第2100日目 〈【小説】『それを望む者に』 04/20〉 [小説 それを望む者に]

 横浜駅東口の中央郵便局から手紙を投函すると、鎌倉まで伸びている国道十六号線沿いの歩道をてくてく歩いて、作家は南へ進んだ。彼が十四年間勤務した不動産会社が建てた三十四階建てのマンションを複雑な気分で見あげ、かつての東横線の高架下、壁に描かれたポップなテイストの絵を鑑賞しながら、てくてくと。有名になった壁絵も、秋から暫時撤去されるという。昨年行われた、市内外に住むイラストレーターの卵たちが参加したイヴェントは、伝統ある壁絵の歴史の掉尾を飾る大がかりなものだった。今年の後半は、長く横浜の景観を作ってきたものが幾つか消えてゆく。ここにあった壁絵だけではない。伊勢佐木モールで一一〇年以上営業してきた松坂屋(旧野沢屋)も、今年の秋で閉店してしまう。
 子供の頃から親しんできたそれらが消えてしまうのを嘆かずにはいられない。なぜなら、歴史を持った街並みを破壊し、新たな活力を注入するのが、つい数ヶ月前までの作家の仕事だったからだ。それは取りも直さず、自分の生まれ育った街の秩序と人間関係を自分の手で粉砕し、会社の利益増に貢献することでもあった。なんだか自分が歯車の一部になって、二度とその枠から踏み出しては生きられないような気がした。組織にがんじがらめになって生きることと、故郷の街を自らの手で崩壊させることに耐えられなくなったとき、作家は退職を決めて、職業小説家として独立することを決めた。反対されるのを覚悟して妻に打ち明けたところ、あっさり頷かれたのに拍子抜けしたときの気持ちは、いまでもよく覚えている……。
 頭上を仰ぐと、首都高の道路と道路の間から、嫌みなくらいさわやかな青色で塗りたくられた空が覗いている。この空の下を、ぽっかり空洞が生まれた心を抱えて、俺はどうやって生きてゆけばいいんだろう?
 壁絵が描かれたガード下の歩道には、ホームレスの体臭と生活用具から発生する饐(す)えた匂いが漂っている。加えて、道路から横様に流れてくる土埃の匂いも。車の排ガスに関しては、いわずもがなだ。鼻先をかすめるそれらの匂いが、たまらなく苦手だった。気管支の弱い妻が一緒のときにはガード下を歩くことはめったになく、みなとみらい地区の西端を縁取るように走る幅広の道路沿いの歩道を歩くことにしていた。その方が、妻のおだやかな顔が見られたからだった━━臭気に顔をしかめ、顔色を青ざめさせ、稀に立ち停まって気分の悪いのを落ち着かせるのを見ずにすむなら、どんな遠回りをしたって構わなかった。そんな彼女を見るのは、苦痛以外のなにものでもなかったから。どうしても━━幸いなことにめったになかったことだが━━ガード下の歩道を行かねばならないときは、マスクをしていた妻を思い出し、自分は妻の健康についてちゃんと考えたことがあっただろうか、と自問した。答えは出ない、自分ではそうしてきたつもりだ、という他は。
 そんなこんなで歩き続け、昔とはすっかり様変わりした桜木町駅界隈を無意識に避け、地下通路を通って野毛の横町へ出た。足はいつの間にか、昨年の一月まで営業していたジャズ喫茶ちぐさの跡地へ向かっていた。そこではマンションが建設中である。ここもだ。作家は内心頭を振って、ちらっ、とシートに囲まれたそれに視線を投げ、そこから足早に立ち去った。大岡川に架かる橋を過ぎて、彼は足を停め、ちぐさのあった場所を振り返った。なにもかもみな懐かしい。沖田艦長の名台詞が、思わず口をついて出た。
 婚約中だった頃、一度だけちぐさで待ち合わせをしたことがあった。散々道に迷った挙げ句に到着したものの、独特の雰囲気を店の外で察したか、ドアに嵌めこまれたくすんだガラスからおっかなびっくり顔を覗かせて、待ち人がいるかを探っていた妻。ちょうど流れていたオスカー・ピーターソンに耳を傾けて気がつかなかった作家だが、ドアのそばにいた店主が気を利かせて妻を店内に招き入れ、待ち人の前の席に座らせた……でも、作家が彼女がいるのに気附いたのは、それから五分ばかり経った頃である。当然ながら店を出たところで、妻からぶつぶつ愚痴られ、その夜は山下公園の向かいにあるニューグランドホテルで夕食を取る羽目になった。むろん、すべてが良き思い出である。
