第2218日目 〈フィリピの信徒への手紙第2章:〈キリストを模範とせよ〉、〈共に喜ぶ〉他with昨日と変わることのない3月11日を過ごそう。〉 [フィリピの信徒への手紙]

 フィリピの信徒への手紙第2章です。

 フィリ2:1-11〈キリストを模範とせよ〉
 もしもあなた方にキリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、慈しみ、憐れみがあるならば、皆同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてほしい。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。」(フィリ2:3-5)
 イエス・キリストも然り。キリストは神の身でありながらその身分に固執しなかった。自分を無にして、僕となり、人間の姿で現れて、へりくだり、十字架上の死に至るまで従順だったのです。いと素晴らしきかな、範とすべきかな。このキリストの行いのため、神はキリストを高く上げ、世界へあまねく知られる名を、あらゆる名に優って知られる名を与えたのでした。
 斯くして天上のもの、地上のもの、地下のものがその御名の前にひざまずき、すべてが口を揃えてキリストを主といい、父なる神を讃えるのであります。

 フィリ2:12-19〈共に喜ぶ〉
 わが愛するフィリピの人々よ。わたしが共にいないときは尚更従順でいてください。恐れ戦きつつ自分の救いを達成するよう努めてください。神はあなた方の内に在ってあなた方へ働きかけているのですから。
 「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」(フィリ2:14-16)
 あなた方が務めれば、わたしの労苦も報われる。わたしはそれをキリストの日に誇れることだろう。
 更に信仰に基づいてあなた方がいけにえをささげ、礼拝を行う際にわたしの血がそこへ注がれたとしても、わたしは喜びます。あなた方一同が喜ぶなら、共に喜びます。だからあなた方もわたし同様に喜びなさい。

 フィリ2:20-30〈テモテとエパフロディトを送る〉
 わたしはあなた方の様子が知りたい。そこでテモテをそちらへ遣わします。わたしと同じかそれ以上にあなた方を想うものがあるとすれば、それはテモテを措いて他にありません。テモテが如何なる人物か、あなた方はご存知でしょう。かれはわたしと共に福音へ仕えた者です。
 自分のことで見通しが付き次第、テモテをそちらへ派遣します。じきにわたしも主キリストによってそちらへ行くことでしょう。
 ところでわたしはエパフロディトをそちらへ帰さなくてはなりません。かれはあなた方によって、贈り物を携えてわたしのところへ遣わされてきました。エパフロディトはこちらで、「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭った」(フィリ2:30)。瀕死の重傷を負ったかれですが、いまは神の憐れみもあって回復しています。
 自分の病気があなた方に知られたことで、かれは面目なさそうにしています。心苦しく思うているようです。そうして、いまはとてもあなた方に会いたがっています。そんなこともあるので、わたしはかれをなるべく早急にあなた方の許へ帰そうと思います。きっとあなた方はエパフロディトとの再会を喜び、エパフロディトはあなた方との再会を喜ぶことでしょう。わたしも、淋しいですが喜びます。
 どうかかれを主に結ばれている者として歓迎し、かれのような人々を敬ってください。かれは──エパフロディトはわが兄弟、わが協力者というに留まらず、窮乏時のわが奉仕者であり、そうして戦友です。

 エパフロディトの人物像はよくわかりません。マケドニア州フィリピの出身であろうとは推測できますし、選ばれてパウロの許へ派遣されたということは教会の主立った人の内の1人、もしくはその信仰の篤さが皆から認められて敬愛される信徒だったのでしょうか。
 かれはキリストの業のため命を賭して活動し、瀕死の重傷を負った、といいます。特に記されてはおりませんが、フィリピからシリアのカイサリアまでの長旅(小アジア横断!)の疲れ癒えぬうちに福音宣教を始めて無理に無理を重ねて、結果倒れて寝こんでしまったのかもしれない。もしかすると、パウロがそうであったようにエパフロディトもユダヤ人の反対者や暴徒によって負傷したのかもしれない。
 どちらであったのか、或いはどちらでもなく別の理由によるのか、定かでないけれど、──すくなくとも本書簡が書かれた頃は命に別状ないことが判明し、幸いと順調に回復している様子。パウロがかれをフィリピへ帰す意向を示したということは、逆にいえばそれだけエパフロディトの体力が再度の長旅に耐えられるぐらいには戻ってきているわけだ。旅立ちの日が近附いていることがわかっているパウロの筆は、その文言と同じで淋しそうであります……。
 ──引用したフィリ2:3-5はイエスが説いた隣人愛をそのまま敷衍してゆけばこうなる、という見本、好例と申せましょうね。



