第2117日目 〈【小説】『それを望む者に』 あとがき〉 [小説 それを望む者に]

 小説『それを望む者に』を20日にかけて分載させていただいた。まずは今日までお読みくだすった読者諸兄に感謝の花束を。いつのときでも見捨てることなく呆れることなく、本ブログの読者であり続けてくれる皆様なくして、このようなわがままは実現できなかった。サンキャー。
 本作の執筆は、いま第一稿やその基となったノートが出てこないので記憶に頼るが、2009年の春から夏にかけての時期だろう。これは、前年の東京国際フォーラムでのアルバイトにて生じた思いの沈静を謀りつつも自分の内に宿る思い出を、却って生々しく記憶に焼き付ける結果となった作品である。
 東日本大震災後に本作を閲読してくれた数少ない知己の人たちは、本作冒頭の東北地方を襲った地震をかの震災と思うたようだが、事実は異なる。執筆の直前であったか、まさしく東北地方では道路のひび割れ、陥没を引き起こすような強い地震が発生していた。陥没した道路に、運悪く走行中の観光バスが突っこんで死傷者が出たかどうかは、覚えていない。『それを望む者に』は、いまにして思えば3.11の前兆とさえ思える大きな地震の報道に触れたことで、その頃執筆を目論んでいた黒魔術を用いた死者のよみがえりを扱った小説が変容して、現在読者諸兄の前にあるような形の作品として誕生したものである。そうして結局は、葬るつもりであった気持ちを復活させ、傷口に塗りこむような愚を(自らの手で)犯した……。
 作中では専ら地理の正確さ、町の描写の正確さに力点を置いたつもりだが、読者諸兄の目にはどのように映ったことであろうか。横浜市鶴見区の高台、伊勢佐木モールへの道程、東名高速道路の下り線……が、結果としてわが内にある幻想の故郷の創造に従事したのかもしれない。まぁ、或る町を舞台にした小説を書く、というのは、その町の再創造に等しい作業なのであろう。かつてスティーヴン・キングが《暗黒の塔》シリーズのなかで、ニューヨークの町並みを物語のために敢えて改変したのと同じように……空き地に咲く薔薇の花!
 後半の舞台となる北白川市はわたくしが高校時代から小説の舞台とすることたびたびであった町だが、一部と雖も実質的にその町並みや交通機関が描かれるのは21世紀になって書かれた本作が初めてとなる。われながら開いた口が塞がらないけれど、この間ずっと小説を書いてきたわけではないから、この空白期については諒としていただきたい。
 また、御澤神社の境内や建物配置、そうして周辺の様子については今回新たに設定を書き起こした。というのもずっと以前に書いたものではあまりに雑すぎて使い物とならなかったからである。だからなんだ、といわれるかもしれないけれど、作品の生命力を少しでも逞しく、強く、また長いものとするためには、どうしても必要な作業であったことなのだ。創作する者ならば、誰しも経験していることではないか。そうして──私事になるが、この設定の作り直しに費やす下調べや簡単な配置図などの作成は、すこぶる楽しい作業であった! なお、この神社のモデルとなったのは、神奈川県伊勢原市にある関東総鎮護、大山阿夫利神社である。わたくしは何度か訪れたこの神社、そうしてこの大山にいわれなき愛着と畏怖を感じる。いわばこれはわたくしの、この神社に寄せるConfession of Faithなのだ──とは、さすがに大仰か。
 本作にこめた気持ち、思いがどのようなものであったのか。それは行間をお読みいただければ自ずと明らかであるが、やはりわたくしは多くの怨霊に取り憑かれているのだ、と確認したことである。
 完結済みの作品とはいえ、本ブログでは久しぶりの小説掲載となった。アクセス数を見ると分載中も特に変化はない様子なので、これに調子附いて味をしめ、今後も折を見て過去作品のお披露目を企んでいる。◆

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