 思い出は次の思い出を呼び醒まし、新たなかなしみを嫌がらせのように誘(いざな)い、遂にはあり得べからざる光景を眼前に、昼日中に出現させた。ちぐさでの一刻を思い出しながら、裏伊勢佐木町と呼ばれる風俗店と韓国人街のアーケードを歩いていると、買い物袋を担いだ妻が角を曲がってやってきた。ちっこい体に不釣り合いな、松坂屋の大きな紙袋を両手で抱え持って。大根の葉っぱとフランス・パンの先っちょが見えているのが、無性におかしかった。行き交う人の姿はわずかだが、そんな人々の目に彼女は映らない。だがいま目の前にいて危なっかしい足取りで買い物袋を抱えているのは、紛れもなく終生共にいると誓い合ったはずの妻である。それ以外の何者かであるはずはない。
 死んだ妻がいる。頭ではそれが幻影だとわかっていても、心はその考えを拒否していた。もはやどうでもいいことだ、とさえ思う。あるがままの光景を受け容れるよりないじゃないか。
 ちっこい体の妻は、相変わらずよたよた歩いている。このままだとアーケードを支える柱にぶつかったっておかしくない。幽霊だから柱と正面衝突しても、きっとすり抜けちゃうさ。きっと痛みも感じないよ。本人(?)たちが聞いたら噴飯ものだろうけれど、悲しいことに作家は幽霊の気持ちというのが、理解できないでいる。しかし安心したまえ、作家よ、君は間もなくそれを知ることになるのだから。そう、きっと彼らは柱をすり抜けてしまうかもしれない。でもその幽霊なるものが、夫婦として暮らした女性であれば、一声声をかけて注意を促すのに如くはないだろう。で、彼はそうした。
 作家は妻に、危ないよ、といった。それに反応する一瞬前に妻がこちらへ向きを変え、買い物袋の向こうからひょい、と顔を覗かせた。その瞳には喜びが、その口許には微笑が浮かんでいる。この笑顔をずっと見、守り続けたい。そう願って彼は妻にプロポーズした。他愛のない理由で喧嘩した日はその笑顔が、やけに重苦しく感じられ、能面のような冷たさに思えたこともある。が、作家はそれを見て、普段見る“可愛らしい”妻ではなく、まさに“美しい”としか表現しようのない彼女を発見して、密かに恋心をふくらませたときもあった。ああ、良き思い出である。
 妻が表情を崩さないで両頬をふくらませた。「突っ立ってないで、さっさとこの荷物持ってよぉ」と抗議してきた。昔の歌謡曲のタイトルが、唐突に脳裏に浮かんだ━━たとえていえば薔薇の花のようなあなた。これは……和久井映見の歌であったか。ぱっと咲き誇る花のように可憐で気高く、美しい。妻の顔を見て歌のタイトルを連想し、そんなことを思い、鼻の下が伸びているのを感じながら、作家は荷物を受け取ろうと手を伸ばした。だが、わかっている。彼女は荷物を渡しはしないだろう。いつものことだったから。さっきの台詞も、とどのつまりいってみたかっただけ。なににせよ、いわずには気が済まない台詞というものがある。妻のも、それと変わるところはない。
 今回もきっとそうだ。慣れ親しんだ生活のパターンが戻ってくるのを、作家は期待した。が、無駄だった。
 買い物袋を担いだまま、笑顔を湛えたまま、妻はかき消えた。作家は刹那の間、その場に呆然と立ち尽くした。
 彼女のいたあたりの空間が歪んで見える。空気が澱んでいる。気のせいか、腐臭に似た匂いが鼻先をかすめた。軽い吐き気を覚えたが、なんとか我慢できる程度のものだった。両肩へなにかがのしかかってくるような気がする。黒い影の葬列が目の前を、風に巻きあげられた土埃を従えて、整然と目の前を通り過ぎてゆく。砂漠を行くキャラバンのようだった。葬列は死者を悼んで、〈怒りの日〉の歌詞を唱えている。作家ははっきりとその声を耳にし、恐怖を覚えるよりも耳をふさぐよりも先に顔を両手で覆い、泣き咽んだ。
 その涙をハンカチで拭ったら、不審げな目つきを隠そうともしない、水商売風の韓国人女と目が合った。彼は足早にその場を立ち去った。あの女の視線がいつまでも背中に貼りついているような気がし、葬列の唱える〈怒りの日〉の朗唱がいつまでも聞こえてくるような気がして、そうしてなによりも腐敗した姿の妻があとを追ってくるような気がして、彼は足早にその場を立ち去った。飄然と立ち去った。もうこの場所を訪れたくはなかった。事実、この日以降、作家がこの場所に訪れることはなかった。ハレルヤ。
 目指す店は、この少し先にある。

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