第2054日目 〈使徒言行録第11章:〈ペトロ、エルサレムの教会に報告する〉&〈アンティオキアの教会〉with岩波文庫『文語訳 旧約聖書Ⅱ 歴史』解説に誤記あり。〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第11章です。

 使11:1-18〈ペトロ、エルサレムの教会に報告する〉
 エルサレムの教会はペトロがカイサリアで異邦人を改宗させたことを知ると、エルサレムへ帰ってきたばかりのペトロを呼んで、非難の言葉を浴びせた。これを承けてペトロは事の次第を正しく説明した。曰く、──
 わたしがヤッファにいて祈っていると、カイサリアから3人の使者がやって来ました。かれらがいうには、自分たちの主人であるローマの武官がわたしを招いている、とのことでした。“霊”はそのときわたしに、ためらうことなくこの人たちと行け、といったのです。そうしてわたしはカイサリアへ行き、かのローマの武官と会い、主イエス・キリストの奇跡と受難と復活について話しました。すると聖霊がかれらの上に降ったのです。そのあと、わたしはかれらにイエス・キリストの名により洗礼を授かるよう命じました。
 「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」(使11:17)
──と。
 このペトロの言葉を聞いた人々は、もうあれこれ非難するのをやめた。そうして、神は異邦人を悔い改めさせて命を与えてくだすった、というて神を讃美した。

 使11:19-30〈アンティオキアの教会〉
 ステファノの事件をきっかけにして信者への迫害が始まった。これを逃れんと信者はフェニキアやキプロス、アンティオキアへまで散り、そこで伝道したが、対象はユダヤ人に限られてしまっていた。
 が、散らされた信者のなかには、キプロス島やキレネから来た者らもいる。そのため、かれらはギリシア語を話す異邦人のコミュニティへ積極的に交わってゆき、そこで主イエス・キリストの福音を告げ知らせていったのである。神がかれら福音宣教師を助けたので、御言葉、福音を聞いて信じ、主へ立ち帰るようになった人が多く現れるようになった。
 エルサレム教会から事の真偽をたしかめるためにアンティオキアへ派遣されてきたバルナバは、噂が事実であるをの知り、異邦人へ神の恵みが与えられたのとを見て、喜んだ。聖霊と信仰に満ちたバルナバは、アンティオキアの改宗者たちに、固い決意を持って主から離れることがないようになさい、といった。
 その後アンティオキアをあとにしたバルナバは、キリキア州タルソスへ足を伸ばした。サウロを捜しに行ったのである。再会した2人はアンティオキアへ戻ると、丸1年の間、そこの教会で人々に福音を宣べ伝え、更に多くの人々を主に立ち帰らせたのである。
 「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」(使11:26)
 ──その頃のことである。エルサレムからアンティオキアへ、アガボという預言者が来た。かれは近い将来、世界中に大飢饉が起こる、と告げた。アンティオキアのキリスト者たちは食料や水など援助物資をまとめて、ユダヤの兄弟たちに、とバルナバとサウロに託してエルサレムへ届けた。……預言された飢饉はその後、実際に起こってパレスティナ地方を襲った。第4代ローマ皇帝クラウディウスの御代のことである。皇帝の在位は後41-54年の13年間であった。

 前章にてペトロが蒔いた<異邦人への宣教>という<種>は、本章で豊かな土壌を得て根附き、芽を出して正しく生育する予感を抱かせる。エルサレムを追われた福音宣教師による異邦人の改宗はバルナバにより事実と認められ、そのバルナバはサウロと合流してアンティオキアを中心に更なる布教を推し進めてゆくのだ。また、間もなく開始されるサウロ/パウロの宣教旅行の芽吹きでもある。
 使11:20にもあるが、散らされた信者のなかにいた、非ユダヤ地方出身の名もなき福音宣教師の存在なくして、主イエス・キリストの福音が諸外国へ伝わってゆくことはあり得なかった。これはかれらが非ユダヤ人なるがゆえにユダヤ以外の人々へ宣教してゆく自由を心に覚えていたことの証しだし、ユダヤ人にのみ宣教するというユダヤ人福音宣教師(当初はエルサレム教会も)のような制約から解放されていたからこその行動でもあった。
 1人は皆のために、皆は1人のために。この言葉をキリスト教伝播の過程に当て嵌めて使うのは、あながち間違いではあるまい。
 この第11章は「使徒言行録」最大のターニング・ポイントというて良いだろう。



 数日前に発売された岩波文庫『文語訳 旧約聖書Ⅱ 歴史』を喜び勇んで購入したものであります。ざっ、と目を通し、解説を読んでいたのですが、ちょっとびっくりする記述に出喰わしました。別段重箱の隅をつつくつもりはないのですが、気になったので書きます。
 本文庫に収められるは歴史ということで、「ヨシュア記」から「エステル記」まで9つの書物。出エジプトを果たして40年間荒野を彷徨うたイスラエルの民がヨシュアに率いられてカナンの地へ入植し、サムソンやギデオンら士師の時代のあとサムエルの油注ぎによりサウルがイスラエル王国の王となり、ダビデを経てソロモン崩御の後に王国は南北分裂し、やがて北王国イスラエルはアッシリアにより、南王国はその約130年後バビロニアにより滅亡、後者はバビロン捕囚を経験してペルシアのキュロス王の布告によって(希望者が)荒廃した祖国に帰り、エズラ、ネヘミヤ、ゼルバベルの指導の下、第二神殿を再建する、というのが大きな流れですが、解説子はどうしたわけか、とんでもない誤記をそこに残しておりました。
 南王国ユダは新バビロニア王国によって滅んで、歴史から姿を消しました。ネブカドネツァルは時のバビロニア王でありました。「列王記」、「歴代誌」いずれにもその旨記されております。この事実は如何なる翻訳でも変わりません。勿論、文語訳に於いても然りであります。
 なのに本文庫の解説子は、南王国ユダは北王国同様にアッシリア帝国(解説中では文語訳の表記に倣って「アッスリア」)より滅ぼされた、と3ヶ所にわたって記しております。
 これはいったいどうしたことなのでしょう。誤植というのはあまりにお粗末かつ無様。解説子は旧約聖書や古代オリエント史を専門とする人ではないのだろうか。解説子は如何なる考えを持って、南王国ユダが黄昏の時代を迎える頃にはバビロニアとメディアの連合軍の前に滅亡していたアッシリア帝国によって滅ぼされた、と解説に記し、(おそらくされているであろうはずの)推敲の際は手を触れず、校正の指摘にも無視を決めこんだものなのか。いずれにせよ、この点をスルーしたのは却って天晴れと申せましょう。版元のHPに告知のない以上(2015年08月26日00時00分現在)、ここで報告させていただくには値しましょう。
 これが解説子の記憶違いであれなんであれ、単なる誤記誤植で、重版時は訂正がされていることを望みます。◆

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