第1740日目 〈シラ書第22章1/2:〈怠け者としつけの悪い子供〉、〈始末に負えぬ愚か者〉&〈友情〉with御嶽山噴火の報に寄せて。〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第22章1/2です。

 シラ22:1-8〈怠け者としつけの悪い子供〉
 怠け者は汚らわしい。怠け者は牛の糞、或いは牛の糞の付いた石である。かれに触れた人は皆、手を振って汚れを払い落とす。
 しつけの悪い子を持つのは父親の恥である。たとえば、娘。分別があれば良縁に恵まれ、恥知らずであれば父の悩みの種となる。
 鞭によるしつけはいつ如何なるときでも得策だ。
 「良い生活をして、食べ物に不自由しない子供は、/両親の家の卑しさを覆い隠す。/人々を侮り、不作法で、横柄な子供は、/自分の親戚たちの良い家柄をも汚してしまう。」(シラ22:7-8)

 シラ22:9-18〈始末に負えぬ愚か者〉
 徒労だ、愚か者に教えたり、説明したりするのは。能う限りの力を費やしても、なに一つ頭のなかに残っていない。挙げ句に、教えてもらっていない、説明されていない、と仰せになる……。
 もうね、そんな愚か者には関わりを持たなくてよい。一切は無意味だ。
 「彼を避けよ。そうすれば、お前は安らぎを得、/彼の狂気に悩まされることはない。/鉛より重い重荷は何か。/その名は『愚か者』。ほかにはない。」(シラ22:13-14)

 シラ22:19-26〈友情〉
 「友をののしると、友情は壊れる。/友に向かって剣を抜いたとしても、/望みを捨てるな。まだ和解の道はある。/友と口論をしたとしても、/心配するな。まだ仲直りの道はある。/だが、悪口、高慢、秘密の暴露、だまし討ち、こういうことをすると、友人は皆逃げてゆく。」(シラ22:20-22)
 隣人が貧しいときに信頼を勝ち取れ。隣人が逆境にあれば、ずっと傍らにいてやれ。それは必ず、あとになってあなた自身を益することになるから。
 おお、あなたよ。友を守ることを恥と思うな。かれの前から姿をくらませたりするな。友ゆえにあなたの身へ災難が降りかかれば、それを知った者は皆、その友へ手出しすることを警戒するだろう。

 勤勉かつ敬虔の人にとって愚か者は相容れぬ異形の存在。ゆえに怠け者は汚らわしい、と呼ぶのは納得できる。それにしても、牛の糞同然の扱いとは! 唖然を通り越して、腹を抱えて呵々大笑したい気分だ。
 本章を読んで、内心相槌を打ったのは〈始末に負えぬ者〉、過去を顧みて嗟嘆したのは〈友情〉の小見出しを持った節の数々であった。
 それなりの社会生活を営んできたなら、幾ら教えても万事右から左なパンプキン・ヘッドの1人や2人、遭遇してきておろう。学生であれ社会人であれ、なんらかの理由あって孤立していない限り、友と思うた人との間に亀裂が生じかねぬような出来事の1つや2つに、出喰わしているのではないか。──そんな経験というか覚えのある人なら、個々の内容についてそれぞれなりに得心、首肯するところがあるのではないか、と思うのだ。
 わたくし? もう人生の折り返し点を過ぎて黄昏刻を目指すような年齢ゆえそれなりに諸事あったし、脛に疵持つ身でもあるので、心当たりは相応にある、とだけいうておく。まあ、叩いて埃の出ない人なんているわけないしな。呵々。



 遅ればせながら、御嶽山の噴火によって亡くなった方々にお悔やみ申しあげます。病院に搬送され治療を受けている方々の回復をお祈り致します。
 突然の噴火であったらしい。TVやラジオなどの報道よりも先に、TwitterやYouTubeでこの天災を知った人も多かろう。わたくしのTwitterにもフォロワーの方々からのツイートが分刻みで入ってきている。
 当初の予想よりもずっと大きな事態に発展しているこの噴火について、なんの力も言葉も持たないわたくしが発信することは一つもない。これに巻きこまれた方々の回復を祈り、亡くなった方々の無念とご遺族の悲しみを想うばかりだ。──斯様な事態に、わたくしは無力である。冷静に事態を見つめ、考えに言葉を与えることができない。
 かつてのバイト先に登山が趣味で、御嶽山にも登ったことがある者があることを、今回の報道を見て思い出した。2人いる。死傷者の名前が発表されるたび、或いは新聞にて死傷者の名前に接するたび、かれらの名前がないか、と確認する。東日本大震災のときもそうだった、宮城に住む学生時代の知己の女性の名前が載ることはないだろうか、と。
 ──天災に終焉のときが来ることはあるのだろうか。悲しみに終焉のときが訪れることはあるのだろうか。人の心に生まれた傷が癒やされることはない。記憶から薄れてゆくことはあっても、傷が完治することは絶対にない。わたくしはそれを経験している。
 悲しみや傷は、決して癒やされることも埋められることもないけれど、それでもわたくしは御嶽山の噴火によって人生を奪われた人々、大切な誰彼を奪われた方々、御嶽山の噴火によって人生の変化を余儀なくされた人々の<想い>を想像する努力を続けたい。……何様か、と中傷されるかもしれないが、これは、傍観者にしかなれないわたくしの正直な気持ちである。◆

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