第2263日目 〈「テトスへの手紙」前夜〉 [テトスへの手紙]

 パウロは最初のローマ監禁から釈放された後、故郷タルソスやシリアのカイサリアがある小アジア−シリア・パレスティナへ戻ったらしいのです。その途次立ち寄ったクレタ島でも宣教に努めたが、達成を見届けぬうちにそこを離れざるを得なかった様子。そこでパウロは随伴者としてかれに従っていたテトスをクレタ島に残して後事を託しました。テトスはといえばパウロの意をよく汲み、キリスト者の集団を組織して教会を建て、島内の町村に在って信徒たちの束ね役となる長老たちを育成していたようであります。クレタ島についてはまた明日、「テトスへの手紙」第1章にて触れましょう。
 わたくしは以前、「一テモ」前夜にてパウロが最初のローマ監禁から釈放されたのは63年頃とされる、と書きました。本書簡がその後に書かれたのは勿論ですけれど、具体的に時期を特定するのは難しそう。最晩年、67年頃の作物とされる手紙「テモテへの手紙 二」の数ヶ月前までには書かれていたであろう、というが精々であります。せめてパウロがアカイア州西部沿岸の町ニコポリスに滞在していた時期の手掛かりがあればいいのですが……。
 本書簡の執筆された場所としては、テトスに来訪を所望し、冬の間過ごすと報告しているこのニコポリスをまず候補とするのが自然なようであります。他に候補地として挙げられる場所もありましょうが、それでもニコポリスを論外と退けることはできない、と思います。
 「テトスへの手紙」は全3章46節から成る短い手紙で、〈パウロ書簡〉最後から2番目のもの。ここでパウロがテトスに与えた助言は、信仰に反対の立場を取る者たちへの対処法であります。そうして、それと対になるかのように、語るべき健全な教えと善行の奨めを説いております。分量のせいもありましょうが、一読して躓く点のない、首肯するところの多い手紙といえましょう。
 最後に、本書簡を読んでわたくしがいちばん感銘を受け、心に響いた言葉を。曰く、──
 「あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教えるときには、清廉で品位を保ち、非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者は、わたしたちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう。」(テト2:7-8)
 それでは明日から1日1章の原則で、「テトスへの手紙」を読んでゆきましょう。◆

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