第2248日目 〈テサロニケの信徒への手紙・二第1章:〈挨拶〉&〈キリスト来臨と裁き〉with今年も夏蜜柑を収穫しました。〉 [テサロニケの信徒への手紙 二]

 テサロニケの信徒への手紙・二第1章です。

 二テサ1:1-2〈挨拶〉
 わたしパウロとシルワノ、テモテからテサロニケ教会のあなた方へ。父なる神と主キリストにより恵みと平和がありますように。

 二テサ1:3-12〈キリスト来臨と裁き〉
 われらはいつも、あなた方のことを神に感謝しています。あなた方の信仰が日増しに成長してゆき、お互いに1人1人の愛があなた方全員の間で豊かになっているからです。ゆえにわれらは神の諸教会の間であなた方を誇ることができているのです。これ即ち神の国に相応しい存在としてあなた方を選んだ神の判断が正しかったことを示しています。神は正しいことを行うのです。
 「あなたがたを苦しめている者には、苦しみをもって報い、また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。」(二テサ1:6-7)
 神はわれらに休息を以て報いてくれる、主イエス・キリストが天使たちを率いて、燃え盛る火ののなかを通って天から来る時に。
 が、地上に在るのは神を、主を信じる人々ばかりではありません。では、信じない者たちはどうなるのでしょう。やはり救われる? 否、──
 「神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう。」(二テサ1:8-9)
 キリスト再臨の日、主はすべての聖なる人々から崇められ、信じる人々の間で誉め讃えられます。あなた方も──主を信じる限り──その一員となるのです。そうなれるよう、われらはいつも祈っています。
 どうかわれらの神があなた方をその招きに相応しい者としてくれますように。どうかわれらの神がその御力で以て善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就してくれますように。──神と主キリストの恵みによってあなた方の間でイエスの名が崇められ、また、主により誉れを受けることができますように。

 その信仰を失うことがありませんように。パウロの願いはその一点に集約されます。どんな苦難や逆境のなかにあったとしても、信仰と希望と愛、それを持ち、互いの間で行われているならば、主の日の訪れに際してあなた方には休息が与えられ、神の国に入るに相応しいと選別されるのだ。本章に於けるパウロのメッセージはだいたいそんな風に要約できましょう。
 「来臨」と「再臨」の使い分けについて、一言。
 復活したイエスが主の日(裁きの日)に訪れる──新共同訳を始めとする日本語の新約聖書はそれを「来臨」と訳し、本ブログでは「再臨」と記します。福音書で描かれたイエスの公生涯こそむしろ「来臨」であろうと思うていたので敢えて「再臨」と書いていたのですが、調べてみたところ、ギリシア語でそれに相当する単語は「パルーシア」というがそこに「到来」とか「出現」などの意味はあっても「再び」というニュアンスは含まれない由。為に今日読める新約聖書にて該当箇所は「再臨」ではなく「来臨」と訳されているそうです。
 一方本ブログでそれを「再臨」と記すのは、ここが聖書翻訳の場ではなく、あくまでノートという立場を取っているから。主の日にイエスが再び地上に臨むので、「再臨」とするのはけっして誤りではないでしょう。



 樹齢どれぐらいなのかわかりませんが、わたくしが生まれる前から庭の一角にある夏蜜柑の木。初春の頃に寒い日が続いたので実りが心配だったのですが、今年も推定50個以上の夏蜜柑を恵んでくれました。
 2連休最終日の今日(昨日ですか)、高枝切り鋏と脚立とノコギリを駆使して昼過ぎから剪定ついでに収穫。けっこうな勢いで地上に落下しても、やはり夏蜜柑の皮は厚くて丈夫です。ぱっかりと割れるなんて軟弱な実は1個もありませんでした。でも、先に獲ってガレージへ並べておいた実にくっ付いたままの枝が、落下の拍子に刺さって側面部分に穴が開いた、というのは2個ばかりありましたが。
 小一時間をかけて収穫した夏蜜柑は全部でちょうど40個。皮の表面や実がぶよぶよしていないか、などをチェックして、さっそく4個を選んで果肉は砂糖漬けにして戴くことに。表皮は刻んでネットに入れてミカン風呂。でも今回は、ピールやマドレーヌにもする化けてもらおうと企んでいます。
 自分の家の庭で獲れたものでこのような楽しみを得られるのは、しあわせです。◆

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