第1892日目 〈マルコによる福音書第6章:〈ナザレで受け入れられない〉、〈洗礼者ヨハネ、殺される〉他withさて、『サロメ』を読むか。〉 [マルコによる福音書]

 マルコによる福音書第6章です。

 マコ6:1-6a〈ナザレで受け入れられない〉
 イエスはカファルナウムの町を去って故郷ナザレへ帰った。安息日、かれは会堂で教えた。むかしのイエスを知る者らはその様子を見て、口々に囁き交わした。
 曰く、かれが授かった知恵とその手で行われる奇跡はいったいなんなのか。どこであのような業を得たのだろう。あれは大工だぞ、マリアの息子でかれの兄弟姉妹はわれらのなかで生活している。果たしてあの男は何者か。
 斯様にしてナザレの人々はイエスにつまずいた。イエスは独りごちた。預言者が敬われないのは故郷と家族の間でだけである。そうしてかれは、ナザレで極僅かの人を癒やしただけで、他にはなにもしなかった。イエスは人々の不信仰に驚いた。

 マコ6:6b-13〈十二人を派遣する〉
 イエスは付近の町や村を巡って教えていたが、或るとき、12人の弟子たちを2人一組にして、自分の代わりに遣わすことにした。イエスはかれらに、汚れた霊に対する権能を与え、杖1本の他はなにも持たせず、履き物も履かせず派遣したのだった。そうして、いった、──
 「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れずあなた方に耳を傾けようともしない所があったら、そこを出てゆくとき、彼らへの証として足の裏の埃を払い落としなさい。」(マコ:10-11)
 ──12人の弟子たちは行って、人々を悔い改めさせるために宣教した。そうして人々を癒やし、汚れた霊を人から追い出した。

 マコ6:14-29〈洗礼者ヨハネ、殺される〉
 イエスの名が広く知られるようになり、その名と行いはエルサレムのヘロデ・アンティバスの耳にも届くようになった。ヘロデの周囲の人々はイエスをエリヤの再来といい、また斬首された洗礼者ヨハネのよみがえり、とも囁いた。ヘロデ自身は洗礼者ヨハネが生き返ったのだ、と思ういていた。さよう、この頃既にヨハネはこの世の人ではなかったのである。
 ──ヘロデは兄弟フィリポの妻ヘロディアと婚姻しており、洗礼者ヨハネはそれは律法に背く行為であるとヘロデに諫言していた。それゆえ洗礼者ヨハネは捕縛されてヨルダン川東岸ペレス地方にあるマケロスの砦の牢へ幽閉されたのだった。一方、「へロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜならヘロデが、ヨハネは聖なる正しい人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。」(マコ6:19-20)
 ……斯様にへロディアはヨハネ殺しを企むも果たせずにいた。が、遂に好機が訪れたのである。……
 ヘロデ・アンティバスの誕生日。かれはその祝宴の席にローマの高官や将校、ガリラヤなど諸地方の有力者を招いていた。宴の余興の一つとして、ヘロディアの連れ子である娘が、いとも妖艶な踊りを披露した。それをすっかり喜んだヘロデは娘に、なんでも望むものを褒美にやろう、と口走った。これこそヘロディアの目論んだ筋書きである。娘はあらかじめ母と打ち合わせていたように、<それ>を所望した。<それ>、──
 洗礼者ヨハネの首を!
 ヘロデは怯み、たじろいだが、今更引っこみもつかなくなり、臣下の者らに獄中のヨハネの首を刎ねて盆に載せ、ここへ持ってくるよう命じた。少女はそれを受け取ると母へ渡した。ヘロディアの目的は斯くして果たされたのである。
 洗礼者ヨハネの遺体はかれの弟子たちが引き取り、埋葬した。

 マコ6:30-44〈五千人に食べ物を与える〉
 各地での仕事を終えて戻ってきた6組、12人の弟子たちはイエスへの報告を済ませたあと、奨められて人里離れた場所に行ってしばしの休みを取った。かれらは舟に乗り、自分たちだけその場所へ向かったのだ。多くの人たちがかれらを見、それと気附き、すべての町から出発して先回りして、件の場所へ、かれらよりも先に到着した。
 イエスは人々の行動を見て、その飼い主のいない羊のような有様を深く憐れんだ、そうして自分も行って、人々を教えた。
 ──時間が経って、弟子たちが群衆を解散させようとイエスを促した。いまならまだ近隣の村でかれらが食事できるからである。イエスは否を唱え、あなた方がかれらに食事を与えなさい、といった。弟子たちはそれを拒んだ。
 イエスは5切れのパンと2尾の魚を持ってこさせ、天に祈りをささげて人々へ分け与えさせた。人々はそれを満腹になるまで食べた。パン屑を集めると籠12杯分になった。

 マコ6:45-52〈湖の上を歩く〉
 イエスは弟子たちを舟に乗せ、対岸のベトサイダに向かわせた。そうして自分は、その場に残った群衆を解散させたあと、陸地から舟の行く様を眺めていた。
 夕暮れ刻、舟の進行方向から風が吹き、湖の水面に漣が立った。風はだんだんと強くなり、逆風となって進路を阻んだ。舟の上の弟子たちは漕ぎ悩んだ。
 陸地からそれを眺めていたイエスだったが、未明になってようやく重い腰をあげて、湖の上を歩いて舟の方に向かった。かれは、自分を幽霊と思いこんで恐怖する弟子たちに声を掛け、舟に乗りこんだ。すると風は吹き止み、舟は前に進んだ。
 弟子たちはこのことに驚いた。「パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。」(マコ6:52)