 2度目の再婚を3月11日に行う友がいる。つまり3度目の結婚であるわけで、そのたび呼ばれるわれら友人一同は「そろそろ落ち着いてくれないかなぁ」と財布の中身と相談しつつぼやくわけだ。その友人から聞いた話。
 かれは、頼んでもいないのに結婚式でのスピーチを自ら買って出てきた職場の上司から、日取りが3月11日に決まっていることを伝えたその場で「君たちはなんて常識外れなんだ」と非難されたという。「日本中が東北を悼むべき日に祝い事なんて以ての外じゃないのかな。せめて他の日に変更したまえよ。ぼくは式には出ないよ」
 聞いて呆れるとはこのことだ。ならば1月17日にはなにを思うか。この日、阪神地方も未曾有の被害を受けたんだ。津波も原発もなかったけれど、だから<1.17>が人々の脳裏から霞んでいいわけではない。
 <3.11>を風化させてはならない、とは叫ぶものの、自分自身の記憶も風化しつつあることを否定はできない。今年の3月11日は震災から5年の節目の時。この日が近附くとなにやら思い出したように被災地の、草の根レベルの情報が取り挙げられ、種々の催しや活動を取材しては「忘れてはいけない記憶ですね」と耳当たりのいいコメントがセットでお茶の間に流される。が、その日が過ぎるとそれらの活動がメディアで報じられることは殆どなくなってしまう。
 記憶は語り継がなくてはならない。震災遺構は次の世代も交えて残すか取り壊すか決めるべきだし、震災復興にまつわる様々な事業への助演金は減額されることはあっても打ち切るべきではない。こうした活動や支援が記憶の風化を阻む礎となろうし、収集・整理された記録が震災を知らない世代へ渡されることこそが風化を留める堤防となる。
 でも、われらはあの日を普通に迎えて、生活するべきなのである。われらは<3.11>を前にすると冷静でいられなくなるようだ。正直なところ、あまりに過敏、あまりに過剰という気がしている。<3.11>だからとて、なににつけ厳に自粛するというのは方向が間違っている。冒頭の「祝い事は慎め」など言語道断、ならばその日が誕生日や結婚記念日だとかいう人に対しては、事前に済ませておくか、事後に行え、とでもいうのか。そんなことされて、被災地の人は喜ぶか? 被災地の人はそれを望んでいるか? 普通に生活すること、それがいちばん大事なんだ。
 <3.11>ゆえに祝い事を慎め、慶賀は自粛しろ、という人々よ。あなた方は<1.17>を自粛して生きているかい? <3.11>はダメで<9.11>はいいのかい? <9.11>。これ、外国の惨事というたかて、あすこには日本人犠牲者もいたんやで。わたくしも目の前であの惨事を経験し、知人2名を亡くした。海の向こうで犠牲になった人は悼まなくてもよし、国内の天災・人災で亡くなった人たちばかりを悼め? なんたる傲慢、なんたる驕り、なんたる自己中。
 むろん、震災で亡くなった方々、家族を失った方々、原発で避難を余儀なくされた方々へ手向けるべき言葉はたくさんある。が、それは直接その方々へ向けて発信すればいいこと。<3.11>ゆえに結婚式は控えろ、なんていわれちゃったんだよね、とぼやいた友人の言葉に日頃の思いが一気に固まったので、今日はそのことについて書いてみた。
 悼む気持ちは持とう。あの日を忘れるな。されど静かに、穏やかに、あくまで平常に過ごそう。1年365日あるうちの、昨日と変わることのない3月11日を過ごそう。◆

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