第2095日目 〈どうしてくれる、乱歩を読みたくなったではないか。──AだかCだかへのプレゼント。〉 [日々の思い・独り言]

 「芋虫」と、その女の子がいうた。ちょっと艶美な、小さな笑みを浮かべて、そういうた。話のきっかけは酒に呑まれてよう覚えておらぬが、わたしこの前江戸川乱歩読みましたよ、という台詞を承けて、へえ何を、と訊いたら、先のような返事が戻ってきたのである。
 わたくしは乱歩の読者ではない。小学生の頃、図書室へ行けば、『少年探偵団』を読み耽っている顔見知りの何人かがいて、そんな光景に反発を覚えたか、わたくしは乱歩の本に一指も触れることなく小学校を卒業し、どちらかといえば書架の片隅にあって読まれた形跡が殆どないジュニア向け海外ミステリとか秘境冒険物、歴史の本など読んで過ごし、どうやら読書に関しては一風変わった生徒と周囲から認識されていた様子である。
 余談だが、高校生の頃かな、赤川次郎『三毛猫ホームズの青春ノート』(岩波ブックレット)を読んで、フランス文学を中心として海外小説ばかりを読み耽ったのは現実逃避の読書で日本人の名前など見たくなかったからだ、という主旨の一文を発見した。赤川次郎の本を読んで膝を叩いたのは、後にも先にもこのときだけだね。
 閑話休題。
 斯様な次第で──ん?──一部の評論やエッセイを除いて、乱歩は読まずに今日まで過ごしてきた。読んでいたのは怪奇党らしく『幻影城』と「怪談入門」、「アーサー・マッケンのこと」、「群衆のなかのロビンソン・クルーソー」ぐらいである、覚えているのは。
 どちらかといえば、わたくしのなかで江戸川乱歩は映像作品である。以前、陣内孝則主演の明智小五郎シリーズについて触れたとき、そのあたりのことは書いたから、もうここでは書かない。特に大事なことでもないからね。
 そんなわたくしがこの2日か3日というもの、本屋へ行くと江戸川乱歩の文庫が挿された棚の前で足を止め、手にして軒並み目次をチェックするのだ。探すのは勿論、あの夜あの女の子が口にして以来隠微な響きすら漂わせるようになった「芋虫」、そうして『ビブリア古書堂の事件手帖』第4巻で取り挙げられた「押し絵と旅する男」である。
 正直なところ、乱歩はどこから読んでよいのか、どの本で読んだらよいのか、わたくしにはよくわからない作家だ。光文社文庫版江戸川乱歩全集全30巻を大人買いしてしまえば一気に問題解決だが、一時の情熱に任せて手を着けてあとで痛い目に遭うような覚悟を持つ気にもなれない作家の全集を買いこむことで、結果として居住スペースを圧迫する一因になるような買い物はしたくない、というのが本音。心の真ん中近いあたりで、そんな馬鹿なことはしたくない、という声が大勢を占めている。
 かというて、わたくしが読みたい作品=短編が、1冊か2冊の傑作選に都合よく纏まっているなんて話は聞いたことがない。岩波文庫版作品集が出るまでの間、坂口安吾の作品集について漠と抱いていた不満と同種のそれを、いまわたくしは既刊の江戸川乱歩作品集に対して持っている。もうこうなったら図書館で全集を借りてきて読みたい作品だけを寝転がって読み、返却してそのあとは二度と思い出さなければいいかな、とも、ふと考えたりするのである。
 が、幾つかの作品については、やはり書架の1冊として短編集を持っていたい。そんな、ディレムマを抱えている。
 わたくしが読みたい乱歩の短編は前に挙げた「芋虫」と「押し絵と旅する男」の他だと、「D坂の殺人事件」と「人間椅子」、「人でなしの恋」と「算盤が恋を語る話」、「屋根裏の散歩者」、「二銭銅貨」と「陰獣」だ。あと1作ぐらいあったような気がするが、忘れた。将来的にこのセレクトから落ちる作品もあれば、参入する作品もあることだろう。あくまで現時点での、暫定的な候補のピックアップである。
 これらの作品を網羅するご都合主義的な傑作選は見当たらない。新潮文庫と岩波文庫の短編集を両方買えば当面の渇きは癒やせるだろう。おそらくそのまま、乱歩のことは忘却の果てに消えてゆくはずだ。一方で創元推理文庫や春陽堂の江戸川乱歩シリーズを、どっかーん、と買ってしまうか、と企むが、そうなると光文社文庫版全集全巻の購入を検討して、そんな馬鹿なことはしたくない、と退けた自分に対して面目が立たぬ。あのときの自分を納得させられる理由は、ない。もし創元推理文庫や春陽堂のシリーズを購入するならば……さぁて、どうやってこの行為を正当化しようか。
 もっとも、そんな意思が実はないことを、ここまでお読みいただいた読者諸兄なら、殊件の艶美な笑みを浮かべて「芋虫」というた女の子なら、じゅうぶんお察しいただけよう。
 ではなぜ迷ってみせているのか。心のどこかで後ろ髪引かれているところはあるかもしれぬが、むしろここでは<語りの座興の実践>と申しあげるのが正解のようである。各巻に何編収められているかも定かでない、そも収められているかも不明な文庫のために、清水の舞台から飛び降りる覚悟で大人買いなんてするわけがないではないか。そこまで阿呆ではない、と自分のことを信じたいのである。
 まぁ、これが短編だから斯くも悩むのだよな。長編ならば出版社云々で悩む必要はない。目に付いたものを手にしてレジへ運べばいいだけだ。マニアでもないから、底本について吟味するつもりもないしね。
 ああ、ここまで書いて思い出したよ。例の女の子(残念ながら森見登美彦『夜は短し、歩けよ乙女』の黒髪の少女程ではない)と乱歩のことを会話する呼び水になったのは、やっぱり『ビブリア古書堂の事件手帖』第4巻であった。この感想を話したときに、そのまま本稿冒頭の会話となったのである。
 それにしても、──
 これまで読まずに過ごして平然としていたわたくしをして乱歩読んでみようかなぁ、と思わせるに至らしめた薄闇のなかで「芋虫」と囁いたかの女の子の破壊力、恐るべし。そう書き記しておこう。◆

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