第1803日目 〈ダニエル書補遺:〈スザンナ〉withこの世を生き抜くためにも、わたくしはウッドハウスを読む。〉 [ダニエル書・補遺]

 ダニエル書補遺〈スザンナ〉です。

 スザ1-64〈スザンナ〉
 むかし、帝都バビロンにヨヤキムというユダヤ人がいて、ケルキアの娘スザンナを娶った。ヨヤキムは評判の良い富者であり、スザンナは主を畏れる正しい女性である。その人柄ゆえ、バビロンのユダヤ人たちはヨヤキムの家に出入りし、談論風発、徳と知と義の席を楽しんだ。
 このなかに、今回の事件の原因となった2人の長老がいた。かれらはスザンナに欲情して、なんとか彼女を自分の下に組み伏したい、と日夜破廉恥極まりない妄想をしている。かれらは互いがまったく同じことを考えているのを知らなかった。
 或る日、いつものようにヨヤキムの家に集まっていた人たちは昼刻になると、三々五々と自分たちの家に帰って行った。2人の長老も紛れて帰るふりをして、そっと戻ってきた。ヨヤキムの家で再びばったり顔を合わせることで、やっとかれらは、自分たちが同じ思いを抱いているのを知ったのである。そうしてかれらは結託した。
 さて。スザンナは毎日午刻になると水浴びに来る習慣だった。その日も同じだった。彼女は卑女に庭園の扉を閉めて下がるようにいうと、いつものように水浴びをした。水浴び場のある庭園にいるのはスザンナの他、木陰に隠れてスザンナの艶姿を覗き見している2人の長老だけである。
 もはやかれらは我慢できなかった。スザンナの許へ駆け寄ると、2人がそれぞれ互いに自分の欲情を訴え、行為を迫ったのである。
 長老たちの好色に彼女は嘆息し、「主の前に罪を犯すよりは、あなたたちの罠にかかる方がましです」(スザ23)といった。長老たちは喜んだ。と、突然スザンナが叫び声をあげた。
 2人も各々に叫び、1人が庭園の扉を開け放ち外の者を呼ぶ。集まってきたヨヤキムやスザンナの従者たちは、女主人の不義密通を長老たちから子細に聞かされ、赤面した。むろん、それは2人の長老たちの保身とスザンナ憎しが生んだ偽証である。
 スザンナは自分が交わることを拒んだ長老たちの偽証によって、いまや死刑が決まり、刑場へ引き連れられてゆく。彼女は天を仰ぎ、イスラエルの神なる主に無実を訴え、救われることを祈った。──それは主に聞き届けられた。
 神の霊がダニエルに触れ、かれの内の聖なる霊が呼び覚まされた。ダニエルは、わたしは彼女の血についてなんの責任もない、と衆人のなかで宣言し、スザンナを刑場へ連れて行く一行に向かって、証言は偽りであるから裁きをやり直すよう伝えた。好色爺たる例の2人以外の長老たちは、ダニエルを迎えて真ん中に坐らせ、かれに事件を裁かせた。神があなたに長老の特権を与えたのだから、と。
 ダニエルは2人を別々に尋問した。スザンナと情人が抱き合い、肌を重ね、貪り合っていた、とお前はいう。では彼女たちがまぐわっていたのはどの樹の下であったか。
 別の場所で1人がいった。乳香樹の下だ、と。
 別の場所で1人がいった。柏の木の下だ、と。
 この偽りの証言をそれぞれに聞いて、ダニエルは判決を下した。まさしくお前たちは致命的な偽証をした。「神の使いが剣を持ち、あなたを真っ二つに切り裂こうと待ち構え、あなたたちを打ち滅ぼす。」(スザ59)
 斯くして2人の長老は、自分たちがスザンナに対して行おうとしていたこと、即ちモーセの律法に従って処刑されたのだった。スザンナには不貞の事実がなかったこともわかった。こうしてこの日、無実の人の血が流されずに済んだのである。
 人々は神を讃えた。その日以来、ダニエルは偉大なる人として皆に慕われた。

 このように、複数の証人を別々に尋問して証言の裏付けをとる方法は、古代に於いては珍しかったそうである。今日では当たり前の方法だが、いにしえの時代、こうした場合は皆の証言が一致すれば、それで「正」とされた由。
 しかし、これはダニエルが公正なる義の人であることにスポットを当てる道具立てでしかあるまい。われらがまず味わうべきは古代の裁判方法とこの物語の新しさを知ることではなく、むしろ主を畏れる人が八方塞がりの苦境から救い出される清々しさであり、ノアやヨブと並び称される義の人ダニエルの公正明大ぶりであろう。
 「エゼキエル書」はこの3人を並べて讃えるが(エゼ14:14,20)、その信念のブレのなさ、という点から見れば、ダニエルこそ第一等の人である、とわたくしは思うている。
 そうして、──
 自らの保身を計って他人を人身御供とし、陥れて己が罪を隠蔽する者は呪われよ。



 最近の読書はP.G.ウッドハウスである。春風駘蕩、笑いの桃源郷。幾らも評されるが、わたくしにはウッドハウスの小説は、いまや数少なくなった逃れ場である。絆創膏である。寝酒である。良き夜の夢を約し、憂い少なき朝の来ることを約してくれる。
 日本語で読めるウッドハウスもいまでは20冊を超える。いまは汚濁末法の世。卑賤と無礼が幅を利かせるいまはまさに乱世。この汚濁末法の世を健やかに、たくましく、したたかに生き抜くため、わたくしはウッドハウスの小説を枕頭また懐中に侍らせる。
 そうしてそのしあわせに満ち足りて、ロバート・ブラウニングの有名な詩を口ずさむんだ。「時は春、/日は朝、/朝は七時、/片岡に露みちて、/揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、/神、そらに知ろしめす。/すべて世は事も無し。」(「春の朝」上田敏・訳)
 これってたしか、われらがバーティー・ウースターも口にしていたっけな。◆

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