第2290日目 〈夢物語を綴る。〉 [日々の思い・独り言]

 生まれ故郷での生活に倦くんだら従来の予定通り、伊豆へ生活の拠点を移すつもりだ。生田先生の言を借りれば、好かぬ奴の顔は見ず、寝覚めれば手酌で一杯きこしめし、吉田健一みたいに朝から始めて翌る朝まで呑み続け、そうして庭を眺めて、夜になったり朝になったり忙しいもんだね、とうそぶくのだ。生活に変化が欲しければ百鬼園先生に倣って阿房列車の旅に出ればよい。全国を彷徨ってなお生活の資を得られるなら、そうしたいものである。
 が、それは夢物語でしかない。かの先人たちを範とした生活はできない、と承知している。憧れは絵に描いた餅で、けっして手が届かない、触れてはならぬ世界のものだ。わたくしはむかしからその是なることを誰よりもはっきりと、誰よりもしっかりと認識している。
 とはいえ、生まれ故郷を去りし後は伊豆にてふ未来図は、ずいぶんとむかしから思い描いてることだ。年齢を重ねてまったく未知の土地に独り腰を降ろして根を張るのは、とっても不安の付き纏うことだ。ならば、わずかでも馴染みのある土地へ赴き、燻る心を懸命になだめて、世事の一切については背を向け耳を貸さず目をやりもせず、得たものの何一つないことに嗟嘆し、失ったもののあまりの大きさと多さを呪い、独りし死んでゆくのを望む。否、望む、とは正確ではない。わたくしにはそれ以外の未来が見えないのである。
 ──しかし、それこそ自分には実行できないことだ。そこまでの覚悟も勇気も度胸もない。そう、俺ってチキンだからさ。人生の万事に於いて弱虫なわたくしなのである──。
 とどのつまり、現状維持で生きてゆくしかないのだ。どうしても耐え難くなったら物書きや専業大家として独立して個人事業主となり、会社員であった頃の様々な楽しかりし一場面一場面を追想し、会社員であったことで得られた社会的信用や、毎月の定収入を始めとする、保証された最低限のセイフティー・ネットを失ったわが身の愚かさ、心細さを嗟嘆しながら、<自由>の旗の下に無軌道かつ放埒の毎日を過ごすより、他にない。勿論、腹を括ったわけではない。
 何だ彼だいうても、げに素晴らしきは宮仕えなるべし、なのだな。嗚呼!
 今回の旅行では北陸を訪れた。そこで生活する自分がいとも簡単に想像できてしまった。危ない。注意すべし。それでもわたくしは後ろ髪を引かれている。北陸の古都の妖しい輝きと深く馴染んだ闇の優しさに。斯様な夢物語を綴るのは、呆けた一瞬を狙って心の隙間を縫って訪れるかの街の誘いに抗い、逃れ、それでもなお惹かれる気持ちを鎮めるため。
 千反田える嬢の言葉を借りれば、どんな道を辿っても自分が帰り着くのは<ここ>、生まれ故郷と第二の故郷である。そう、<ここ>しかないのだ。それを自覚している自分と、自覚できていない自分がいる。どちらもわたくし自身、肉と血を持つわたくし自身だ。
 世人よ、喝采せよ。いま、喜劇の幕があがる。◆

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