第2292日目 〈ヤコブの手紙第1章:〈挨拶〉、〈信仰の知恵〉他with米澤穂信『遠回りする雛』読了。〉 [ヤコブの手紙]

 ヤコブの手紙第1章です。

 ヤコ1:1〈挨拶〉
 神とキリストの僕ヤコブから離散した12部族の人々へ、この手紙を送る。

 ヤコ1:2-8〈信仰の知恵〉
 試練に出会うことを喜びなさい。信仰が試されることで忍耐が生じる、とあなた方は御存知でいらっしゃいます。あくまで忍耐しなさい。そうすれば神に喜ばれる完全無欠な人になれます。
 知恵の欠けたる人があらば、その人のために神へ祈りなさい。さすれば神は与え給ふ。
 「いささかも疑わず、信仰を持って願いなさい。」(ヤコ1:6)
 疑う者は心が定らず、人生それ自体に安定を欠く人に他なりません。

 ヤコ1:9-11〈貧しい者と富んでいる者〉
 貧しき者らよ、やがて自分が高められることを誇れ。
 富める者らよ、やがて自分が低くされることを誇れ。なんとなれば、富める者は草花のように滅び去るから。富める者は人生の途中で消え去ってしまうのだから。

 ヤコ1:12-18〈試練と誘惑〉
 試練を耐え忍ぶ人こそ幸いなり。かれは適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠を戴くからです。
 神は何人も誘惑したりしません。何人からも誘惑されたりしません。「むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」(ヤコ1:14-15)
 良き贈り物、完全な賜物は皆、天から与えられます。というよりも、光の源である御父、即ち神から来ます。御父は御心のまま、御言葉によってわれらを生み、造られたものの初穂としたのです。

 ヤコ1:19-27〈神の言葉を聞いて実践する〉
 兄弟たちよ、わきまえていなさい。誰しも聞くのに早く、話すのに遅く、怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しない。あらゆる汚れやあらゆる怒りをすべて捨て去り、あなた方の心に植わって根を張っている御言葉を受け入れるのです。御言葉はあなた方を救います。
 どうか、「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。」(ヤコ1:22-23)
 鏡のなかのあなたは虚ろな影。御言葉を行わない人はその程度の存在です。が、自由をもたらす律法を一心に見つめ、守る人は、行う人です。その人はその行いゆえに幸せになれます。
 「自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。」(ヤコ1:26-27)

 昨日の〈前夜〉にて「ヤコブの手紙」は現実的実践的な面を強く押し出した手紙である、と申しました。それはこの第1章にてすべて提示されております(殊ヤコ1:26-27)。むしろ第2章以後は、第1章の各所で蒔かれた種──1つ1つの事柄、話題を注意深く育てあげ、大輪の花を咲かせた、という印象を抱くのであります。
 おそらく「ヤコブの手紙」第1章を読んでもよくわからない、という人は──勿論キリスト者でなくては到底わかり得ぬ、或いは感得できぬところはあると雖もそれを差し引いてなお、このあとを読み続けても雲を摑むような話ばかりで、5章から成る短い本書簡の読書中は道に迷うて途方に暮れるのがオチであるように思えます。
 では、わたくしのいわんとしていることはなにか──第1章をよく読んで次章へ進むのが最良にして唯一の方法である、という、それだけのこと。



 米澤穂信<古典部>シリーズ第4巻『遠回りする雛』(角川文庫)読了。雑誌掲載のみの単行本化されていないものも含めて、アニメ化されたエピソードはすべて原作小説で消化した。
 そんないま倩思うのは、アニメ版の方がややビターさは薄まっているね。たとえば「手作りチョコレート事件」。原作は右も左もどちらを見ても八方塞がりで、どうしようもないぐらいの息苦しさが読後に残ってしまうのだが、そこへゆくとアニメ版はラストでわずかなりとも救いが与えられるように改変/演出されていた。
 巻を閉じて思う、本書は素晴らしき短編集であった。ケメルマン「九マイルは遠すぎる」にじゅうぶん肩を並べ得ると思う「心当たりのある者は」。前述の、救い難さ漂う「手作りチョコレート事件」。ヒロインのいじましさと諦念、主人公の彼女に対する想いの発露が印象深い表題作「遠回りする雛」。
 どれもこれも甲乙付け難く、好き嫌いを決め難かった。既刊5冊のうち最後の『二人の距離の概算』は未読だけれど、それをさておいてもわたくしは本書がシリーズ随一の出来映えを誇る1冊と思う。作中の時期としては先行3冊の間へそれぞれ組みこまれるものであり、また季節も移り変わってゆくなかで登場人物たちの関係性も徐々に変わってくるのがわかる。それを楽しみに読んだのでもある。折木奉太郎と千反田えるの関係、福部聡と伊原摩耶花の関係。これが実にゆっくりと、だが望ましい方向へ変わってゆくのは、読者としても喜ばしい出来事なのである。
 本書のみでもじゅうぶん読書に耐えるが、どうせなら『氷菓』と『愚者のエンドロール』、『クドリャフカの順番』を先に読んでおくのが良い。各短編のなかでこれら3冊にかかわる描写も出て来るからであり、またそれが簡単というか無味乾燥な記述なので、それの背景を知っておくのはけっして無駄ではない。……と、最後にどこかで聞いたような読書ガイドめいた一段を添えて、擱筆。◆

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