第2126日目 〈旅行記を書きたいのだ。〉 [日々の思い・独り言]

 新着ニュース:みくらさんさんかは名古屋行きを断念した。──松井玲奈のポスターに釣られたわけでもなんでもない、ただいま名古屋は徳川美術館にて「国宝・源氏物語絵巻展」が今月6日まで開催中。10年に1度の全点展示というコピーがあながち大仰でないのは、うち数点が個人蔵であることから明らかだ。
 この展覧会を知ったのは、会期が始まったばかりの頃だったろうか。なかなか休みの調整ができず、勇躍この有給休暇中に行くのを企み、計画も立てていたのだが……極めて馬鹿馬鹿しくもよんどころない事情により、新横浜と名古屋を往復する旅は中止せざるを得なくなった。弾丸日帰り旅行も視野に入れて最後まで希望は捨てなかったけれど、それも諦めるよりなかった。
 残念だが、仕方ない。個人蔵を除けば、美術館その他然るべき機関へ赴いて絵巻の一点一点を鑑賞することはできる。恩師に平身低頭お願いして袖の下の一つや二つも贈った上で、一般公開されていない所蔵品を調査名目で拝見することも可能であろう(笑い飛ばせ、諸兄!)。それが無理なら、再び10年後の全点展示へ足を運べばよい。しかしながらやはり、今回行けなかったのは残念だなぁ。……玲奈ひょ〜ん! もとい、源氏〜!!
 ああ、さて。と、咳払い。
 実はそもそもの予定では2泊3日或いは3泊4日して、間の1日を伊勢詣でに割くつもりであった。なるたけ早い時間に内宮に到着、宇治橋を渡って五十鈴川の御手洗場で手を清め……。そんな計画を企てのも、今年3月の伊勢・鳥羽旅行について、なに一つ書き残していないことに気附いたからだ。Facebookで「友達」のみに公開した写真と数行のコメントは含んでいない。当たり前だ。
 鳥羽についてはともかく、伊勢詣でした際のことをなにも、ただの一行も書かなかったのは、いまのわたくしが聖書読書にどっぷり浸かっているためでもあるか。まさかそんな馬鹿なことはあるまいよ、君、撤回し給え、などと具申するなかれ。そのときの読書傾向が行動を支配することは、或る程度まであり得ることだろう。
 もしわたくしがこの時期、国内ではなく外国、それも聖書の舞台となったエルサレムやガリラヤ、エジプトや小アジア、或いはアテネやローマなど訪ねていたら、聖書の記述や当該時代へ思いを馳せて、その感情と知識を基にした文章を書いていたことは想像に難くない。それがどれだけ短かったり、長いものであったとしても、だ。
 これについては簡単に証明できる。親戚がイギリスにいたとき、わたくしは春休みの3週間を使ってかの地を旅行したが、その時分はイギリス文学(と幻想文学)の使徒であった。3週間のイギリス旅行の経験からハワース紀行が生まれ、途中で破棄したとはいえ、湖水地方やストラトフォード・アポン・エイボン訪問記の筆が執られたのだ。
 換言すれば自分が<いまこの瞬間 just now>もかつての如く、古典文学や美術など含めた文芸、日本史にどっぷりと浸かっていたらば、旅空の下の文人気取りで断片的なものであってもまとまったものであっても書き記していたはずである。
 ──まぁ、宿へ戻ればiPhoneやデジカメと持参したMac Book Airをつなげて写真を取りこみ、その一部をFacebookに投稿していたわけだし、iPhoneとMac Book AirのEvernoteを同期させて旅のレジュメの確認や利用した交通機関の名称と区間、所要時間と料金などチェックしていたのだから、その隙間時間を使って短いもの、断片的なものを書けたはずなのだが……そも書く意思、心づもりが最初からなければ、道具が揃っていたとしても紀行文の粗稿を認めたりはしないよな、と、深く、真摯に反省する。──
 ちかごろのわが旅行記録を脳内で繙いて伊勢のみ取り挙げたけれど、昨年の山寺-松島-平泉への旅行や今年5月の長谷を振り出しとした奈良-宇治の旅行について、なにも語らなかったのはどうしてなのか、われながら解せない。すべての旅行の紀行文を執筆する必要はないけれど、すくなくとも友人への報告みたいな風で構わぬから覚え書き程度の短文は残すよう心掛けているのだが。それがFacebookへの投稿じゃぁないの、と水を差されてしまえば返す言葉はない。もっとも、本ブログが専門なき自由な内容のものであり、加えて毎日更新てふ枷を設けていなければ、ぶんぶんずいずい、と旅行記をお披露目していたことであろうね。勿論、写真附きで。
 これまでわたくしが認めた旅行記の類は、とても少ない(はず)。ちかごろめっきり減退しつつある様子の記憶を頼りにすれば、順不同で、ハワースとスウェーデン、鎌倉と館林の田山花袋記念館訪問記ぐらいだ(と、判明したこの瞬間、わたくしは傍目にはっきりわかる程崩折れ、悄然とした。え、嘘でしょ、とばかりに)。
 ヴェトナムと初めての一人京都旅行については、下書きに毛が生えた程度の第一稿があるけれど、未だ一編への昇華はされていない。ベーカー街やスコットランドへ行ったときのことも書いていない(途中で破棄したものを含む)。小説やエッセイで触れたことはあっても、単独旅行記、訪問記としてはいまに至るも物したことはないのである。わたくしにとってはびっくりするような事実であるが、帰国直前の曇天の日に訪れたベーカー街訪問記は書き残しておきたいものです。
