第2062日目 〈使徒言行録第19章:〈エフェソで〉、〈ユダヤ人の祈祷師たち〉with〈エフェソでの騒動〉with本当にiPhone6sは発表されるの?〉 [使徒言行録]

 使徒言行録第19章です。

 使19:1-10〈エフェソで〉
 アポロがエフェソからアカイア州コリントへ移ったあとの頃、パウロは第3回目の宣教旅行に出発した。パウロは小アジアの内陸、即ちアンティオキアを発ってキリキア、フリギア、アジア諸州を横断してエフェソの町へ至ったのである。
 かれはエフェソの弟子たちに、聖霊を受けたかどうか訊ねた。すると弟子たちは頭を振り、それがどのようなものかも知らないのです、と答えたのである。パウロが、ではあなた方はどのような洗礼を受けたのか、と訊くと、弟子たちはヨハネの洗礼です、と答えた。
 パウロは弟子たちにヨハネの洗礼の意味を教え、改めて、主イエスの名による洗礼を授けた。かれが弟子たちの頭の上に手を置くと、聖霊が降った。そうして弟子たちは異言を話し、預言をするようになったのである。
 そのあとパウロは会堂に入って福音を説き、未だ信仰に入らぬ人たちの激しい拒絶に遭った。かれは退き、弟子たちも退かせ、ティラノという人の講堂に移り、毎日、神の国について論じた。
 こうしたことが2年も続いたので、エフェソの町の人々は信じて道に入るにせよ入らぬにせよ、誰もが主の言葉を聞いたのである。

 使19:11-20〈ユダヤ人の祈祷師たち〉
 神はパウロを通してエフェソの人々に様々な奇跡を行った。パウロが、町の重病人、悪霊に憑かれた人の体に自分の手拭いや前掛けをあてると、たちまちその人たちは癒やされたのである。
 さて、各地を巡り歩くユダヤ人祈祷師のなかには、悪霊に憑かれた人に向かって、パウロが説く主イエスの名に於いて汝らに命ずる、と曰う輩もいた。
 或るとき、かれらは悪霊の返り討ちに遭った。悪霊どもは祈祷師たちにいうたのである、イエスのこともパウロのことも知っている、だがお前たちはいったい何者だ、と。祈祷師たちは悪霊に襲われて裸にひん剥かれ、傷附けられ,這々の体でその場から逃げ出していった。
 「このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。」(使19:17-19)
 主の言葉は勢いを得て、世界へ広まっていった。

 使19:21-40〈エフェソでの騒動〉
 エフェソは神話の女神アルテミス信仰が最も盛んな町だった。郊外にはアルテミスを祀る神殿もあった。ゆえにパウロの宣教を快く思わぬ人は大勢いた。
 この町に住む銀細工師、デメトリオは仲間の職人を束ねてアルテミスの神殿の模型を造り、その売上金で己のみならず皆を潤わせていた。そんなかれにパウロの宣教は甚だ邪魔だった。
 そこでデメトリオは職人仲間を煽動して、パウロを捕縛しようと企てた。曰く、パウロは「人の手で造られたものが神であるものか」というて、このエフェソのみならずあちらこちらの町の人々を誑かしている、これではわれらの商売もあがったりだ、奴の活動が続けばわれらの商売が立ち行かなくなるばかりか、アルテミスの神殿は蔑ろにされ、アジア州、否、全世界が崇めるこの女神の威光の失墜をも招くことになるぞ、と。
 人々はデメトリオのこの言葉に大いに発憤し、群衆となって暴徒と化し、パウロの同行者即ちマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえて、そのまま野外劇場へ雪崩れこんでいった。町は混乱に陥った。パウロは群衆のなかへ入ってゆこうとしたが、弟子たちが思い留まらせた。当たり前の話である。
 劇場ではパウロの宣教に反対する集会が開かれた。集まった人々はあれやこれやと喚き立てた。が、「集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。」(使19:32)
 集会はますます混乱し、群衆は熱に浮かれていた。それに楔を打ちこんだのが、エフェソの書記官である。かれは女神アルテミスの威信の揺らがぬことを明らかにし、パウロやキリスト者に咎なきことを宣言した。続けて曰く、──
 「デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」(使19:38-40)
 斯くして集会は解散となった。

