第1721日目 〈シラ書第8章:〈良識ある行為〉withみくらさんさんか、ガス欠気味。〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第8章です。

 シラ8:1-19〈良識ある行為〉
 権力者と争うな。裕福な者と喧嘩するな。口数の多い者と争うな。粗野な者をからかうな。私イエススはあなたに伝える。連衆はあなたにとって益とならざる者だからだ。
 あなたが真摯に罪から離れて誠実な人、正しい人となることを望んで行動するなら、かれらに近附いたり、或いは咎めたりしてはならない。かれらはたしかに罪と罰の人。が、忘れてはならぬ、「わたしたちは皆、/罰に値する者」(シラ8:5)なのだ、ということを。
 年寄りを侮蔑するな、軽んじるな。他人の死を喜ぶな。いずれも誰しもが行き着くところ。
 先人は知恵の泉;「知恵ある人の話をなおざりにせず、/その格言に心を留めよ。/そうすれば、そこから教訓を学び、/王に仕えるすべを身につけることができる。/老人たちの話を聞き逃すな。/彼らも、その先祖たちから学んだのだ。/そうすれば、そこから知識を学び、/必要なときに答えることができる。」(シラ8:8-9)
 罪人と雖もその内に情欲の灰を持つ。これを焚き付けて火を熾してはならない。傲慢な人の挑発に乗るな。自分より上の者にお金を貸すな。むやみに誰彼の保証人になるな。裁判官相手に訴訟を起こすな。浅薄で無計画な人と旅をするな。気の短い者と行動を共にするな。馬鹿に相談するな、他人の前で内緒話をするな。私イエススはあなたへ伝える。これらはいずれもあなた自身を危うくする。
 そうしてもう一つ、──
 「相手構わず、人に心を打ち明けるな。/また、相手構わず、人から恩を受けるな。」(シラ8:19)
──相手がどんな人間か、見極めて行動せよ。

 「シラ書」読書ノートになって2週間に入る。本章は今日まででいちばん筆に迷い、言葉に迷い、文章に悩んだ。が、不完全燃焼の感は否めぬが、どうにか困難を克服した気分ではいる。
 良識ある行為ということで、こういうことをしなさい、能う限りこのような施しを行いなさい、という言葉が、具体例を挙げて並ぶと思いきや、さにあらず。むしろ、こういうことをしてはいけません、ということがメインとなる。正道から外れる行いからはことごとく、努めて離れているようにせよ。
 ──ミもフタもない助言だが、そのストレートさ、そのシンプルさゆえに訴えかける力、大なり、と思うのだ。これに近しい言葉を『論語』に求めれば、「君子危うきに近寄らず」ということになろうか。……ふむ。
 イエススが本章に記した教えの数々を今日のわれらが固守しようとすると、とても生きにくい状況を生み出す結果となるかもしれない。まあ、そのあたりは臨機応変に、柔軟に、ということになるが、でも生きるにあたってすなおに耳を傾け、拠り所とするには良い言葉。
 2,000年以上昔の中東で書かれた書物のなかの言葉が、時空を超えたいまの世のわれらに直接的にも響く。──すばらしいことではないか。



 これまでの反動か、今日はひいこらいいながらようやくこの分量。溜め息ついちゃうね。
 エッセイの材料が見附からないので(ネタはあるが殆ど未成熟なのだ)、今月と来月購入予定の本。
 8月29日;荒俣宏編纂『怪奇文学大山脈──西洋近代名作選』第2巻 <20世紀革新篇>(東京創元社)
 9月18日;牧眞司、大森望『サンリオSF文庫総解説』(本の雑誌社)
 ……これだけである。がっくりと頭を垂らしたい気分だ。ちかごろ減少の一途を辿っている図書購入費。なんだか淋しいなぁ。その分が貯金に回っているのは健全かもしれないけれど。
 でも、やはりなんだかやりきれぬものを感じます。えへ。◆

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