 マコ6:53-56〈ゲネサレトで病人をいやす〉
 一行はガリラヤ湖畔の町ゲネサレトに到着した。──イエス、来たる。人々はすぐさま、「その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。」(マコ6:55)
 町でも村でも里でも、イエスを迎え入れた。広場には病人が集められた。イエスがその人たちに触れると、皆、癒やされた。

 イエスの癒やしの業は、自発的に行うときと依頼されて行うときとに大別される。前者はともかくとして、後者については果たして無償でこれを行っていたのであろうか。これをすべて無償で行っていたら、民にとってイエスは無料巡回医のようなものだ。無料巡回医というのは生活の資を他から得ているがために行うことのできるボランティアだ。ならばイエスはどこから生活の資を得ていたか。説教の際には寄付金でも徴収していたのか。それであってもどこまで生活の資となり、活動の礎となったことだろう。方々で行う癒やしの業に代金を請求するのは、イエスの如く弟子を抱え、遠近で活動する者にとっては必要なことだ、と考える。
 自発的に行う際にどう対応していたかはともかく、依頼されて行ったときは、かりに医者にかかるよりは安価であったとしても、幾許かの料金設定をしていないとタダ働きでしかなく、却ってイエス自身を疲弊させる結果になろう。イエスは癒やしの業を行うにあたって、いったいどれだけの代金を設定・請求していたか。それに答えてくれる史料や研究所はないものかな。
 思わずヨハネ斬首の項に力が入ってしまったが、ここは事実、本章でいちばん長い節を持った挿話なのだ。ヨハネ捕縛の理由、斬首の経緯などはマタイ伝と共通した内容だが、ヘロデ・アンティバスの描かれたは若干異なる。マタ14:5では民衆の帰依、ヨハネを預言者エリヤと信じる民衆の反乱を恐れて処刑に至れなかった、というのだが、本章ではヘロデのヨハネに対する敬信の情が仄見えよう。むしろヨハネ延命のキーマンとして、ヘロデはいる。
 「マタイによる福音書」に於いても「マルコによる福音書」に於いてもヘロデは気の弱い人物ではある。が、「マルコ」での描かれ方は「マタイ」と較べてより精細になっていることも手伝って、いっそう生身の人間らしく感じられ、ゆえにかれの内心の葛藤が想像できるのだ。そうして奸計巡らすヘロディアの恐ろしさが際立ってくる。これらを踏まえて考えると、オスカー・ワイルドは戯曲『サロメ』を執筆するときに典拠とした洗礼者ヨハネ処刑の挿話は、「マタイ」でも、ましてや「ルカ」でもなく、この「マルコによる福音書」であったように思われてならない。それともこれはわたくしの深い思いこみゆえであろうか。
 ──良くも悪くも、ひとかどの人物になった人にとって生まれ故郷は一種の軛、後ろめたいところがあるわけではないが直視に耐えぬ過去の澱が溜まった場所、冷静に扱うことの難しいものかもしれない。そこには常に過去の亡霊が生きている。イエスの、ナザレでのこの挿話を読んでいると、ふとそんな思いに駆られることである。室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」はこの挿話を理解する最良の副読本ともなりそうだ。併せて、イエスが故郷の人たちから気が触れた、と噂されており、わざわざカファルナウムまで来てかれの身柄を拘束しようとした人たちのいることを考えると、受け入れられぬのも道理だ。
 ゲネサレトはガリラヤ湖北西岸はゲネサレの野にある町。12部族時代はナフタリ族の所領、王国時代は北王国イスラエル領であった。王上15:20に名の出る町キネレト(アラム人の王ベン・ハダドが南王国ユダの王アサの要請によって攻略した町の一つ)が新約聖書の時代には斯く呼ばれたのである。カファルナウムとマグダラのほぼ中間にあった。



 『サロメ』を初めて読んだのは、オスカー・ワイルドの作品としてではなく、リヒャルト・シュトラウスの楽劇《サロメ》のLPに添付されたリブレットとしてでした。高校を卒業した年、進学した年の夏だったかな。そこから興味を持ってワイルドの原作を読んだ。爾来、折に触れて──舞台監督兼脚本家志望だったこともあって──何度となく読み返したっけ。
 でもその頃は自分が聖書を読むなんて思いもしなかったから、典拠に当たってみることもしないでこの年齢になってしまったわけだけれど、改めてこうして共観福音書が伝える洗礼者ヨハネ処刑の挿話を全体の流れのなかに置いて読んでみたり、──その恩恵というべきか、情報と知識と感覚のフィードバックというべきか──ワイルドの作品をこれまで考えたことのなかった視点から読み直してみたりして、なかなか有意義な読書経験を、この作品ではさせてもらっている。
 たぶん、シェイクスピアとワーグナー(!?)を除けば、何度も読み返したことのある戯曲は『サロメ』ぐらいだろう。1年に何回も読んだり、一度も手にしないこともあったりして、頻度は一定しないけれど、どうして自分がこうも『サロメ』に熱をあげるのかについてはあまり考えたことがない。今夜はもうこれぐらいにして、布団のなかで今年最初の『サロメ』読書を堪能しながら、それについて想いを巡らせてみたいと思います。玲奈ひょんみたいな子が隣にいたら、彼女こそがサロメになるのかもね。◆

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