第2089日目 〈ローマの信徒への手紙第12章:〈キリストにおける新しい生活〉&〈キリスト教的生活の規範〉with来年、新しく聖書を買い直します。〉 [ローマの信徒への手紙]

 ローマの信徒への手紙第12章です。

 ロマ12:1-8〈キリストにおける新しい生活〉
 あなた方のなすべき礼拝、それは、自分の体を神に喜ばれる聖なる生身のいけにえとしてささげることです。世の倣いに流されたり、従ったりすることなく、心を新たにし、なにが神の御心であるのか、よくわきまえて生活しなさい。
 わたしはあなた方へ伝えます、──
 「自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。」(ロマ12:3)
 われらは全体の個であります。キリストにょって結ばれた一つの体という全体のなかで、1つ1つの部分を構成する個なのであります。
 「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています」(ロマ12:6)から、それを活かして行動してゆくべきです。奉仕の賜物を受けているなら奉仕に専念しなさい。施しをする人は惜しむことなく施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く慈善に励めばよいのです。

 ロマ12:9-21〈キリスト教的生活の規範〉
 偽りの愛などあってはなりません。悪を憎んで善から離れず、兄弟愛、隣人愛を以て愛し合い。尊敬の気持ちを忘れず相手を(自分より)優れた者と思いなさい。
 希望を持って喜び、苦難に耐え忍び、倦まず弛まず祈るように。自分の敵を祝福しなさい、呪うのではなく。貧しき聖者に手を差し伸べて助け、旅人をもてなしなさい。これらのことに努めなさい。身分の高い人とではなく、低い人とこそ交わり、自分は賢いと自惚れることがないように。
 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ロマ12:15)
 「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。」(ロマ12:17)
 あなた方は平和に暮らしなさい。厭う者への復讐など企んだり、ましてや実行したりしないように。復讐は神の領分です。復讐はすべて神の怒りに委ねなさい。代わりに、もしあなたの敵が飢えて苦しんでいたら、食べさせなさい。渇いていたら、飲ませなさい。それは燃える炭火を相手に積むのにも等しい。
 わたしの兄弟たちよ、悪に負けるな。欲望に屈するな。過去の感情に囚われるな。ただ善を以て悪に打ち勝つのです。

 〈前夜〉でもいうたことですが、わたくしが「ローマの信徒への手紙」でいちばん共感し、いちばん好むのが第12章であります。一旦立ち止まって考えて熟考玩味して、ああわかるな、というのではなく、一読してすぐにこちらの心のひだを通って内奥にまで達した、数少ない文言がここには2箇所もありました。それが引用したロマ12:15と同17であります。
 そうして本章から「ローマの信徒への手紙」は新しいパートに入ってゆくこと、昨日述べた通りであります。ここから後はいままで語られた信仰による義、隣人愛に総括されるパウロ神学を生活、行動へ反映させてゆくのです。
 すくなくとも非キリスト者であるわたくしなどには第12章以後の方がわかりやすく、個人的には以後こそ重要な内容であり、殆ど唯一無二というてよい価値を持つのです。ここに書かれた言葉をわたくしは支えと思い、道標と思い、また、戒めとして、心に深く刻んで忘れぬようにしようと思います。

 本日の旧約聖書はロマ12:19と申32:35、ロマ12:20と箴25:21-22。



 さすがに7年も同じ聖書をほぼ毎日開き、家の外に出るときは旅行を除いて必ずというてよいぐらい持ち出していると、相応にくたびれてきて、ノドからページが剥がれかけてきたり、破れて表紙と本体がサヨナラしていたり、あたら今日までの歳月と酷使(か?)を思うて嗟嘆する。本ブログ完結時にはわが聖書、もしや崩壊しているのではないか。
 というわけで、聖書の読書が終わったら同じ新共同訳の聖書を新しくもう1冊、買い直すことに決めました。横組み、旧約聖書続編附きであるのは勿論であります。これにどうしたって馴染んでいますからね。
 その日が訪れたらば、生田先生のフランス俗語辞典の顰みに倣うわけではないが、ねんごろに感謝しつつブログ原稿執筆の伴侶であった新共同訳聖書は書架の一隅に収まって休んでいただくことにしましょう。
 ああ、本心を告白すれば、あの子が使っていた聖書が欲しいなぁ……。◆


-15/11/09 20:56 +29

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