第1868日目 〈マタイによる福音書第22章:〈「婚宴」のたとえ〉、〈最も重要な掟〉他withわがエデンの園はやがてソドムと化す。〉 [マタイによる福音書]

 マタイによる福音書第22章です。

 マタ22:1-14〈「婚宴」のたとえ〉
 イエスはファリサイ派の人々に、天の国について喩え話を用いて説明した後、こういった。「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」(マタ22:14)

 マタ22:15-22〈皇帝への税金〉
 ファリサイ派の人々はイエスの前を辞すと、どのようにしてイエスの言葉尻を捉えて罠に掛けようか、と相談した。そうして自分たちの弟子をヘロデ党の人々と一緒にイエスの許へ行かせ、美辞麗句でイエスを讃仰させた後、こう訊ねさせたのである。曰く、ローマの皇帝に税金を納めることは律法に適った行いでしょうか、と。
 イエスはかれらにいった。なぜお前たち偽善者はわたしを試そうとするのか。税金として納める1デナリオン銀貨には、誰の肖像、誰の銘が刻まれているか。ローマの皇帝であろう。ゆえにわたしはお前たちにこう答える、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(マタ22:21)と。
 これに驚く人々の前からイエスは去った。

 マタ22:23-33〈復活についての問答〉
 ファリサイ派と違って復活を否定するサドカイ派の人々がイエスのところに来て、モーセの言葉を引き合いに出して訊ねた。曰く、──
 或る人が子供を設けぬまま死んだ場合、弟は兄嫁を妻として兄の跡継ぎを設けなくてはならない、と聖書にあります。われらのところに7人兄弟がいますが、長男が子供を設けぬまま死んでしまったので、弟が義姉を嫁にしました。が、これも子供を設けぬまま死んでしまいました。下の5人も長兄の妻だった女と結婚しましたが、皆同じ運命を辿って終にはその女も死んでしまいました。かれら全員が復活した場合、果たしてこの女は兄弟のうち誰の妻になるのでしょう。
 イエスはかれらにいった。お前たちは思い違いをしている。聖書も知らず、神の力も知らないからだ。復活のときには娶ることも嫁ぐこともなく、ただ天使の如くになるのみである。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」(マタ22:32)
 人々は、イエスのこの教えを聞いて、非常に驚嘆した。

 マタ22:34-40〈最も重要な掟〉
 イエス、サドカイ派を論破する。──これを知ったファリサイ派はサドカイ派の人々と集まって相談した。そのうちの1人である律法学者がイエスの許に行って、律法のなかで最も大事な掟とはなんでしょうか、と訊ねたのである。
 イエスは答えた。それは2つある。1つは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、あなたの神である主を愛しなさい。」(マタ22:37)もう1つは、「隣人を自分のように愛しなさい。」(マタ22:39)……律法全体と預言者はこの2つの掟に基づいているのだ。

 マタ22:41-46〈ダビデの子についての問答〉
 イエスはファリサイ派の人々に訊ねた。メシアとは誰の子か。
 ファリサイ派の人々はイエスに、メシアはダビデの子である、と答えた。
 イエスはファリサイ派の人々にいった。ダビデは霊を受けてメシアを主と呼んだ。ならばどうしてメシアがダビデの子たり得ようか。
 「これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。」(マタ22:46)

 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」とは、いつかどこかで聞いた記憶のある言葉である。自分の持ち物のうち、正統なる持ち主が明らかなものあらば、それは自分のものではなくその人のものなのだから、ちゃんと返納しなさない、という主旨で合っているだろうか。
 税金の挿話に話を戻せば、銀貨に刻まれた銀貨に刻まれた肖像と銘ゆえにその銀貨は皇帝のものなのだから、ローマ皇帝に税金を納める行為は是であり、律法に適った行いである──イエスはおそらくそういうているのだろう、わたくしの理解が福音書の主旨、文脈に沿うたものであるならば。
 ところで、この銀貨はティベリウス銀貨であろうか。洗礼者ヨハネの活動開始からイエス処刑までの間、ローマ帝国皇帝はティベリウスであった。ゆえに斯く思う。そうして、もしそれがティベリウス銀貨であったとすれば、この時代の息吹はわずかと雖も遠く19世紀末のアーサー・マッケンの小説にて「復活」することになるのだった。さよう、これはただの世迷い言である!
 ──然るべき持ち主にそれを返せ。これを読むにつけ想起するのは、詩編第88篇の一節である。「主よ、なぜわたしの魂を突き放し/なぜ御顔を隠されているのですか。」(詩88:15)知る人よ、以てわが想いを汲み給え。
 マタ22:1-14〈「婚宴」のたとえ〉については大幅にカットしたが、このなかの一節「そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」(マタ22:7)。多くの研究書、註釈書、歴史書にて指摘されるところであるが、この箇所は後70年、第1次ユダヤ戦争に於けるエルサレム陥落を示唆している由。
 なお、本文中に「ヘロデ党」というのが出る。これは文字通りヘロデ王朝を支持する一派であり、いい換えれば親ローマ帝国派である。ローマへの納税にまつわる挿話でこのヘロデ党が出るということは、ローマへの納税に反対する人々あらば告発する立場にあったゆえであろうか。そんな風に、訝しむ。

 本日の旧約聖書は、マタ22:24と申25:5-6、マタ22:32と出3:6と15、マタ22:37と申6:5、マタ22:39とレビ19:18、マタ22:44と詩110:1。
 「『ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』」(マタ22:24)
 これの典拠は、
 「兄弟が共に暮らしていて、そのうちの一人が子供を残さずに死んだならば、死んだ者の妻は家族以外の他の者に嫁いではならない。亡夫の兄弟が彼女のところに入り、めとって妻として、兄弟の義務を果たし、彼女の産んだ長子に死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルの中から絶えないようにしなければならない。」(申25:5-6)

 「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』」(マタ22:32)
 これの典拠は、
 「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」(出3:6)

 「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』」(マタ22:37)
 これの典拠は、
 「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申6:5)

 「『隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタ22:39)
 これの典拠は、
 「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」(レビ19:18)

 「『主は、わたしの主にお告げになった。/「わたしの右の座に着きなさい、/わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』」(マタ22:44)
 これの典拠は、
 「わが主に賜った主の御言葉。/「わたしの右の座に就くがよい。/わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」 」(詩110:1)



 性急な増員ペースに受け入れる側は付いて行けず、それゆえにこそ却って人間関係が壊れつつある現在。新規参入者は他者を睥睨し、あいさつなど無駄な行いと思うて頑なだ。
 豊かなる園は心ない人々によって崩壊の兆しを見せ始めた。殺伐として秩序の狂わされた環境に心を痛めた古くからの住人は、いまや真剣にその楽園から去ることを検討するも、後ろ髪引かれる想いもあって迷うている。お願いだからせっかく得た仲間を失うようなことをしないで。
 エデンはいまやソドムと化しつつある……。◆ 

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