第1850日目 〈マタイによる福音書第4章:〈誘惑を受ける〉、〈ガリラヤで伝道を始める〉他with1日が30時間ぐらいあったら良いのに。〉 [マタイによる福音書]

 マタイによる福音書第4章です。

 マタ4:1-11〈誘惑を受ける〉
 その後、イエスは悪魔からの誘惑を受けるため、霊に導かれて荒れ野に行った。
 40日40夜の間断食して、空腹を覚えるようになった。するといよいよ誘惑者が現れて、イエスにいった。お前は神の子だろう? ならば辺りに散らばる石ころをパンに変えて、空腹を満たせ。誘惑者に答えてイエスの曰く、──
 「『人はパンだけで生きるものではない。/神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」(マタ4:4,申8:3)
 次に、誘惑者によってイエスは聖なる都へ連れてゆかれ、神殿の屋根の端に立たされた。誘惑者がイエスにいった。お前は神の子だろう? どうせ怪我の一つもしないのだろうから、飛び降りてみたらどうだ。それに答えてイエスの曰く、──
 「『神があなたのために天使たちに命じると、/あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』と書いてある。」(マタ4:6,詩91:11-12)続けて、「『あなたの神である主を試してはならない。』と書いてある。」とも(マタ4:7,申6:16)。
 更に、誘惑者即ち悪魔によってイエスは高い高い山へ登らされた。その頂で、眼下に見える世のすべての国々と繁栄している様を見せられた。悪魔がイエスにいった。俺にひれ伏して崇めるなら、これらの国のすべてをお前にやろう。それに答えてイエスの曰く、サタンよ去れ、──
 「『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ。』とかいてある。」(マタ4:10,申6:13)
 悪魔は去った。天使らが来てイエスに仕えた。

 マタ4:12-17〈ガリラヤで伝道を始める〉
 イエスの耳に、洗礼者ヨハネ逮捕の報せが届いた。そこでかれはガリラヤ地方に戻ってナザレを引き払い、更に北のガリラヤ湖畔の町カファルナウムに移ってそこに住んだ。──かつて預言者イザヤを通して語られたことの実現である(イザ8:23-9:1)。
 カファルナウムの町を拠点として、イエスは自身の伝道──「悔い改めよ、天の国は近づいた」(マタ4:17)──を開始した。

 マタ4:18-22〈四人の漁師を弟子にする〉
 ガリラヤ湖の畔を歩いていたイエスは、湖上で網打ちをする、漁師の兄弟シモン(ペトロ)とアンデレを、また、同じように湖上にいて網の手入れをする、ゼベダイの子で漁師の兄弟ヤコブとヨハネを、それぞれ呼んで弟子にした。
 「わたしについて来なさい、人間をとる漁師にしよう」(マタ4:19)とは、イエスがシモンとアンデレ兄弟にかけた言葉である。。

 マタ4:23-25〈おびただしい病人をいやす〉
 カファルナウムを拠点としたイエスの伝道は続き、その地域は広がっていった。
 「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。」(マタ4:23-24)
 イエスの許に様々な病気を抱えた人たちが押しかけた。イエスはかれらを癒やした。かれらはガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川東岸のペレア地方から来て、イエスに従ったのである。

 イエスが本格的に自身で伝道を始めるにあたって拠点とした町カファルナウム。ここはガリラヤ湖の北西岸にあり、水陸の交易の要となった場所でありました。活気のある、賑やかな町だったことが想像されます。いろいろな地方、町や村の人たちが行き来したことでありましょう。
 そうした場所を活動拠点としたイエスには、なにか相応の目算があったはずであります。交易拠点ならではの人々の多様性に期するところもあったでしょう。弟子となる人材のスカウト、という点を視野に入れても、当時のイエスの活動範囲内に於いては、このカファルナウム程行動しやすい場所はなかったのかもしれません。
 本章にてイエスの12弟子として知られるようになってゆく4人が、初めて登場します。ペトロと呼ばれるシモンとアンデレ兄弟、そうしてヤコブとヨハネ兄弟であります。追々、かれらについての素描的エッセイを書いてゆきましょう。
 デカポリスについては過去に書いたような記憶があったので調べてみたら、一度も書いたことがなかった。ただ、旧約聖書続編「ユディト記」を読んでいたとき「スキトポリス」という町が出て来ています。このスキトポリスが、デカポリス即ち「10の町」の1つなのであります。
 ──デカポリスはガリラヤ湖南部とヨルダン川東岸地域一帯に広がる、かつてギリシアが侵攻して築いた、パレスティナに於けるヘレニズム文化の中心を担った地域でありました。旧約聖書でいえば、マナセの半部族、ギレアドの所領であった地域が、このデカポリスにほぼ重なる、といえば宜しいか。ここに10の植民町(衛星都市、というべきかもしれぬ)が造られた。その一つが先述のスキトポリスですが、ここのみヨルダン川西岸に位置しております。新約聖書の時代には、パレスティナを形成する一地方名として知られるようになっていたようです。

 本日の旧約聖書はマタ4:4と申8:3、マタ4:6と詩91:11-12、マタ4:7と申6:16、マタ4:15-16とイザ8:23-9:1。
 「『人はパンだけで生きるものではない。/神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」(マタ4:4)
 これの典拠は、
 「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」(申8:3)
 「『神があなたのために天使たちに命じると、/あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』と書いてある。」(マタ4:6)
 これの典拠は、
 「主はあなたのために、御使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。/彼らはあなたをその手にのせて運び/足が石に当たらないように守る。」(詩91:11-12)
 「『あなたの神である主を試してはならない。』と書いてある。」(マタ4:7)
 これの典拠は、
 「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。」(申6:16)
 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、/暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタ4:15-16)
 これの典拠は、
 「ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが/後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた/異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。/闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(イザ8:23-9:1)



 1日が24時間というのはたしかに短い。そう感じるようになった。
 いまだけの感慨だろうけれど、いまは切実に1日が30時間程あってくれたなら、と思うている。そうすればゆとりのある1日を過ごすことができるだろうに……。
 地球の公転速度がも少し遅くなったら、この珍妙な願いも叶うのだろうか? そのとき、生態系やわれらの暮らしにはどのような影響が出るのだろう?◆

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