて耳に快い声は友人を増やす。聞いて心を気持ち良くさせる話し方は、気持ち良い返事を相手に促す。出会う人、出会う人と親しみのこもった挨拶を交わせ。それはとても良いことだ。が、1,000人と親しく声を交わしたとしても、相談相手に選ぶのはそのうちの1人に限れ。
 友を真剣に欲するならば、まずかれを試せ。相手を知らぬうちから相手を信頼するな。「都合のよいときだけ友となり、/苦難のときには、離れてしまう者がいる。/また、心変わりして敵となる友もいて、/争いでお前が吐いた悪口を暴露する。」(シラ6:8-9)
 食事のときだけ友だちヅラをする不埒者がいる。あなたの羽振りが良いときだけ寄ってくる不届き者がいる。そんな連衆は、ひとたびあなたが落ちぶれるやたちまち離れ、かつては友だちのように振る舞っていたことすら忘れた風をする。そんな連衆はあなたにとって敵でしかない。
 あなたは良き友、誠実な友を持て。かれはあなたの一生の宝となる。
 「誠実な友は、堅固な避難所。/その友を見いだせば、宝を見つけたも同然だ。/誠実な友は、何ものにも代え難く、/そのすばらしい値打ちは計り難い。」(シラ6:14-15)

 シラ6:18-37〈知恵に近づけ〉
 子よ、若い頃から教訓を受け入れ、老年となるまでに知恵を見出すよう努めて心掛けよ。知恵というのは農作物と同じで、収穫までになかなか苦労するけれど、それを経験して勤勉に努めたならば、やがて豊かな実りを手にして味わうことだろう。
 一方、教訓を受け入れぬ者にとって知恵は、忌むべきものでしかない。愚か者にとって知恵は、ただの重荷でしかない。
 知恵は目で見て手で触れる代物に非ず。子よ、私イエススの意見を聞け。私の忠告を拒むな。
 「心を尽くして知恵に近づき、/力を尽くして知恵の道を歩み続けよ。/足跡を追って、知恵を探せ。/そうすれば、知恵が見つかるだろう。/しっかりつかんだら、それを手放すな。/ついには、知恵に憩いを見いだし、/知恵は、お前にとって、喜びに変わるだろう。」(シラ6:26-28)
 教訓に喜んで耳を傾ければ多くを学ぶ。真摯に耳を傾ければ知恵ある者となることができるのだ。或いは、長老たちの集まりのなかに入ってそこへ立ち、汲めども尽きぬ泉の如きかれらの知恵を頼れ。(殊、われらが先祖の神にまつわることにはよく耳を傾けよ)
 もし洞察に富んだ人、思慮深き人と会ったら、朝早い時刻からでもその人のところへ通い、教訓に耳を傾け、知恵を得よ。
 「常に、主の命令を心に留め、/主の掟に専念せよ。/主御自身が、お前の心を強め、/お前の切望する知恵を与えてくださる。」(シラ6:37)

 ここ──〈知恵に近づけ〉に至って、わたくしは聖書のなかで繰り返し語られる<知恵>というものがどういうものか、朧ろ気にわかったような気がする。それはきっと健全な人生、健全な人格を築いてゆくための必需品なのだろう。主を知る、というのが当時にあっては第一義であったろうけれど、今日に於いてそれを説くならば、健全な人生を送り、健全な人格を形成する、という意味合いとなるのではないか。要するに世界の理を知り、道徳を知り、法を知る、ということだ。この「知る」というのは2つあって、勉強によって知るのと経験によって知ることである。
 常に知恵を求めて探し、摑んだそれを喜びとせよ。その歌い出さんばかりの歓喜にあふれているのが、上で引用もしたシラ6:26-28だ。
 ところで、前半の〈誠実な友〉を読んで、上田秋成「菊花の契」を想起するのはわたくしのみであろうか。これは心の浅薄な人とは友情を結ぶなかれ、と訴える一編である。
 万が一、「菊花の約」を読んだことがないならば、今日を契機にぜひ。過日、本ブログにて取り挙げた『雨月物語』所収の作品である。図書館で岩波書店の日本古典文学大系や中央公論社の『上田秋成全集』(未完!)を借りてくるのもよいが、校注の行き届いた前者であっても古典に不慣れな人には難儀かもしれない。ならば文庫はどうか。現在も新刊書店の棚にあって入手し易いのは、講談社学術文庫と石川淳によるちくま文庫の現代語訳か。しかし『雨月物語』を読むならいちばんのオススメは、原文と現代語訳が揃い、要を得た註釈と解説を備えた鵜月洋が訳注を担当した角川文庫だろう。
 なんだか〈誠実な友〉について話すつもりが妙な具合に脱線しちまったが、わたくしの誘いの言葉に踊らされて「シラ書」を読み、『雨月物語』「菊花の約」を併せ読まれた方は、きっとこの脱線に納得し、諒としてくださるはずだ、と思うのだ。
 まあ、〈誠実な友〉については読者諸兄、さまざま感じるところがあるだろうから、まずは虚心坦懐に読書していただくのが宜しいか、と。



 クーラーなしでも過ごせる日が続くようになりましたね。明け方の風の泠、庭でそぞろに鳴く虫の声、もはや秋であります。勿論、これから反動のように暑い日が続くことがあるのかもしれませんが。
 この秋めく日の訪れが安定すること甚だ少ない大気の影響であるのは承知しています。関東では、涼しくなったね、天気予報だと雨の日が続くようだね、とノンキにいうていても、西日本では広島市の土砂災害があったり、近畿から中国地方にかけての一帯にある自治体からしばしば天候不順に伴う警報など出されているのですから、この秋めいた気配を喜ぶ気にはあまりなれないというのが本音。
 それではあってもわたくしはこんな時季になると、『古今和歌集』に収められる和歌を口ずさんでしまうのです。これは仕方のないこと。和歌とは即ち、──
 <秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のをとにぞ驚かれぬる>
──詠み人は、藤原敏行。◆

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