第1798日目 〈バルク書第4章2/2&第5章:〈エルサレムへの励まし〉with新しいCDラジカセを買おうと思うのだけれど、……。〉 [バルク書]

 バルク書第4章2/2と第5章です。

 バル4:4-5:9〈エルサレムへの励まし〉
 イスラエルが敵の手に渡されたのは、神の怒りに触れたがためである。滅びのためではない。イスラエルよ、お前たちは主なる神に規定の献げ物をささげず、代わりに悪霊即ち異教の神に献げ物をささげた。育て主である神を忘れて養い手であるエルサレムを悲しませた。それゆえ、神の怒りが下ったのである。
 そのエルサレムはいう、──
 神が遠くから一つの民族を差し向け、愛する息子たちを連れ去り、娘たちを奪って、わたしを独りぼっちにした。わたしはわが子の罪ゆえに孤独となりました。
 わたしは平和の衣を脱ぎ、祈願のための粗布をまといます。わたしは命ある限り、永遠の神に向かって叫びます。子らよ、あなたたちも声の限りに叫びなさい。きっと圧政から解放されましょう。わたしは信じています。
 「わたしは悲嘆のうちに/あなたたちを送り出しましたが、/神はあなたたちを歓喜のうちに/永久に返してくださるでしょう。」(バル4:23)
 子らよ、いまはただ、神の下した怒りに耐え、忍ぶのです。が、あなたたちをわたしの許から連れ去った方は、あなたたちのことを忘れたりしていません。覚えてくださっています。
 「あなたたちはかつて神からの/離反をたくらみました。/回心して、/今度は十倍の熱心さで神を求めなさい。/あなたたちに災いをもたらされた方が/あなたたちを救い、/永遠の喜びを与えてくださいます。」(バル4:28-29)
──と。
 エルサレムよ、東を見よ。かつてお前が嘆きと悲しみのうちに送り出した息子、娘が帰ってくる。お前はこれを喜びを以て迎えよ。東からも西からも、離散した民がお前を目指して帰ってくる。「聖なる者の言葉によって集められ、/神の栄光に浴して喜びつつ帰ってくる。」(バル4:37)
 さあ、エルサレムよ。悲しみの衣を脱げ。不幸の衣を脱げ。代わってお前が身にまとうべきは、義。そうして頭には、永遠なる栄光の衣を戴け。お前は神から<義の平和、敬神の栄光>と呼ばれ、その名を永遠のものとする。
 ──神は帰還する民のため、山に、丘に、谷に命じる。低くなり、埋まって平地になれ、と。神は帰還する民のため、森に、香り高いすべての木に命じる。エルサレムの息子たち、娘たちのために木陰を作れ、と。
 「神は自らの慈しみと義をもって栄光の輝きを表し、/喜びのうちにイスラエルを導かれる。」(バル5:9)

 前半と後半の対比が著しく感じられる章であります。悲嘆から希望、栄光へ。エルサレムの悲しみが深ければ深い程、希望から生じた喜びが大きければ大きい程、「バルク書」は圧倒的推進力を持って歓喜に満ちた、交響曲の大コーダにも喩うべき高揚感に包まれて終わる。希望の曙光。これがもたらす感動は、「歴代誌・下」や「ヨブ記」或いは「ルツ記」とも共通する。
 この「バルク書」は短いながらも勇気と希望にあふれた、まさしく「励ましの書物」といえるだろう。──となれば、やはり続く「エレミヤの手紙」はバル6ではなく、独立した書物として扱うのが自然か。

 「バルク書」は本日を以て読了となります。ちょっと駆け足になってしまったので文章が粗かったり、読みが浅かったりするかもしれませんが、わたくし自身にとって、非常に満足して擱筆できた書物であります。
 すこしずつ、旧約聖書続編を読み終えるその日が具体的に姿を現し始めたように思います。このまま、気を緩めず一歩ずつ足を前に進めてゆきましょう。



 借りていたCDラジカセの調子が悪くなってきました。だいぶ酷使したり、時にはずっと放置していたから、そろそろ寿命というべきなのかもしれない。修理すれば使えるだろうけれど、修理代よりも新しい機種を購入する方が安くつくかもしれませんしね。後ろ髪引かれる思いを断って、新しいものを買おうと思う。
 実はすこぶる様子がおかしくなってきた頃から家電量販店を覗いて回っているのだけれど、ちかごろは売り場にラジカセが占める面積が狭くなってまいりましたな。別にラジカセじゃなくてミニコンポでも構わないのだけれど、それを置くスペースを部屋に確保しなくてはならないので、ミニコンポの実現性はちょっと低い。そうなるとラジカセという選択肢に戻るわけだが、今度は検討できる機種がたちまち減ってしまうのが難点。
 勿論、CDは必要である。ラジオも必要である。MDはいらない、無用の長物。そうしてどうしても必要なのが、懐かしのカセットなのだ。中学生の頃から社会人になる頃までにエアチェックした数々のカセットが、いまでもわたくしの部屋の棚には眠っている。同好の士から譲ってもらったクラシックの名演奏家たちのライヴ録音が、カセットの磁気テープに記録されている。レンタルレコード店で借りたレコード、友達の持つレコードを録音したテープが、残っている。これらを聴きたいのだ。デジタル音声化する手段もあるけれど、やはりカセットテープという媒体で鑑賞したいのだ。
 となると、選択肢はとても少ない。殆どない、というてよいぐらいだ。然るべき場所へ赴けばぐっと増えるのかもしれないけれど、いまのわたくしは多摩川の向こうに行って再び電気街の地を踏む気分にはなれないでいる。インターネットで調べてみても、所詮は帯に短し襷に長し、だ。選択肢の少なさゆえに溜め息を吐いてしまうとは思わなんだ。
 ゆっくり探すつもりでいるが、その間に徐々に機種が減って悠希はしまいか、残るのは自分の用に供さぬ物ばかりとなるのではないか。そんな不安も心の片隅で飼っている。◆

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