第2183日目 〈もうすぐ春ですね。ちょっと旅してみませんか♪ そう、金沢とかね!〉 [日々の思い・独り言]

 鬼やらいを済ませて迎えた今日立春、Twitterを見ていたら嬉しいニュースが。来週1週間は春を感じさせる陽気になる、という。暖冬は困りものだが、暦の上ではもはや春。その訪れを待つ心はもう隠さなくてもいいだろう。が、そのまま徐々に春へ向かってゆくのか、或いは、それはぬか喜びで(例によって例の如く)そのあとには厳しい寒さが待ち構えているのか、そこまではわからぬ。さりながら春の訪れを楽しみにする時機の到来であるのは、何人と雖も否定できぬ事実だろう。
 次の季節の足音が近附いてくるのが聞こえると、気分がそぞろ立ってあれこれ予定を立ててしまう。わたくしの場合、旅行の予定を立てるのが専らなのだけれど、行き先がどこであれ、かの地のガイドブックの類に囲まれて名所旧跡へ足を運び、歴史や文化を吸収し、どこを回ろうか、なにを食べようか、なにに触れようか、どんな宿へ泊まろうか、など、考えただけでワクワクしてくる。異境の空の下にいてかの地を歩む自分の姿を想像すると、まだ見ぬ未来に知らず熱い溜め息が零れてしまうのだ。
 芭蕉のような刻苦鍛錬、弥次喜多のような無軌道ぶりはさすがに自分には似合わぬし、範ともし難いが、ゆとりある旅であれ切羽詰まった旅であれ、すくなくとも上田秋成の如く古典や歴史、花鳥風月を途次徒然に思う、そうして家族ありきの慈しみに彩られた旅行をしたい。
 旅先で心動かされるのが、ガイドブックで紹介された風景の確認や諸所で味わう食事だけでは、あまりに侘しいではないか。わたくしは道の辺にひっそりと咲く野花の一つにだって感動したい。わたくしは全身で、五感をフルに使って旅行したい。旅先での見聞や都度都度自身のなかに湧きあがる感慨、感情の揺れ動きをいつまでも記憶して、すべての経験をわが内へ蓄えたい。わたくしにとって未だ旅は1年にそうそうあるものではない、大きなイヴェントであるのだから。
 今年の晩春は金沢へ。計画の域を出ていないが、そこは筆頭候補の地である。この文章を書く恐れを知らぬ愚か者は当初、初瀬に詣でたあと京都経由で北陸本線に乗って金沢へ入り、家族と合流しようと企んだのだが、仕事しているのと大差ない時間を電車に揺られて移動すると判明した以上、後ろ髪引かれる思いでこれを断念した。車中、暇を持て余すからではない。一人旅ならいざ知らず、家族旅行だからね。勝手気儘が許されていいものではない。加えていえば、電車の座席に長時間坐っていて、腰や背中にどれだけ負担がかかるかわからぬ恐怖感もある。この発言の大前提は、近鉄大阪線の長谷寺駅から北陸本線の金沢駅まで鈍行で、しかもずっと座席に坐っている、だ。頭のなかにお花畑が広がってると、こんな発想が当たり前のように出る。呵々。決して乗りテツではないし、鉄道ライターを気取るわけでもない、と表明しておく。
 いったい金沢でなにするの? まずは定番の観光地として兼六園と金沢城は見ておきたい。武家屋敷を左右に眺めて散策し、その一角にあるてふ武家屋敷跡野村家にて憩うてみたい。古都の町並みのなかで気持ち良く迷子になるもよかろう。浅野川や犀川縁に立って、様々な近代小説に登場した金沢を思うてみたい。タイミングが合えば石川県立能楽堂で演し物を鑑賞し、金沢市立能楽美術館が誇るコレクションをじっくり堪能しよう。
 とはいえ、わたくしの金沢旅行でいちばんのトピックは泉鏡花記念館である。<金沢の3大文豪>として他にも徳田秋聲、室生犀星がいて、それぞれに記念館があるけれど、わたくしにとって一等に行きたい場所は鏡花所縁のこの施設だ。高校生の頃から鏡花に親しみ、読み耽ってきたわたくしにとってそこはまさしく聖地エルサレム。リニューアル・オープン後の企画展の期間中に間に合うかはわからぬが、喜びもてそこを訪れるその日その時を、本当に金沢旅行するのか判然とせぬいまから心待ちにしているのは、われながら変な心地だけれど、小さな鏡花宗徒の呟き、望みとして斯く思うのだ。
 なにやら2泊3日ぐらいの日程では消化できそうもない雰囲気だが、そこはほれ、あれだ、取り敢えず行きたい所を列挙しただけで実際のスケジュールを組んでの話ではないから、いまは気にせぬがよろし。うむ。◆

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