第2181日目 〈文学のススメ、自分宛。〉 [日々の思い・独り言]

 残業した帰りのスターバックスでコーヒーを飲みながら志賀直哉を読んでいるのですが、どうにも集中できず、作中世界へ入ってゆくこともできず、それ以上ページを繰るのを断念して巻を閉じました。そうして吸ってもいない、見えてもいない煙草の紫の煙を眺めながら予感を受けました──これ以上この時点で志賀直哉を読み続けることはあるまいな、と。が、3冊の新潮文庫を処分するわけではない(2016年2月1日現在)。2,3年の内に改めて読み直す気になるかもしれないし、未読の中巻、下巻に収められるなかにも読んでおきたい、読みたい短編が含まれているのだ。咨、この結末の訪れがあらかじめわかっていたなら、他文庫の傑作集1冊ぐらいで済ませておくんだったな。残念。
 残念といえば斯様な結末のあることがわかっていたなら、他の作家の小説を読む時間に充てるべきだった。若干後悔している。いまわたくしの念頭にあるのは佐藤春夫なのだが、買い溜めた新潮文庫と岩波文庫を心ゆくまで堪能する時間に費やしたかった。前者の『田園の憂鬱』と『わんぱく時代』、後者の自選・多選の2種の短編集に耽り、そのまま『小説永井荷風伝』(岩波文庫)と『たそがれの人間』(平凡社ライブラリー)へ至る道を歩むべきであった。切にそう思うている。後者は東雅夫が編んだ怪異小品集、平井呈一のエッセイで興味を持った「化物屋敷」を含む1冊だ。本音を言えば、学生時代に数編を読んだ佐藤春夫一世一代の名仕事、名随筆集『退屈読本』(富山房百科文庫)もここに加えたかったが、火事のあと処分して未だ買い直してはいないこともあって、この度の読書計画に含めるのは諦めた。講談社文芸文庫を中心とした第二期の大トリでも務めてもらおうか、とただいま画策中。
 講談社文芸文庫といえば北条民雄と原民喜の全小説集が分厚い背表紙を見せて、書店の棚に並んでいます。これがまたタマラナイ。北条民雄は婚約者を亡くした直後ぐらいに読んだけれど、さすがに辛くて表題作1編だけ読んで放り投げた。北条民雄の小説で描かれる死の透明な姿に言い難い拒絶反応を起こしたのだ。序でに、古本屋で買ったそれは角川文庫版で活字が小さく、おまけに所々印刷が薄れて、読み疲れてしまうことも手伝って。その後創元ライブラリから上下巻で『定本 北条民雄全集』が刊行されたけれど、逡巡した後に購入を見送り、現在に至っている。講談社文芸文庫から刊行されている『北条民雄小説随筆書簡集』は、その創元ライブラリ版を合本化したもの。すくなくとも文学好きなら、読書家を自認するなら、北条民雄も原民喜も読んでみてほしいな、好むと好まざるとにかかわらず問答無用で、というのが本音。
 問答無用といえば、本気で趣味;読書というならばこれぐらいは読んでおけ! という一群の書物があって然るべきと思うのだ──という書き出しで始まる段落がここで出現するはずだったのだが、途中まで書いてわれながら笑っちゃう程に破綻してしまったので、躊躇いなく破棄をした。えへ。
 嗚呼、しかしいったい志賀直哉のどこがそれ程までにすばらしく、人を惹きつけて止まぬというのだろう。今度同僚に訊いてみよう。◆

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