 同様に、山寺-松島-平泉への旅行と長谷-奈良-宇治への旅行(長谷と奈良はこの際、別個にお考えいただきたい。真言宗豊山派の家の者としては長谷参詣は奈良観光と明らかに一線を画すべきと考えるからだ)についても、家族旅行のまたとない思い出の記録として一編を残しておきたい。これらは赦しと感謝の文章にもなるに相違ない……。
 わたくしも物書きの端くれである以上、紀行の分野に於いても範としたい作家、憧れ/理想とする作家、逆に肌の合わない作家はいる。国内、近現代に限定すれば、──
 範としたきの筆頭は田山花袋だ。自分の足を頼りに国のあちこちを訪れて廻った者として、田山花袋の右に出る者がいることを、わたくしは寡聞にして知らない。まぁ、僅差で若山牧水がいるけれど、どうしても田山花袋に軍配が上がる。頭一つ分突き出た存在なのだ。
 わたくしがちかごろ脚力を養い、併せて減量に挑むなどしているのは、一つに本ブログ完結後に計画している旅行に備えてのことがある。田山花袋や若山牧水の如く足を使って、後に述べる百閒先生の如く列車(公共交通機関)を使って、この国のあちこちを廻ってみたい。時に富士山へ登ってみたり、熊野古道や奥の細道を歩き通したりね。それも原因を辿れば田山花袋の紀行文に触発されてのことかな。勿論、それだけが原因ではないが、本稿の性質上そのように申しておく。
 でも、花袋にしろ牧水にしろ自分が親しんだ土地の出身、縁者であるとは奇妙な偶然ですね。依怙贔屓はしておりませんので、あしからず。
 そうそう、情痴小説の書き手としてのみ一般に知られる近松秋江も、紀行作家としては相当の腕を持った人である。が、どういうわけか近畿地方を廻ったものでは筆が冴えるがそれ以外だと精彩を欠くような気がするのは、一人わたくしの気のせいであろうか。
 既に名前のみ出したが、元祖<乗り鉄>内田百閒もこのジャンルに欠かせぬ存在だが、この人の体験と文章はちょっとやそっとじゃ真似できない類のものだ。昨日も『阿房列車』を読み返したけれど、この縦横無尽、天衣無縫、自由気ままぶりは、今日のわれらには夢のまた夢である。
 ところで今日へ目を転ずれば、範としたき人、憧れとしたき人には誰がいるだろう。20代後半に夢中になったなかには沢木耕太郎や蔵前仁一、宮田珠己など、バックパッカー体験を基にした人たちがいるけれど、これは作家への憧れなどではなく、<自分にはできない体験への憧れ>を胸にして読み耽った覚えがある。他にアウトドア体験を基にした作物を得手とするシェルパ斉藤という異種がいるけれど、これも<自分にはできない体験への憧れ>を抱きながら読んだのだった。
 今日の作家に目を転ずれば、憧れとも思い範とも思う人物が3人いる。アラスカをフィールドとした写真家・星野道夫と、イタリア滞在の経験を丁寧な筆致で掬いあげて綴った須賀敦子、そうしてこのリストの最後に加える大物は勿論、村上春樹である。
 おこがましいかもしれぬが、村上春樹の紀行はわたくしにとってこの分野の最上のものと思う。先月発売された『ラオスにいったい何があるというんですか?』(文藝春秋)を読んで、そうして『辺境・近境』、『遠い太鼓』、『雨天炎天』を読んで、ますますその思いを強くした。こんな文章を書きたいなぁ、と素直に思うのである。旅に出るにはやはり体力と脚力が必要だな、と、村上春樹の紀行は教えてくれたよ。
 ──たぶんわたくしは、小説家になれなかったら旅行作家になりたかったのだ。国の内外を問わず、文芸と歴史をベースにした紀行文を得意とする、そんな作家に。時を超えていままたその思い(旅行作家になるならないはともかくとして)が甦ってきたのは、本ブログが本来の目的を達すること、その時期がほぼ確定したことに由来しよう。つまり根底にあるのはこうした心の叫びである、──俺は自由だ、解放されるのだっ!
 冒頭の名古屋と古典の歴史の宝蔵である京都・奈良を別として、いま行ってみたいなぁ、と思うている場所は、和歌山は高野山と滋賀である。
 高野山はともかく、なぜに滋賀? 湖北の長浜市は大名にして作庭家、また茶人として名を遺す小堀遠州公の生地なのだ。きっかけはたしか上田秋成の出自にまつわる伝承だったと思うが、この小堀遠州公はむかしから気になってならない存在だった。その事績を多少なりとも偲びたい、というのが訪問の主たる目的である。その際は南下して、今夏知り合うことのできたH氏に再会する機を得られればいいな、と思う。むろん、それで荒ぶる武蔵国へ帰るつもりはない。そのまま京都へ出て、私淑するフランス文学者の墓前に手を合わせ、石川丈山所縁の詩仙堂へ行き、三条大橋のスターバックスで鴨川を眺めて、ぼう、として……
 ……こんなことを書いていたら、いままた旅に出たい気分になってきた。文章は感情を煽り、憧憬の思いを増幅するのだ。本ブログ完結までは諸事いずれも自粛しているのですぐには無理だが、来年の秋頃からは仕事の合間を縫って旅行人になりたいものですね。
 旅に病んで、夢は枯野をかけ廻る、か……。◆

 追記;名古屋に行くからとて、そのたびに「SKE48のコンサートですか?」と訊くのやめてください。ち、違うんだからね!?□

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