第1796日目 〈バルク書第1章2/2、第2章&第3章1/2:〈エルサレムへの手紙──悔い改めの勧め──〉with婚約者の墓参りの日に覚えた感情について──遊ぶな、敬意を払え。〉 [バルク書]

 バルク書第1章2/2と第2章、並びに第3章1/2です。

 バル1:10-3:8〈エルサレムへの手紙──悔い改めの勧め──〉
 お金を送る際、バビロンの捕囚民は手紙を添えた。それに曰く、──
 このお金で神殿に備える種々の献げ物と香料を買い、主の祭壇へ然るべき献げ物をささげてください。そうしてバビロニア王ネブカドネツァルとその子ベルシャツァルの健康と長寿を祈ってください。それはこの地で暮らすわれらのためにもなるのです。われらの上には未だ主の怒りと憤りがのし掛かっているのですから。
 われらの主は栄光に満ち、正しいのに、われらの顔は恥で覆われている。いまを生きる者のみでなく、先祖たちまでも、主の御声に聞き従わず、悪いこと、罪とされること、恥とされることばかり行ってきた報いです。この事は既にモーセが出エジプトを果たしたその日、主から告げられていたとおりなのでした。数々の災いと呪い。モーセを通して民へ宣告されていたにもかかわらず、われらはそれを無視して思うままに振る舞いました。
 それがため、主はあらかじめ士師や預言者たちへ語ってきた警告を実行したのです。律法に記されたことがエルサレムを舞台に実行されたのでした。このようなことは天の下、どこでも行われたことはありません。「わたしたちは自分の息子や娘の肉を食べたのです。」(バル2:3 ex;レビ26:29)──主はわれらへ絶望を味わわせ、他に支配される側としたのです。
 エルサレムを舞台に計画は実行されました。その後もわれらの顔は恥辱に覆われています。われらは一部を除いて皆、カルデア人の国へ連れてこられ、その地に散らされたのでした。
 主よ、あなたへ祈ります。あなたの掟に従わず、背き、不敬虔なことばかりして、義を行いませんでした。主よ、あなたの怒りを去らせてください。離散の目に遭ったわれらを救い出し、恵みを与えてください。あなたの民を顧み、心に留めてほしい。
 「陰府におり、息を肉体から取り去られた者は、主に栄光と義を帰することができません。ただ、人を押しつぶし弱らせる大きな苦しみに遭って嘆き悲しむ魂と、視力の衰えた目、飢えた魂が、主よ、あなたに栄光と義を帰するのです。」(バル2:17-18)
 主よ、あなたはエレミヤを通して預言したことを実行し、われらに怒りと憤りを下しました。──バビロニア王ネブカドネツァルに従え。従うならばこのまま父祖の地に留まれよう。従わぬなら、お前たちは父祖の地から引き離される。喜びと悲しみの声、花婿と花嫁の声は絶え、ここは住む者なき荒れ地となろう──その預言にわれらは耳を傾けることがありませんでした。
 そうして、いまや見よ。先祖と王の墓から取り出された骨は、昼は暑さに、夜は霜に曝されている。犯し続けた罪ゆえの罰なのです。
 われらはあなたの言葉通り、国を去ってかの地へ植え付けられました。が、あなたはかつてモーセに、今回のような事態が起こったときに備えて、限りない寛容と深い憐れみを示してくれていました。曰く、「しかしお前たちは、捕らわれの地で本心に立ち帰り、わたしがお前たちの神なる主であることを悟る。わたしは心と聞く耳とを与える。こうしてお前たちは、捕らわれの地でわたしを賛美し、わたしの名を思い起こし、かたくなさと悪行から立ち帰る。主の前に罪を犯した先祖の歩いた道を思い起こすからである。わたしは、お前たちの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓った地にお前たちを連れ帰る。お前たちはその地を治めるだろう。わたしはお前たちの数を増やし、その数を決して減らすことはない。わたしはお前たちと永遠の契約を結び、わたしはお前たちの神となり、お前たちはわたしの民となる。わたしはもはやわたしの民イスラエルを、その与えた地から去らせることはない。」(バル2:30-35)
 主よ、われらは困難と悩みのなかであなたに叫びます。どうか憐れみを。あなたに罪を犯し続けた者たちの子孫の声に耳を傾けてください。先祖の罪を思い起こさず、いまはあなたの名と力を思い起こしてください。われらはあなたを讃えます。
 あなたは自分の御名を呼び求めるように、と、われらの心にあなたへの恐れを与えました。あなたに対して犯され続けた先祖の罪をすべて、われらは心から捨て去りました。
 「御覧ください。わたしたちは今捕らわれの身です。神なる主から離れ去った先祖のありとあらゆる罪のゆえに、あなたはこの地にわたしたちを散らし、恥辱と呪いにさらして罰を降されたのです。」(バル3:8)

 ベルシャツァルについては既に昨日触れたから、ここで改めて取り挙げることはしない。「なんのこと?」と仰る方はお手数だが、〈「バルク書」前夜〉と「ダニエル書」の該当箇所をお読みいただきたく思う。
 ここでは併読いただきたい箇所を記すに留める。曰く、──
 バル2:21-23の対応箇所はエレ25:9-14〈神の僕ネブカドネツァル〉、バル2:29-35の対応箇所はレビ26:3-45〈祝福と呪い〉となる。「エレミヤ書」と「レビ記」の内容を踏まえた記述が「バルク書」でされている以上、旧約聖書に収められた2つの書物の併読をなるべくならお願いしたいと考えるのだ。



 信じる宗教が何であっても死んでしまえば結局は先祖代々のお墓に入るのだな。今年、最後から2番目の大切な日を済ませて、本ブログの原稿をパソコンで作成しながら、そんな風に思うたのであります。
 本日は婚約者の命日。東京は終日、雨が降っていた。こんな日の霊園は雰囲気がありすぎますね。人気がまったくないのは勿論として(いちおう、今日は平日なのですよね)、親しい人のお墓の前へ立つのにこの天候は、あまりになにかを期待させずにはおかない状況です。たまにはわたくしの前に姿を現しておくれよ、ただ一人の人。
 ──そこは心霊スポットとして名高く、その類の番組で投稿映像と称するものが紹介されることしばしばな場所なのだが、それらを観るたびどうしてそんなに愚かなことをしたいのか、さっぱり理解できない。霊障や霊体の撮影や目撃を目当てに死者の静かな眠りを妨げることはしないでほしいのだ。斯様な連衆が物好きでやってくるから、そこに自縛する霊はかれらに牙を剥く。
 軽はずみで行った行為ゆえに、取り憑かれた、とか、精神的におかしくなった、とかほざくのは勝手だ。が、それは自業自得。死者と、かれらが眠る場所へ敬意を払うことのできない連衆が斯様な症例に見舞われたとしても、かれらへ寄せる慰めの言葉なんてありませんな。あるはずもない。連衆は被害者ではない、加害者である。その程度の自覚もないのだろうか?
 死者とその眠る場所に敬意を払え。そこは遊び場ではない。
 実は今日、婚約者の墓参りでそこへいる間、ハンディ・サイズのヴィデオ・カメラを持った集団を一組、目撃した。それを見て、心のなかに怒りと憤りと哀しみが湧きあがるのを感じた。どこへも持ってゆきようのない、そうして文章を書く以外の扱いがしかねる感情であった。それを鎮めるための本稿となったことを深謝する次第である。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。