第1735日目 〈シラ書第17章:〈人間の創造と賜物の賦与〉、〈神の裁き〉&〈主に立ち帰れ〉withコッパード『郵便局と蛇』再刊を契機に、ミドルトンとエイクマンの文庫化を希望する。〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第17章です。

 シラ17:1-14〈人間の創造と賜物の賦与〉
 人間は主により土から造られ、土に帰る。その短い有限の生のなか、かれらは全地に住まう生物を治める権能を与えられた。かれらは主により、主の持つ5つの能力を使うことを許された。即ち、思考と言葉、見聞きする能力、そうして想像力である。そこへ主が、6番目の能力として知性を、7番目の能力として解釈する理性を、かれらへ与えた。
 人間は主によって、主を畏れる気持ちを心へ植え付けられた。主の御業がどれだけ偉大であるかを語り、そのふしぎなることを代々伝えてゆくためである。そうしてかれら人間は、主により知識を授けられた。また、命をもたらす律法を受け継ぐこととなった。主を畏れることなく、何の規範もないままでは無益に死ぬばかりであるのを悟るように、という主の思いからである。
 ──主は人間と、永遠の契約を結び、自分の裁きを示す。人間は、主の大いなる栄光を見、主の厳かな声を聞く。

 シラ17:15-24〈神の裁き〉
 まず、主の目に人間の歩みはすべて露であり、その目を逃れることはできないことを知れ。そうして、すべての善、すべての罪も主の目にはっきり映っていることも。
 が、主は自分が創造したものを見捨てたりしない。殊イスラエルは主の長子として鍛えられ、ふんだんに愛を注がれる対象であった。戒めのため、敵の手にイスラエルを渡すことはあっても滅ぼしはしなかった。主の目は絶えることなく、イスラエルの上に注がれている。
 主は自分の創造物を大切に慈しむ。自分の息子、娘が過ちを犯したなら、悔い改める機会と心を与えてくれる。主は、「悔い改める者には、立ち帰る道を開き、/耐える力を失った者を励まされる。」(シラ17:24)

 シラ17:25-32〈主に立ち帰れ〉
 主の憐れみと、立ち帰る者への贖いはげに偉大なり。
 諸人よ、──
 「主に立ち帰り、罪から離れよ。/御前で祈り、罪を犯す機会を遠ざけよ。/いと高き方に立ち戻り、不正に背を向けよ。/〔主御自身が、お前を闇から救いの光に/導いてくださるから。〕」(シラ17:25-26)

 主が人間に与えた5つの能力とはなにか。シラ17:6に従うなら、それは判断力であり、舌と耳と目であり、よく考えるための心である。が、正直なところ、これではよくわからぬ。そこで考えた末、本ブログではこの部分をやや敷衍して、思考する能力と言語を操る能力(天地創造はまず主の言葉ありきで始まった!)、曇りなき眼で物事を観察する能力、すべての声ある者の物言いに等しく耳を傾ける能力、公正な判断を導くための想像力である、とする。神の権能と人間の職能を摺り合わせてゆけば、自ずとこのあたりで決着するであろう。
 なお、ちかごろ折りにつけ参照することのあるフランシスコ会訳ではこの箇所に註釈を付けて、「権威、力、想像力、恐怖心、統治権を指しているのであろう」(P1759 註1)という。ふむふむ成る程、と思えども、あまり納得のゆかぬ註釈でもある。
 わたくしは本章のそこかしこに、人生を健やかに生きるための知恵が塗りこめられている、と読む。神により分け与えられたものに従い、これを頼りとして生き、悪しき思いに囚われることなく正しく人生を歩め。いつのときでも主を畏れ、罪や不正に心が搦め捕られそうになったら主へ立ち帰るようにせよ。──本章はそれを、全32節を費やして滔々と語る。知恵とはつまり、神を知り、己を知り、世界(社会)を知り、そこから正しく生きるための術を身につける手段だ。
 或る意味に於いて「シラ書」前半のクライマックスを形成する章、というてもよいかも知れぬ。少なくとも、読みドコロの詰まった章ではある。
 それにしてもシラ17:26にある、お前を闇から救いの光に導いてくれる、というのは、実に救いに満ちた言葉ですね。そう思いませんか?
 本章と相通じるところとして、わたくしは第21章〈罪を避けよ〉という箇所を挙げたく思います。
 ──斯様にして読み直すことができただけでも、本ブログの更新を勇を持って中断した甲斐があった、というものであります。そう、中断のきっかけはこの第17章のノートが思うように書くこと叶わなかったのが原因の一つなのでした……。



 かつて国書刊行会の《魔法の本棚》シリーズで出ていたA.E.コッパードの短編集『郵便局と蛇』が、ちくま文庫から再刊されました。発売日に購入してありますが、どうやらこれの読書は諸般の事情により(呵々)年末年始の休みに持ち越しとなる様子です。
 このことについては後日、単独のエッセイとして述べるつもりでいますのでこれ以上のことは書きません。いま、コッパードの短編集に絡んでいうことがあるとすれば、前世紀末、同じ《魔法の本棚》シリーズから出ていたリチャード・ミドルトンとロバート・エイクマンの短編集も文庫化してほしいな、というささやかかつ烈しい希望。
 ミドルトンはその静寂ゆえ、エイクマンはその不気味さゆえに、わたくしはこの2人の作家を愛読するのです。この2人の創作はまったく以て真似することも分析して範とすることもできません。正直なところ、コッパードよりもミドルトン、ウェイクフィールドよりもエイクマンの方に愛が優りますね、わたくしの場合(但し、2014年9月現在)。えへ。
 国書刊行会といえば、そういえばわたくしが高校生の頃、《ドラキュラ叢書》なるものがありました。ここにも埋もれた良作が幾つもあるので、うち幾つかでいいから文庫として陽の目を見てほしいな、とも思います。◆

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