第2101日目 〈【小説】『それを望む者に』 05/20〉 [小説 それを望む者に]

 午後二時をわずかに過ぎていた。てくてく歩き続けて、店がいちばん静かで、落ち着きを保っている刻に、お目当てのスターバックスへ到着した作家。すぐには店へ入らず、外のバルコニー席に陣取る幾人かの常連(彼らも妻のことは知っていたが、事故で死んだことはまだ知らなかった。敢えて教えるまでもあるまい、と作家は判断した)と声を交わしてから、自動ドアへ向かった。出てくる高校生の集団が行くまで脇にどいて、伊勢佐木モールを、無力な眼差しでぐるり、と眺め渡した。
 伊勢佐木モールは陽光の恵みを受け、金色の輝きに包まれている。そのなかを人々は闊歩し、それぞれの人生の一瞬間を過ごしていた。午後と雖もさして大量の人間が行き交っているわけではないが、十五年前よりはずっと多い。作家が学生だった頃(それはずっと昔のお話。まだ日本がバブル経済を謳歌していた時分だ)は平日でも人があふれ、モールにはもっとローカルな雰囲気が満ちていた。社会人になったとほぼ同じ時期を同じうして日本経済は下降線をたどり、それと軌を一とする如くここの人通りもめっきり少なくなった。すべて本当のお話だ。シャッターを閉めて二度と開くことなく消えていった店も多く、寂れた田舎の商店街と同じ雰囲気が横浜の繁華街にも漂っていた。ご多分に漏れず地上げ屋も押しかけたが、街の崩壊だけはなんとか食い止められた。が、そうではあっても、当時の伊勢佐木モールとは、閑古鳥の鳴り響く黄昏の色濃くなりまさってゆく場所だったのだ。しかし、やがてモールは復活した。但し、その代償としてモールを行く人の国籍は変化し、韓国人やフィリピン人どもが我が物顔でうろつき回る、およそ快適とは言い難い街にはなってしまったが。
 スターバックスへ足を踏み入れて店内の暗がりにしばしとまどった。薄暗いというほどのものではないが、陽の下を歩き続けてきた目には、刹那の混乱をもたらすぐらいには暗く感じた。目が馴れると、壁際に並んだ丸卓に空席があるのがわかった。ギターのネックをあしらったポップな絵を背にした席だ。作家は歩み寄って通路側の椅子に荷物を置き、なかから文庫を出して卓上へ置き、財布を持ってレジ・カウンターへ向かった。トールのマグカップで〈本日のコーヒー〉を注文した。いつもと変わらない。妻が死んでも、習慣は変わらない。単純な事実に作家はむなしさと安堵を同時に覚えた。ちなみに、今日の〈本日のコーヒー〉はピーペリー・ブレンドだった。
 席へ戻って壁側の椅子に腰をおろし、コーヒーを一口、二口飲んで、おもむろに文庫本を広げた。いま読んでいるのは、ヘミングウェイの短編集である。読みさしの短編(「蝶々と戦車」)を三ページ読み進んで、誰かの視線を感じたような気がして顔をあげた。こちらを見る者は、誰もいない。気のせいか、と作家は口のなかで呟いた。正直なところ、妻が店のなかにいるのを期待したのだったが。
 店内を一瞥した。客の入りは半分程度話し声は気に障るほど目立つわけでない。いちばん耳に飛びこんでくるのは、カウンターのなかにいて作業しているバリスタたちの声だ。そこにときどきエスプレッソ・マシンの音や、稀にカップや皿が割れる音が聞こえてくる。できあがったドリンクを渡すカウンターから女性の、おっとりした気の抜けるような高い声が聞こえた。ああ、あの子いるんだな、と作家は思った。ふいに静かな瞬間が訪れ、天井に設置されたスピーカーから、男性ヴォーカルの歌声が流れてくる。歌手の名前は知らないが、なんという曲かは作家も知っていた。《ミスティ・ブルー》だ。耳を澄まさずともスピーカーからは、歌手の生々しい息遣いや客席の囁き交わす声とグラスを合わせる音が、よく聞き取れた。
 作家は再びヘミングウェイの世界へ戻るのを決めた。いつしかここが、伊勢佐木モールのスターバックスでも、男性歌手が歌っている小屋でもなく、マドリードの街角にある酒場チコーテであるかのような錯覚を抱かせた。もちろん、ここには水鉄砲を撃つ男も、銃を提げた制服姿の男たちもいない。況や、「ノ・アイ・デレチョ」(「あんたにそんなことをする権利はない」という意味のスペイン語である)と叫んで抗議するウェイターをや。読んでいる間、知らず何度も飲んでいたようで、短編が終わって息をついて持ったマグ・カップの中身は、すっかり空っぽだった。そこに茶色い染みができている。お代わりを買ってこようと、彼は席を立った。
