第2096日目 〈どうしてトラヴィスは頭をモヒカン刈りにしたか? 改題:フェリス(who?)は或る日、突然スケープゴートになったとさ。〉 [日々の思い・独り言]

 映画『タクシードライバー』の主人公、ロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィス・ビックルはヴェトナム帰還兵でした。
 ぼくはヴェトナムという国について非常に愛着がある者なのですが、東南アジアのこの国のどこが魅力的なのか、なにがぼくを惹きつけてやまないのか、そういったところは話し出すとキリがなく、おそらく1日のうち2/3ぐらいの時間は使ってしまうだろうと思うので、今度先生の研究室にお邪魔して、是非そのあたりお話させていただきたく思います。如何でしょうか。
 トラヴィスが頭をモヒカン狩りにしていたのは、かれがヴェトナム帰還兵であることと無関係ではないでしょう、かつてヴェトナム戦争の折、危険な任務に就く者は皆一様に頭髪を剃ってモヒカン刈りにしたそうです。いわばトラヴィスがあの場面でモヒカン刈りにしてみせたのは、これから大統領候補を暗殺するという危険な任務を自分は行うのだ、との意思表示であるわけです。
 ぼくもかれに憧れてモヒカン刈りにしようとしたことがあります。が、鏡の前で得意の妄想を膨らませてモヒカン刈りになった自分を思い浮かべてみても、特段危険とされるような使命を負っているわけでもないし、自分にそれだけのことを実行する度胸もなく、また、なによりも似合わないので(鶏のコスプレをしているようなものです)、やめておきました。何事も似合う人と似合わない人がいるということです。
 でも先生、ぼくはもっと他のことを考えたい。この学期末のレポートで、課題とはまったく関係のないことをお伝えしたいのです。
 先生、ぼくはいま人間の悪意についての本を書こうと思っています。就中善人ヅラして他人の話へ耳を傾け、それをプロファイリングし、それだけに留まらず自分が耳にしたことを──こちらにとってはむくつけき──同志と共有、冷笑中傷の種とするような奴らの、自分ではそうとは思っていない<悪意>についての本を、書こうと思っているのです。こうした連衆はいちばん性質(タチ)が悪い。突けば否定し、それゆえ更に悪意をエスカレートさせるのですから。
 咨、そうなんです! ぼくはいま、ありありと知る人を念頭に置いてお話ししています。それは2人いるのですが、炙り出せばこれに連なる輩は芋づる式に出て来るかもしれません。あまり考えたくないのですが、わずかなりとも可能性があれば疑いの念は捨てるべきでありません。が、いま対象とすべきは件の2人です。或る意味でこいつらはイスカリオテのユダ以上の裏切り者といえましょう。
 どうも様子がおかしいな、と思い始めたのは、今年の6月頃からでした。これまでは見られなかった、妙に結託した風が窺えたのです。しばらく観察して、目撃した数々の現場の様子から推理を組み立てたところ、どうやらこの脳みその足りないこの人たちは、ぼくの不自由な耳をタネに陰口を叩いて、一挙一動、一言半句も逃すまいとしてこちらへ注目し、新たな陰口のタネを摑むと、ほぼリアルタイムで小声でこそこそ情報交換を行い、時には「気付いていないだろう」と踏んでか、こちらに目をくれながら、にたり、にやり、と不気味にも程がある笑みを口の端に浮かべて囁き交わすのでした。
 いったいあの2人にわたくしを冷笑し、嘲笑し、中傷するだけのものがあるのでしょうか。職能はぼくの方が優っている、と自負できます。評価制度の結果が客観的証拠です。疑わしくば情報開示して突きつけること可能であります。中立なる第三者に訊ねても、その2人に加担する者でない限り、同様な返事が返ってくるでしょう。
 器量はどうでしょうか。この点について一概に語ることはできません。この点について突出した者はわれら3人のなかにいないからです。件の2人のうち、1人は萩原朔太郎の短編に出て来るウォーソン夫人の如し。引用;「彼女の容姿は瘠形(やせがた)で背が高く、少し黄色味のある皮膚をもった神経質の女」です。善人ヅラした極悪人にして悪の枢軸というべき者です。もう1人は、薄っぺらい善意で表面をコーティングした丸太ん棒です。丸太ん棒! われながら、なんと的確かつ完璧な形容なのでしょうか!? すくなくとも、ホモサピエンスという点で、われら3人はあまり大差がないでしょう。
 この2人がぼくを、ともすれば村八分にしたがっている理由、もしくは或るときを契機に彼女らが「そうだ、今度、耳のことを心配するフリで状況を聞き出して、馬鹿にして傷附けてやろう」と思うに至った原因だって、勿論、思い当たるフシはありません。水面下のイヤラシイ、鼻白むぐらいに程度の低い戦争は、或る日突然始まったのです。ぼくの側に思い当たるものは、何一つありません。なんならアメリカ大統領が就任する場面のように、聖書に右手を置いて宣誓したって構いませんよ?
 ずっと象牙の塔にこもってばかりで世間を知らない先生でもおわかりいただけましょうが(All work and no play makes Jack a dull boy.)、ムラ社会は常にスケープゴートを求めます。また、多少とも暇になれば暇つぶしの方法を考えます。かの<無邪気を装った悪意と狡猾さを身に付けた><大人な子供>たちがそのとき思い付いて、試してみたら存外に面白かったのでそれをどんどんエスカレートさせるに至ったのが、ぼくに対するイジリという名のイジメだったわけです。