 第2回目、第3回目の宣教旅行で訪れたからというて、このエフェソがイエス・キリストの福音を享受し、皆が皆信仰に入ったわけではない。マケドニア州ベレア(使17:11-12)のようにはいかなかったのだ。それどころか、すくなくとも記事を読む限りでは、エフェソの町での宣教はパウロにとってずいぶんと骨の折れる仕事だったのかも、と想像できる。フィリピやコリントでの経験はこれの比ではなかったようだ。
 騒動の背景には、エフェソがアルテミス信仰の中心地だったことがある。幾つかの原因が絡み合って町を挙げての大騒動に発展したわけだが(フィル・ディックの小説のタイトルを借用すれば、「小さな場所で大騒ぎ」というところか)、もしかするとパウロには、この町の人々が改宗すれば他の異邦の町の改宗は容易だ、というような目算があったのだろうか。「容易」という言葉がお気楽に過ぎるなら、<自信の獲得>といい換えてもよいかもしれぬ。自分はあのエフェソでさえ改宗させられたのだ、それを成し遂げた自分にどうして他の町々を改宗させられないことがあり得よう……。
 パウロの意識のなかでこのエフェソは、なんとしてでも(自分の力で)イエス・キリストの福音を定着させたい、と宿願した町であったかもしれない。エフェソを足掛かりにすれば、西へ、更に西へと進んでゆくことができる。つまりマケドニア(ギリシア)へ、そうしてパウロも使19:21やロマ15:23-24並びに同:29にて願った帝都ローマへ、歩を進めてゆき、かの地での宣教が可能となるのだ。これは、イエスが暗に予言したことだった(マコ16:15)。そんなかれにとってエフェソは旅の里程標、宣教の一里塚というてよい位置附けにあったことが想像できる。
 ところでアルテミスとは如何なる女神だったのだろう。そうしてその信仰とは?
 アルテミスはギリシア神話に登場する、ゼウスとレトの娘、アポロン神の双子の姉神、“うずらの里”という意味を持つオルテュギア生まれ。生地についてはエフェソ、デロス島など諸説ある。 この女神に託された属性は、農業や牧畜の守護神、予言の御神、詩歌文芸の司神(時折竪琴を手にした絵画を見る)、また、処女神で安産と出産の守護神といったところ。
 ギリシア神話に登場すると雖もギリシア固有の神ではなく、バルカン半島南部から小アジア西南地方にかけてあった女神崇拝が、古代ギリシアに入ってアルテミス信仰に変化したともいわれる。こうした周辺地域の土着信仰が国の神話に取りこまれることは、間々あることだ。日本、北欧、ケルト然り。なによりローマ神話がギリシア神話を取りこんで自家薬籠のものとした。
 アルテミス神殿を擁すエフェソは小アジアに於ける信仰の中心地で、神殿にはいまもアルテミス像がある。ここには小アジア諸州、周辺地域からの参詣客も多く訪れ、デメトリオたちの造る模型は神殿への奉納品として売られていたそうだ。お土産に持って帰る者も、なかにはいたかも知れない。
 呉茂一は著書『ギリシア神話』でエフェソのアルテミス像に触れたあと、こう述べる。曰く、「(エフェソの)女神像は胸に数多くの乳房を有し、豊満な母性神としてもっぱら生育と繁殖とを司り、その数多くの奉仕者には、神婢ヒエロドゥーロイや宦者を交えるなど、明らかに(ギリシア)本土のアルテミスとは異なる小アジア固有形に属するのを、若干の類似性やある種の基本的な共通性から、ギリシアからの異住民によってアルテミスと同一視されるようになったものである」(P207 上巻)と。
 デメトリオが蜂起人となった感のある集会、それが行われたのが野外劇場である。古代ギリシア・ローマ社会に於いて、それは勿論、ギリシア悲劇、喜劇の上演舞台としての役割を果たす。が、時には本章のように、大規模な集客が望める場合には集会場にもなった様子だ。『ベン・ハー』の有名な戦車競争の場面も、こうした野外劇場が舞台となっている。
 エフェソの半円形の野外劇場は当時最大の規模を誇り、その収容人数は2.5万人から5万人と諸説ある。ピオン山の斜面を利用して造られた劇場はいまやアルテミス神殿と並ぶエフェソの観光名所となっており、ガイドブックや旅ブログなどにてその偉容を容易に目にすることができる。
 なお、ついでにいえば、エフェソはマルクス・アントニウスとクレオパトラ7世の逢瀬の場としても知られ、ローマ帝国の東地中海に於ける貿易の要港であり、またアレキサンドリア、ベルガモと並ぶ世界3大図書館の一つ、セルシウス図書館があった町でもある。
 ──それにしても、かえすがえす件の書記官の名が判明しないのは残念である。かれの鶴の一声で集会は解散となり、騒動は鎮まったのだから。このデウス・エクス・マキナの役を演じた書記官はどのような人物だったのだろう。知ることのできないのが残念だ。



 9月9日のAppleのイヴェントでiPhone6sが本当に発表されるらしい。そろそろわがiPhoneも買い換え時なので、これを契機に機種変更を検討している。
 が、発表される新機種がiPhone6のマイナーチェンジでしかないならば、新機種を購入する必要はないかな、前機種となったiPhone6を買えばいいかな、と思うのだけれど……でもやっぱりiPhone6sに後ろ髪を引かれるのだ。
 んんん、悩ましい。◆

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