第2109日目 〈【小説】『それを望む者に』 13/20〉 [小説 それを望む者に]

 三日が経って、その日はまだ陽が出ているうちから、作家は本牧のバーの片隅に陣取って呑んでいた。同人誌時代の仲間と編集者が誘ってくれたのだ。うわべは、まだ妻の突然の死から立ち直れていないがどうにか日々を過ごしているから心配しないでくれ、といった風を装って談笑している。だが、すべて上の空だった。
 時間が流れグラスを重ねるにつれて、決意は固まっていった。どんな結末を招いても構わない。
 仲間たちと談笑する自分を冷徹な眼差しで観察する己がいた。そいつがほくそ笑みながら、ゆっくりと計画を練りあげてゆく。
 深夜になってみんなと別れ、タクシーの後部座席へ深々と腰をおろした。携帯電話の画像フォルダに保存してあった妻の写真を出す。親指の腹で画面を撫でた。途中、上り坂のところで樹木にまわりをおおわれた教会を見た。信徒でもないのに、彼は祈り、許しを乞うた。
 亡き妻の面影が作家を苛み続けたこの日の夜更け、彼は禁忌(タブー)を犯す決意を固めた。
 底知れぬ深い虚無と倫理を踏みにじった末の希望が、作家の前に横たわっている。

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