第2145日目 〈佐藤春夫を読み直すきっかけは、〉 [日々の思い・独り言]

 なんと驚いたことに、現在岩波文庫では佐藤春夫の『田園の憂鬱』は品切れ状態であるそうだ。或ることがきっかけでもう一度読んでみよう、と書店へ出掛けたが、棚にないのはともかくと思い目録を繰ってみたら、その事実に直面した。代わりに現時点で入手可能な岩波文庫の佐藤春夫は『小説 永井荷風伝』と、毎年恒例の復刊フェアでお目見えした自選短編集『厭世家の誕生日』のみ。淋しい状態だが、『田園の憂鬱』は幸い新潮文庫で健在である。
 わたくしが佐藤春夫の名前を知ったのは、ご多分に漏れず平井呈一の伝記に拠るのだが、時期を同じうして唐詩の講義で『車塵集』所収の訳詞が紹介された。当時まだ中公文庫からは<日本の詩人>シリーズが欠巻なく書店に並んでいたので、講義の帰りさっそく八重洲ブックセンターにて佐藤春夫の巻を購い、帰宅の電車の中で読み耽ったのである。序でに申せばわたしが高校卒業後学んだ2つの学校は、いずれも佐藤春夫と縁深き学校ゆえ邂逅は必然のものであったように、自分ではその後自負している次第である。
 ゆえに文学者・佐藤春夫との出会いは詩であったわけだから、当初読むのは詩集ばかりで小説なんて手を着けるのは後回しになっていた。どのようにいうたら角が立たぬかわからないけれど、印象が薄く、詩人の余暇の域を出ない道楽のように思えたのである。これは裏を返せば、それまで読んでいた近現代文学や海外の小説とは勝手の異なるものと映った、ということになるか。
 熊野古道を歩く計画を立てている。佐藤春夫は和歌山県新宮市で生まれた。西に熊野速玉神社を擁す新宮市は熊野古道の中辺路(なかへち)が通る。熊野古道を歩く際の拠点となる町の1つだが、熊野古道を歩く計画を立てたときから自分のなかに、佐藤春夫の文学作品を再び賞味したい欲求が生まれた。熊野古道を歩く夢はかつて自分が専攻した古典文学との再会の呼び水となったのみならず、佐藤春夫の小説や詩との再開をも促したわけである。古道歩きを実行するとなれば伊勢路から始める予定でいるので、翌年に中辺路を歩くことになるであろう。
 熊野古道を歩く計画を練りながら、改めて佐藤春夫が残した作品の幾許かに触れて一時を楽しむことを、来年のまたとない楽しみと思うている。◆

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