第1813日目 〈エズラ記(ギリシア語)第8章1/2:〈エズラの登場〉、〈エルサレムへの帰還〉他withウッドハウス描く超弩級ののどかな世界に助けられている。〉 [エズラ記(ギリシア語)]

 エズラ記(ギリシア語)第8章1/2です。

 エズ・ギ8:1-7〈エズラの登場〉
 第二神殿が完成し、奉献も済んだあとのエルサレムにエズラがやって来る。かれはレビ人、ピネハスの一族に連なる。ペルシア王アルタクセルクセス王によって派遣されてきたのだ。エズラはアルタクセルクセス王第7年の第1の月の新月の日、第2次帰還団といっしょにバビロンを発ち、同じ年の第5の月の新月の日にエルサレムへ到着した。
 かれは、律法に精通した書記官としてエルサレムへ上ってきた。「学識豊かなエズラは、主の律法と掟を一項たりともおろそかにせず、全イスラエルに定めと裁きの一切を教えた。」(エズ・ギ8:7)

 エズ・ギ8:8-24〈アルタクセルクセス王の勅令〉
 帝都スサのアルタクセルクセス王からエルサレムのエズラへ勅書が届けられた。その写しに曰く、──
 いま、わが国内にいるユダヤ人のうち希望する者あらば、あなたはかれらをユダヤ/エルサレムへ連れ帰ってよい。その際、ユダヤとエルサレムの現状が律法に書き記されている通りか、調査してみよ。エルサレムの神殿にていけにえや奉献品が律法に従ってささげられているか、調査してみよ。
 わたしは、かつてバビロニア王ネブカドネツァルが略奪した神殿の祭具類をお前たちに返還する。これを神の御前に安置せよ。なお、神殿で使うのに必要なものは、いずれも国庫からの支払いとなる(但し、品によって上限額あり)。
 「神の律法の書に従って行うことはすべて、至高の神のために細心の注意を払って行え。王とその子孫の国の上に神の怒りが臨まないためである。」(エズ・ギ8:21)
 また、以下の者たちからは税を徴収することも、貢ぎ物を受け取ることもしない。対象となるのは、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人及び神殿で働く者たち。
 エズラよ、あなたは神の意志に従い、シリアとフェニキア地方の住民から裁判官と判事を任命せよ。あなたの神の律法を心得るすべての者のため、律法に通じた裁判官と判事を任命せよ。

 エズ・ギ8:25-27〈感謝の言葉〉
 主のみこそ幸いなれ。王の心に斯くの如き思いを起こし、多くの人の前でわたしに名誉を与えてくれた。

 エズ・ギ8:28-40〈同行の帰国者〉
 わたしは、父祖の地への帰還を臨む多くの同胞といっしょに、バビロンからエルサレムへ上ったのである。エルサレムへ帰還したその数、1,704人。

 エズ・ギ8:41-48〈神殿奉献者の招集〉
 かれらとわたしは3日間、テラの河畔に宿営した。そこでわたしが気附いたのは、今回の帰国者のなかに祭司族の者もレビ族の者も、1人としていない、という事実だった。
 そこでわたしは指導的地位にあって知恵に優れたる人々、即ちエレアザル、イドエル、マアスマン、エルナタン、シェマヤ、ヨリブ、ナタン、エナタン、ゼカルヤ、メシュラムの許へ使いを出し、かれらが王室財務担当の管理アダイにと接見して、われらの主のため神殿で祭司の職務を果たしてくれる者たちを選んで、宿営中の第2次帰還団に加わらせるよう促した。
 そうして選ばれて合流したのが、レビの子マフリの子孫で特に知恵に優れた者たちであった。その数、284人。

 エズ・ギ8:49-53〈旅の安全の祈願〉
 わたしはテラ河畔でかれら全員に、道中の安全を主へ祈るよう求めた。
 第1次帰還団のときと異なり、今回は護衛の歩兵や騎兵たちの同道を要請するのは憚られた。というのも、わたしは既に、アルタクセルクセス王にこう申しあげていたからだ。曰く、──
 「主の力は、主を求める人と共にあって、常に正しい方へ導かれる。」(エズ・ギ8:52)
──と。
 われらは旅路の安全を主に願い、主の憐れみを得た。