 二つあるレジの両方がふさがっていた。フォーク並びの列の三番目で順番を待ちながら、カウンターの上に吊られたメニュー・ボードとその左側に掛けられた黒板を見あげる。たまにはなにか違うものを頼んでみようかな、と考えることがある。過去に何度かこの店でジャバ・チップ・フラペチーノを注文したことはあったが、思い出せる限りでは、いずれも誰かと一緒のときではなかったか。妻ではなく、友人であったり編集者であったり。それも、年末年始の時分であったと記憶する。いずれにせよ、例外は数えるほどであった。判で押したように(馬鹿の一つ覚えにも等しい)〈本日のコーヒー〉をトールのマグカップで頼む。それから、席に戻っておもむろにノートを開き、シャープペンを握って小説を書き始める。まるで有史以来絶え間なく続いた運動のような営みの連続であった。おそらく、と作家は考えた、この世にスターバックスがあり続け、この店がなくなってもこの界隈に点在する他のスターバックスで同じ行為が繰り返されるだろう。しかし、ここ以上のバリスタたちに出会えることは、まずあるまい。妻と出逢った場所という以上の意味を、自分のなかでこの店が持ち始めていることに思い至って、作家は複雑に表情の入り交じった溜め息をもらした。
 視界を最前の女性バリスタがよぎった。顔をあげることなく彼は、彼女の動きを目端で追った。妻を知る以前から働いていた中川翔子似の子で、白状すれば、ちょっといいな、と思ったこともないではない。いや、もっと正確にいえば、妻と結婚してからもこの店へ来るのは、その女性バリスタの顔見たさであった。むろん、どこかへ誘ったり声を掛けたことはない。浮気を夢想しても、一歩を踏み出せぬまま伴侶の許へ戻ることの方が、彼にとっては幸せだったからだ。船は常に母港(みなと)へ帰るようにできているのである。
 作家はお代わりしてきたコーヒーの、最初の一口を飲んだ。風俗店へ行く度胸もない自分に、浮気なんていう日常から著しく逸脱した行動を取れるはずがないではないか。それは妻もわかっていたようで、誰かと過ちを犯したらおろおろして私に相談してくるよね、となかば真顔でいっていたほどである。だが、逆にさばさばされすぎていると、却って不安になるのが男という生物だ。ときには流血沙汰も辞さないぐらい嫉妬してくれてもよさそうなものだけどな、と思うが、実際に誰かと交渉を持つ器用さも、誰かと火遊びする気もないと自分で納得したら、目の前にいてくれる女性がより愛しくなった。
 作家は実の母親と兄から〈生まれてこなくてよかった者〉と拒否されて育ってきた。中学生になると年齢を偽ってアルバイトに精を出し━━倉庫の入出庫作業やコンビニ弁当のおかず詰めなど、その気になればいくらでも仕事は見つかった。年度末になると道路工事の交通誘導が多くなり、その時期だけは目玉が飛び出るほどの高時給だった━━、高校卒業と同時に不動産会社へ就職するや、夜逃げ同然に家を出た。それは必然としかいえない流れである。それからずっと一人でいた。誰を信用してよいのか、わからなかった。職場での人間関係は比較的恵まれていたので(男だらけだったのが幸いしたのかもしれない、と結婚したあるときにビールを飲んでいて、ふと、そんな風に思った)悩みはなかったが、会社を退職した理由が組織ぐるみの裏切りに背反行為となれば、再び人間不信が戻ってくるのに仕方ない部分もあろう。そんななかで出逢ったのが、いうまでもなく妻であった。交際が始まって間もない時分は、際限なく愛情を注ぎこんできて平然と自分のなかへ入りこんで居坐っている妻に、不審と恐れを感じた。が、月日が経るにつれて彼女の存在が実に心地よく、ありがたく感じられてき、ようやく安息の地を見出したような、心からのやすらぎを覚えたのである。もしこの先、小説家を廃業しなくてはならなくなったとする。そうなったら、どんな黒い仕事に手を染めてでもこの子を養う。結婚をはっきり意識したときに彼はそう決意していた。
 だけど、彼女がこれまで与えてくれた以上のものを、俺は彼女に与えてこられたのだろうか? ふと作家は開いたノートから目をあげて、自問した。確かめる術はもうない。そうであったらよかったのだが、という思いのみが、心のなかに浮かんで消えた。世界でたった一人の女性だった妻を失った。バランスを欠いた心を抱えて、俺はこれからどうしてゆけばいいのだろう?
