第1866日目 〈マタイによる福音書第20章:〈「ぶどう園の労働者」のたとえ〉、〈イエス、三度死と復活を予告する〉他with完全版お披露目の報告。〉 [マタイによる福音書]

 マタイによる福音書第20章です。

 マタ20:1-16〈「ぶどう園の労働者」のたとえ〉
 天の国はこのようにたとえられる、とイエスはいった。曰く、──
 ぶどう園の主人が労働者を1日1デナリオンの報酬で雇った。夜明けに雇い、9時頃に雇い、12時と3時頃にも雇って、広場からぶどう園に送りこんだ。
 この主人が黄昏近い5時頃広場へ行ってみると、そこにはまだ何人かがいて、立ち尽くしている。どうしたのか、と主人が訊いた。まだ誰も雇ってくれないのです。かれらは立ち尽くしたまま、そう答えた。そこで主人はかれらを先の労働者同様、広場からぶどう園へ送りこんだ。
 さて、夕方。1日の労働の終わる時刻になった。主人は監督者を呼び、最後に来た者たちから始めて最初に来た者たちまで順番に賃金を支払ってやるよう命じた。監督者はそうした。
 ……最後に来た労働者たちは喜んだ。1日分の報酬が得られたのだから。最初に来た労働者たちは納得がいかなかった。最後に来た労働者たちと同額の賃金が渡されたからだ。そこでかれらは主人に詰め寄った。1時間しか働かなかった連衆と、夜明けからずっと炎天下のなかで働いたわれらが、どうして同じ賃金なのか。
 主人はいった。友よ、わたしが約束を違えたとでもいうのか。わたしはあなた方に1日1デナリオンの報酬を与える、といった。あなた方は今日の労働の対価として1デナリオンを受け取ったではないか。わたしは最初に来たあなた方にも、最後に来たかれらにも、同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいように使うことはいけないことだろうか。それとも、あなた方はわたしの気前の良さを妬んでいるのか? さあ、その日当を持って、家に帰りなさい。
──と。
 このように、天の国はたとえられる。あとから来た者が先となり、先に来た者があととなる。イエスはそういった。

 マタ20:17-19〈イエス、三度死と復活を予告する〉
 上洛の道すがら、イエスは12人の弟子たちだけを集めて、こう告げた、──
 エルサレムに着いたら人の子は捕らえられ、祭司長たちによって死刑を宣告される。そのあと、異邦人によって拷問され、十字架に掛けられて処刑される。が、人の子は3日目に復活する。

 マタ20:20-28〈ヤコブとヨハネの母の願い〉
 イエスの前にゼベダイの息子たち、即ちヤコブとヨハネの母が来ていうには、あなた様が王座に就いた暁には是非わが子をその右と左に坐らせてください、いえ、坐らせるとこの私にいってください、と。
 あなたは自分がなにをいっているのか、わかっていない。イエスはそういった。そうして母の傍らにいるヤコブとヨハネに訊ねた。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。
 首肯する兄弟にイエスはいった。確かにあなたはわたしの杯を飲むことになる。が、わたしの右に誰が坐るか、わたしの左に誰が坐るか、それを決めるのはわたしではない。そこへ坐るのは、わたしの父によって定められた人皆に許されていることなのだ。
 ……他の10人はこのことを知り、憤った。そこでイエスは12人の弟子たちを呼び集めて、──
 支配し、支配される関係が異邦人の間にはある。「しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」(マタ20:26-27)
 仕えられるためではなく仕えるために、人の子が来たのと同じように、多くの人の身代金として自分の命をささげるために、人の子が来たのと同じように。

 マタ20:29-34〈二人の盲人をいやす〉
 エリコからエルサレムへ延びる街道がある。その道端に2人の盲人が坐りこんでいた。かれらはイエスが通ると、憐れんでください、と叫んだ。イエス一行に従う群衆が2人を黙らせようとしたけれど、なおもかれらは叫び続けた。
 イエスは2人の前に膝を折ると、どうしてほしいのか、と訊いた。かれらの曰く、目が見えるようにしてほしいのです、と。イエスは深く憐れんで、かれらの目に手を触れた。すると、かれらの目は見えるようになった。
 かれらはその後、イエスに従う群衆の1人となった。