 エズ・ギ8:54-59〈祭具類とその運び手〉
 わたしは返還された祭具類の運び手として、祭司の家系の長たちのなかから12人、シェレブヤとハサミアとその兄弟たちから10人の男子を選んだ。そのあと、祭具類の重さを量り、22人の運び手に向かって、これらの祭具類はエルサレムにいる祭司とレビ族の長、イスラエルの各部族の長に、神殿の祭司質で引き渡す品なので心して運ぶように、と言い含めた。
 「こうして祭司とレビ人は金と銀、および本来エルサレムにあるべき祭具類を主の神殿へ運ぶことになった。」(エズ・ギ8:59)

 エズ・ギ8:60-64〈エルサレムへの帰還〉
 わたしエズラと第2次帰還団は、アルタクセルクセス王第7年第1の月第12日にテラ河畔を出発し、同年第5の月の新月の日にエルサレムへ到着した。主の力強い助けにより、敵に襲撃されることなく無事に都へ入ることができたのだった。
 到着して3日後、金と銀は量り直されてから神殿にて祭司メレモトへ引き渡された。その場にはピネハスの子エルアザル、イエシュアの子ヨサブド、サバンの子モエトが立ち合った。
 第2次帰還団の元捕囚たちは、イスラエルの神なる主のためいけにえをささげた。また、王の勅書を王の財務官とコイレ・シリアの長官、フェニキアの長官へ手渡した。そうして、この民族と主の神殿の栄光を讃えたのである。

 エズ・ギ8:25から明日読むエズ8:87までは、書記官にして祭司、律法の朗読者であるエズラの一人称となる。<エズラの報告>、<エズラの記録>など呼ばれる由。
 ヘブライ語「エズラ記」の並行箇所は第7-8章となる。小見出しの数に惑わされているのかもしれないが、ヘブライ語「エズラ記」の方が流れはずっとスピーディーで、枝葉末節が殆どない。枝葉末節とは相応しくない表現かもしれぬが、その分、ギリシア語「エズラ記」は描写がより生彩かつ詳細、具体的で、しかも豊かさと奥行きが増していて、その分読み応えを感じるところでもある。
 ノートの手間はかかるし、読書中にすこしでも意識がそれると「あれ?」となるときもないではない。それだけ集中を求められると言い換えてもよいが、斯様なことありと雖も個人的には読んでいて楽しいのは、何年も前に読んだヘブライ語よりもこちら、ギリシア語「エズラ記」なのである。おかしいかな?



 ウッドハウスを読み耽っているのは相変わらずのことなれど、超弩級ののどかさがふわふわ漂っているこの人畜無害、底抜けに脳天気、極めつけの春風駘蕩ぶりに、いつの間にやら搦め捕られてしまっていて、最早これなくして汚濁末法のこの世を生き抜くことはできそうもない。
 しかしながら──数日前に書いたことの早くも焼き直しのようで恐縮かつ恥ずかしいのだけれど、だがこの数日というものウッドハウスの小説を読んでいるからこそどうにか精神の平衡を保てているのだ、と感じること頻り。仕事の上でも、私事であっても、本ブログに於いても、それは然りだ。
 読んでいて楽しいとはいえ、目下目の前に迫ったタイムリミットを意識せざるを得ない状況にある本ブログである。明日からは「エズラ記(ラテン語)」という、素手で挑んでゆくより他ない書物の読書が2週間強にわたって開始される。精神的圧力は相当のものである。へこたれそうだ。意思をくじかれて挫折するかもしれない。
 そんなわたくしの気持ちの支えになっているのが、ウッドハウスの小説なのである。これなくして云々とはあながち誇張でもなんでもないことを、読者諸兄にはここで一つご理解いただきたいのだ。つくづくこんなときに読んでいるのが他の小説家の作品でなくて良かった、と思うのである。
 そろそろ終電の時間である。今宵はここで「ちゃお!」としよう。◆

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