第2006日目 〈ヨハネによる福音書第2章:〈カナでの婚礼〉、〈神殿から商人を追い出す〉&〈イエスは人間の心を知っておられる〉with憂うております。〉 [ヨハネによる福音書]

 ヨハネによる福音書第2章です。

 ヨハ2:1-12〈カナでの婚礼〉
 かれらが弟子となって3日目。イエスはナザレの北にある村カナへ行った。そこで行われる婚礼に母マリアが呼ばれていたからである。
 宴会の最中、マリアがイエスに、ねぇぶどう酒の在庫がなくなっちゃったの、と伝えた。イエスは返事して曰く、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」(ヨハ2:4)と。が、母は息子のことを知っていたのでまわりの人々に、この子がなにかこうしてくれ、といったらその通りにしてくださいね、といい置いてその場を離れた。
 ところでそこには、水が2〜3メトレテスも入る甕があった。イエスはまわりの人々に、甕の縁まで水で満たし、宴会の世話役のところへ持ってゆくように、と指示した。人々はそうした。
 運ばれてきた甕のなかの水はぶどう酒に変わっていた。事情を知らない世話役はぶどう酒を飲むと花婿を呼んで、その知恵を賞讃したのである──こうした席では始めに質の良いぶどう酒を出してあとになるにつれ質の良くないものが供されるのに、あなたは最後の方で質の良いぶどう酒を出してきたのですね、といって。
 イエスはガリラヤ地方のカナで最初の徴を行い、その栄光を現した。それを目にして弟子たちはイエスを信じるようになった。
 カナでの婚礼のあと、イエスは母や兄弟、弟子たちを連れてカファルナウムに下り、そこで数日を暮らした。

 ヨハ2:13-22〈神殿から商人を追い出す〉
 過越祭が近附いた或る日、イエスはエルサレムに上った。神殿の境内では商人たちが牛や馬、鳩を売り、両替商が店を開けていた。イエスは縄で作った鞭でかれらを追い散らして、曰く、わが父の家を商いの場とするなかれ、と。
 この様子を見て弟子たちは、「あなたの神殿に対する熱情が/わたしを食い尽くしている」という聖書の文言を思い出した(詩69:10)。
 一方商人たちはイエスに、われらの商売を邪魔してここから追い出すならば、お前はどのような徴を見せるつもりなのか、と問うた。
 イエスは答えた。この神殿を壊して、3日で建て直してみせよう。──建てるのに46年もかかった神殿をお前はたった3日で建てるというのか、と、商人たちは呵々大笑した。
 が、イエスのこの言葉の本意は自分の体についてだった。後に「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉を信じた。」(ヨハ2:22)

 ヨハ2:23-25〈イエスは人間の心を知っておられる〉
 イエスは過越祭の間エルサレムにいて、そこで幾つもの徴を行った。それを見て人々はイエスを信じた。が、イエスはかれらを信用しなかった。
 というのも、イエスはすべての人々を知っており、人々によって証しをしてもらう必要がなかったからだ。「イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」(ヨハ2:25)

 イエスが起こした幾つものふしぎな業が紹介される際、<カナの婚礼>の一幕はしばしば目にすることである。生涯の初期に現された奇跡として看過できぬものだからだろう。
 おまけに──福音書の記事からは、イエスがこれを自分が行ったと表明した様子はない。あくまで花婿の知恵によることと、列席している人々は思うて疑わなかっただろう。イエスの業であるのを知るは母マリアと弟子たちのみ。それが自分の行為であるのを表明しなかった奥床しさ(?)、婚礼の席という福音書には珍しい<ハレ>の舞台、おめでたい席で為された善き奇跡。そうしたものが融合して、この<カナの婚礼>の挿話は語り継がれていったのかもしれない。そうだったらとても胸のあたたかくなる話だ。
 イスカリオテのユダに裏切られて逮捕されたイエスへ群衆が投げかけた言葉を、読者諸兄は覚えておられるだろうか。曰く、この男は壊れた神殿を3日で建て直してみせるといった、と。マタ26:61,マコ14:58にある。が、この根拠となる挿話は共観福音書のなかには見出せなかった。ようやく「ヨハネによる福音書」でそれがわれらの前に登場したことになる。おそらくこのとき神殿の境内にいた人々が何年後かに最高法院にてイエスを糾弾したのだろう。或いは、それを聞いた誰彼が後に糾弾者の側にまわったか。
 46年の歳月を費やして再建された神殿とは、勿論捕囚解放後に再建された当時の神殿ではなく、その後荒廃したものをヘロデ大王が自身の権威をアピール、誇示する目的もあって修復と拡張工事を経て完成した神殿を指す。即ち今日われらもエルサレムに行けば往時を偲ぶことのできる建物である。ヘロデ大王が工事に着手したのは前20-19年、それから46年後というから本挿話の舞台は後27-28年となる。イエスは30代前半の青年だった。

 本日の旧約聖書はヨハ2:17と詩69:10。



 <明日>のことを思い悩む必要のない、不安とは縁の薄い世の中になってほしいなぁ。いつからこんな歪な社会に、国になってしまったんだろう。◆

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