 「ぶどう園の労働者」は有名な喩え話である。西洋の社会保障制度の発達は、人々の生活のなかで新約聖書が繰り返し読まれ、そのなかでこの喩え話も社会へ浸透していったことが背景にある、という。事実かどうか調べる余力は自分にないが、納得させられもする。まあ、誰にでも等しく、実際の労働時間に関係なく同額の賃金がもらえる、というのは魅力的であり、羨ましく、実に良い話である──
 かもしれないが、ちょっと待ってほしい。本当に良い話なのか? 1時間しか働かなかった者にも10時間近く働いた者にも、等しく1日分の給与が支払われることが? ぶどう園の主人が広場へ行って労働者を雇い、ぶどう園へ送りこむ。ここで雇用契約が発生、成立する。契約内容として本章に記されているのは「主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った」(マタ20:2)のみで、あとは精々が9時に雇った人々に対して、「ふさわしい賃金を払ってやろう」(マタ20:4)という台詞があるぐらいだ。賃金については1日1デナリオンという日給のみが賃金に係る契約であり、そこに労働時間の多い少ないは考慮されていない。だから1時間しか働いていなくても、1日分の報酬が与えられるのは至極当然といえるのだろう。が、会社員がこの挿話を読むとどうも釈然としないものが残るのだ。夜明けから働いている人の言い分に肩入れし、主人の物言いに反発を覚えるのだね。
 1日1デナリオンが労働者の賃金であることは既に他でも述べた。この挿話に於いては、朝早くから来ている者も、昼と午後から来て働いた者にも、仕事にあぶれてその日はひねもすそこに突っ立っていた者にも、等しく同額の賃金は支給される。たっぷり働いた者にも、まったく働かなかった者にも、1デナリオンの日給が与えられるのだ。
 わたしはこのことについて不平をいうあなた方に対して、なに一つ不正なことはしていない。わたしは最後に来た者にも同じ給料を支払いたいのだ。自分のものを自分の思うようにするのがどうしていけないというのか。──ぶどう園の農主即ちイエスは、そういう(マタ20:13-15)。
 ──イエスは大工の子である。が、こんな喩え話を堂々とされると、この人は大工のヨセフの子であるというだけで、実際に大工なり何なりの生業を持って労働したことなどないのではないのだろうか、と訝しんでしまう。安い給料で賃金以上の仕事を求められるケースはいまも、おそらくは昔も大差ないと思うが、それであっても人は生活のため、家族のため、生存のために「勤労」の名の下に汗して働くことになる。
 そうした者からすれば、かりに安い賃金であろうとそれは自分たちが受け取って然るべき報酬であり、それゆえに、朝から来て働いていた人にとってはあとから来てなにもしない、乃至は半分の労働量しか提供しない者が自分たちと同額の賃金を受け取ることに不満を持ち、雇用主に訴えたくなるのは道理である。自分たちよりあとから来た者が同じ額の賃金を受け取るなら、かれらの実入りは実質的に朝から働いていた人よりも高い給料を得たも同じである。
 こんな喩え話を、よくもイエスは恥ずかしげもなく披露できるものだ。これが果たして<教え>といえるのか。この男は正気か? 自分の考えは如何なるものも常に正しい、と狂信する独裁者も同然だ。かれにとって労働は敵か、罪か。安息日以外の日に行われる労働とて一切白眼すべき行いなのか。流石、人の施しにすがって教えを宣べ伝えたトリック・スターだけある。イエスは労働を経験したことがあるのか。労働の対価としてのお金の重みを知ったことがあるのか。わたくしはいずれについても、ノーであるように思えてならぬ。
 この喩え話を西洋の福祉保障の端緒と見る人もいる。或る程度までは首肯できる。が、一方でイエスの教えの虚しさ、脆さ、不気味さを窺い知る格好のエピソードと取ることもできよう。すくなくともわたくしは、この喩え話を礼賛する側に回りたくない。朝から晩まで働いている人を愚弄、嘲笑しているように思える教えだからだ。なによりもイエスの脳みその中身や倫理観に疑問を持つ。
 ……長々と綴ってきたが、釈然としない、という一言が本章を読んでの感想、そのまとめとなる。拝読、感謝。



 ただいま、2016年09月23日15時48分。ヒューストン、報告がある。
 本日の記事は昨年2015年02月04日にお披露目した原稿の完全版です。「本日は当面、下記小見出しの感想のみお披露目とし、他については後日の公開とさせていただきます」とかつて書いた約束を、ようやく果たすことができました(「下記小見出し」とは〈「ぶどう園の労働者」のたとえ〉をいいます)。
 まさか聖書全巻の読書が終わったあとにこれを書くことになろうとは、たぶん当時は考えていなかっただろうなぁ。気掛かりではあったのです。いつか機を見て筆を執らなくては、と思い思いしつつも先へ進むことを優先した結果、新約聖書の読書はどんどん進み、執筆も紆余曲折を経ながらも同様に進み、いつの間にやら今日へ至った次第であります。
 これで懸念はなくなったかな。聖書読書・執筆に関しては「マカバイ記 一」と「エズラ記(ラテン語)」に専念すればいいかな。エッセイを別とすれば、記憶にある限りで抜けた箇所はもうないはずだが……。◆ 

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