 コーヒーをもう一口飲んで、閉じてあったヘミングウェイの短編集をぱらぱらめくっていたら、光が闇を切り裂くような速さで小説のアイデアが浮かんだ。三作の長編からなるユーモア小説のキャラクター像とプロットを、作家は一心不乱に、訪れた物語の〈声〉を聞き逃さぬようにして、ノートへ書き綴っていった。最後に登場人物の相関図を簡単に書き留めた。掌がじっとりと汗で湿り、手首を軽い震えが走った。シャープペンを置いた手でマグカップの握りを摑んだが、わずかに卓の表面から浮いただけですぐさま落下した。手首をぱたぱた四方に揺らしてほぐし、ようやくマグカップを持つことができた。喉へ流れこむコーヒーは、すっかり冷めていた。どれだけ長くノートに向かっていたかを、彼はいまさらのように知った。
 首をこきこき鳴らしながら窓外へ目をやった。モールに面した壁は天地の十センチばかりを除いてガラス張りである。そこから見えるモールは変わらず陽光に照らされていたが、若干陽が傾いたようだ。白樫を囲むアルミ・パイプ製のベンチでは、流しのギター弾きの老人が日曜画家と気軽に声を交わし、取り巻きたちがそれに加わっている。待ち合わせなのか、時計を見携帯電話でメールをチェックしながら、コーヒーだかラテだかを飲んでいる、早くも真夏の格好をした女性がいる。自転車を押す人と乗る人がすれ違い、ちょっとした諍いが起こった。向かいの眼鏡店の店頭でぼんやり外を眺めていた店員が、踵を返してなかへ引っ込んだ。立ち話に興じている若い男たちが、背を反らせて笑い声をあげている。スターバックスの緑の日除けが微風に波打ち、垂れた部分がめくれあがった。その下のテラス席では東南アジア系の男女が思い思いに坐って煙草を吹かし、携帯電話をいじくり、いつ果てるともなく続く会話が繰り広げられている。女性たちの相手の多くが日本人男性だった。年齢的には定年退職したぐらいだろうが、どう見たって堅気の社会人経験者とは考えにくい。そうしてなぜか、そんな女性たちのグループの七割がおべべをお仕着せた小型犬を連れている。彼らの話し声や雑踏のざわめきが、自動扉が開くたびに聞こえてきた。
 作家は目を細めてそうした光景の一々を眺めた。世界は何一つ変わることなく、動き続けている。それは当たり前のことだ、とわかっていても、釈然としないものを感じる。虚ろな気分を抱えたまま、割り切れぬものを感じたまま、作家は妻がいなくなったこの世界でこれからどうやって生きてゆけばいいのだろう、とこの日何度目かの同じ疑問を口のなかで呟いた。再婚という言葉がふいに脳裏をよぎったが、即効で完全否定した。不謹慎に思ったのではなく、あり得ない未来の選択肢だったからだ。自分が妻以外の女性を娶ることも愛することもできないことは、なによりも作家自身がよくわかっている。どう考えても、現実的な選択ではない。やれやれ、つくづく救いがたい男だな、俺も。

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