第2099日目 〈【小説】『それを望む者に』 03/20〉 [小説 それを望む者に]

 事故当日の朝以来初めて、動く妻と邂逅した夜が明け、昼近くに目が覚めて床のなかでまどろんでいたら、今日は気分転換に(久しぶりに)散歩へ出掛けて、関内は伊勢佐木モールにある(いつもの)スターバックスで原稿を書こう、と思い立ち、昼ちょっと過ぎの刻、作家は文庫と辞書とノートと筆箱を、愛用する帆布地のトートバッグへ入れて支度を済ませ、出発した。
 空を仰ぎ見た。雲一つない、非現実的にさえ映る青空が広がっている。うん、気持ちも足取りも軽くさせる天気だ。なんか今日は良いことがありそうだ。作家は口のなかで呟いた。良いかどうかはともかくとして、そう、確かにこの日は作家にとって生涯忘れられぬ日の一つとなった。理由は、このまま先をお読みになればおわかり頂けるだろう。
 階段と曲がり角が続く東寺尾の丘陵を下ると国道一号線へ出る。そうしたら歩道を右手に折れて、そのまま横浜駅を経て伊勢佐木モールまで歩いてゆく。全行程、片道約七.五キロの散歩は独身時代からの習慣だが、始めたきっかけはよく覚えていない。ただ職業柄、机の前から動かず坐りっぱなし、家から一歩も出ない日だって珍しくない(いや、むしろそれが当たり前と化していた)身には、この往復約十五キロの散歩は、それなりに健康維持に役立っていると考えていた(ついでにいえば、これ以外にも作家は毎日マンションの周囲一、二キロをコースも定めず逍遥していた)。
 だいたい週二日はこうして出歩いているけれど、最終目的地が変わることはほとんどなかった。彼はそこにスターバックスがオープンしたときから、たいてい二、三時間居座って━━コーヒーを二杯飲み、冬場はザッハートルテをぱくついて━━小説を書いている。結婚後もそれは変わらず、てくてく歩いて出掛けてゆく。一時、妻の可愛らしい嫉妬と疑惑を買ったが、やがて呆れられ一片の関心すら払われなくなった。もっとも彼らにとってそこが出会いの場所となったせいであったかもしれない。それ故の安堵感であったのかもしれない。
 今日も目的地は変わらないが、なにしろ妻がみまかって以来初めて行く思い出のスターバックスである。店のなかへ足を踏み入れた途端、過去の亡霊に足を絡みとられ、奈落の底へ叩きこまれるような気がしてならない。そうでなくとも、あすこには妻と自分が出逢った場面の目撃者がいて、時折声をかけてくる。その人の顔がもし妻のそれだったらどうする? 昨夜の妻が幻覚でなく本当にそこへ存在していたのなら、件のバリスタの代わりに妻が声をかけてきたってふしぎじゃあるまい。お前は平静を保てるのか?
 長く続くゆるやかな登り坂と長く続くゆるやかな下り坂が交互に繰り返される国道を、彼は歩き続けた。
 済生会病院の老朽化してきた建物を右手に見、連絡歩道橋が新しくなった東神奈川駅を左手に眺めつつ、作家は歩くペースを落とさず歩き続けた。乗客のまばらな、系統の異なる市営バスが二台、立て続けに走っていった。
 信号を渡り、国道の反対側、右手にスケート場が見えるところで足を停めた。ふわぁっ、と思い出が、記憶の彼方から勢いよく押し寄せてきた。……
 ……スケート場の向こうにある区役所で婚姻届を提出したあと、妻にスケートの手ほどきを受けて十六歳の年齢差を如実に痛感させられてから、隣の反町公園へ魂の抜け殻みたくなった体を引きずってゆき膝枕してもらい、新婚特有の甘い一刻を過ごした。そうやって思い出は連鎖し、過去が生々しく牙を剥く。妻が死んでから何十回となく経験し、おそらくこれからも苛まされ続けるであろう現象だ。愛しくはあっても、実のところ、苦痛しかもたらさない記憶の波は、ふとした瞬間に堰を切ったように流れこみ、作家の心を奔流のなかに巻きこんでとんでもない地へ連れて行く。
 妻は死んだのだ。それが事実でないのなら、リビングに置かれた遺影やら骨壺やらは、いったいなんなのだ。死んだ人間が生前と変わらぬ風で自分の前に現れて、生きていたときと同じように日常生活を営んでいるなんてあり得ようか━━。とは雖も、昨夜現れた妻の実在を願う気持ちも、確かに彼のなかにはある。なんだか思考の無限地獄に陥ったみたいだった。がっくりとうなだれたまま歩き出そうとすると、バスから降りて区役所へ行く信号を渡ろうとしていた老婦人とぶつかった。彼はしどろもどろで謝ると、そそくさとその場を離れた。後ろを振り返る勇気なんて、なかった。
 再びゆるやかな登り坂となった国道をとぼとぼ歩きながら、線路の向こうに見えている幸ヶ谷公園の葉桜群を望み、青木橋の交差点まで来て、ぼんやりと信号が変わるのを待った。待っている間に考えた━━そして、思い出した。横浜に寄り道しなくてはならない用事があったことを。スターバックスはそのあとだ。
 信号が青に変わり、人と車(とバイクと自転車)が動き出す。作家はそのまま国道沿いに歩道を行き、途中で左に曲がって相鉄バスの駐車場とビジネス・ホテルを横目に首都高の下、鶴屋橋を渡って岡田屋More`sへ入っていった。
 ちょうど上階へ行くエレヴェーターが来ていた。乗客は彼の他に誰もいない。行く先階と〈閉〉のボタンを押して扉が閉まった。箱は低い駆動音を立てて、なめらかに動き出す。扉の向かいの壁と自分の背中の数十センチの空間で、なにか蠢く気配を感じた。振り返ると、扉の向かいの壁にある鏡に、妻が立っているのが見えた。大きく息を呑みこんで、両目をごしごし擦って、再び鏡のなかを見たが、そこには誰もいなかった。彼は妻の名を口にした。むろん、そうすることで妻が、鏡のなかにもう一度現れると思っているわけではなかったが。いまのも昨夜のも、すべては幻だ。ああ、きっとそうに決まっている。
 箱がなめらかに停まり、扉が開いた。携帯電話の料金の支払いにauショップへ行く。待つことなく窓口へ呼ばれ、二分後に下りのエスカレーターに乗っていた。すぐ下の階のマーシャル・レコード横浜店へ行くまでの間、妻が使っていた携帯電話の解約手続きを忘れていたのに気がついた。今度、解約の手続きを行わなくては。これは忘れずにやっておくことだ。エスカレーターを降りたところで手帳を出し、開いたページにそれを書きつけた。さりながら解約がされることはなかった。必要なくなってしまったから。
 作家はマーシャル・レコードで、バーバラ・ヘンドリックスが歌うシューベルト歌曲集とミシェル・コルボ指揮するシューベルトのミサ曲第五番、カラヤン指揮するオネゲルの交響曲のCDと、ピート・シーガーのベスト盤を買った。シューベルトは先月、東京国際フォーラムをメイン会場にして行われた“ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン”で聴いて探していたものである。そのときの会場は、ホールCだった。
 嗚呼、思い出よ、永久(とこしえ)にみずみずしくあれ。
 悠久の希望よ、絶えることなく彼の人の道を照らせ。

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