 この2人の問題点は、知ってか知らずか/意図してか偶然かわからないけれど事態をエスカレートさせていることと、自分がそんな目に遭ったなら……という想像力が完全に欠如している点です。まったく!
 想像力を欠いた人間はどんな残酷なことでも平気でできる、といいますが、先生、これは本当のことなんですね。ぼくは今回身を以て経験しました。しかしこれは、今日のこの国では至極普通のことなのかもしれません。なにしろ首相の座に在る男と追従する国会議員たちが想像力を欠いた行為を率先してやらかして、まるで新聞紙面や報道番組にネタを提供しようと大盤振る舞いするような為体だからであります。想像力ばかりではありません。正常かつ常識的な思考能力、倫理観がごっそり抜け落ちているのですから、全く以て始末に負えません。こうした人々が国の上層に居坐っているのですから、かの嘆かわしき2人の登場も或る意味では納得です。ふと思うたのですが、一国の指導者の言動が国を過ちに導くと共に精神的ブサイクな国民を醸造するという定理のこの上ないサンプルとして、この2人は然るべき機関へ提供すべきではないでしょうか。是非そうすべきですね。
 ねえ、先生。ぼくが近頃まじめに考えているのは、正義のための殺人は是か非か、ということです。殺人という行為は勿論許されざるべき行為ですよ。そんなことはわかっています。人間の知性と理性の敗北を示す行為として、戦争と変わるところはありません。卑怯かつ非道な行為です。法に触れる、触れないというレヴェルの話ではないでしょう。それぐらいはぼくだってわかるのです。いちおう法律を専攻した者ですから、そのあたりのことは重々承知しています。
 が、それでもわたくしは正義のための殺人について考えてしまうのです。それは弱者が自分の身を守るため、やむにやまれずして遂に実行する制裁であります。鉄槌であります。すくなくとも奴ら2人は社会的にも物理的にも抹殺して、この世界から除去するのが唯一無二の正解なのではないでしょうか。いまのぼくにはそれが、ぼくのような者を二度と出さぬためのたった一つの冴えたやり方であるように思えてなりません。先生、全く以て奴らは害悪です。障害ある者を、その程度の如何にかかわらずそれをタネに中傷し、小馬鹿にし、笑ってみせ、周囲に伝播するのは、到底常識と良識と知性と理性を持つ、道徳心のある人間がやるような行為ではありません。
 咨、ぼくは日々あの2人に耐え、心のなかで憤り、殺める手段、その場面を妄想して、辛うじて溜飲を下げています。が、このまま事態が進んでゆけば、いつかタガが外れて、凶行に及んでしまうかもしれません。
 ぼくがそれを実行しないのは、父母が注いでくれた愛情ゆえであります。かれらへの尊敬と、悲しませたくない心からであります。法律によって明文化される以前からそれが犯罪であり、犯罪を犯した者はかならず罪に問われて法律で罰せられることを知っているからです。読書によって育まれた良識のゆえでもあります。これまで当たり前のようにあった日常を失う恐怖と、大好きな人たちと会えなくなることの哀しみゆえであります。家族や親族に向けられる世間の冷たさを思うがゆえであります。わたくしは、自分に寄せられる愛情と信頼を裏切ることができません。そこから背を向けて非道な行為に走ることができません。だから、なんとか毎日をやり過ごすことに決めているのであります。
 いまは正直なところ、ぼく自身ではなく他の誰か、或いは不可抗力によって、あの2人が命を落としたり、重傷を負うなどして、ぼくの視界から永久に去ってくれないかな、ということです。これが実現すれば願ったり叶ったりなのですが。
 おお、先生。ぼくはなんと恐ろしいことを企んでいるのでしょう。殺人を否定する一方で正義のための殺人は時として許されて然るべきだ、とも考えているのですから。──先生、ぼくはいつの日か武器を手に取って(Rabbit's Got The Gun)、そんな連衆を向こうに回して<1人だけの軍隊>を演じ、刑を執行して歩くような気がしてなりません。
 教えてください、先生。ぼくはどうしたらいいのでしょうか。近頃はトカトントンという音とも声ともつかぬものが、現実とも幻聴とも定かでないものが、耳に聞こえてならぬのです……!(了)

 評価;Dマイナス
 理由;今期の20世紀映画史のレポート課題は、映画『タクシー・ドライバー』の主人公が大統領候補を暗殺する際、どうしてモヒカン刈りにしたのか、その史的背景はなにか、またそれが主人公乃至は映画に如何なる象徴性を与えたか、というものでした。TSUTAYAでなら旧作2泊3日100円でレンタルできるので、もう一度観直してレポートを執筆・提出してください。
 前回の『パシフィック・リム』の感想文がすばらしかっただけに、今回のレポートが映画と殆ど関係ない小説的なものになってしまったことを残念に思います。

 ○筆者>先生宛のメール
 せんせい、そういえば『パシフィック・リム 2』がクランクイン直前で製作中止になったそうですよ! ご存知でしたか!? あれほどわれらを熱くした映画の続編が土壇場で多那上げになったなんて、悲しいですね。

 ○先生>筆者宛のメール
 さっさとレポート書け。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。