第2336日目 〈アドルフ・ヒトラーの復活〉 [日々の思い・独り言]

 会社備え付けのロッカー1基、縦3列横4列内寸奥行き約40センチ高さ約……んんん50センチぐらい(てきと〜)が約13万円と知り、果たしてこのロッカー1基で月給に占める割合や如何に、と考えこみ、入社してから今月までの給料でいったい何基のロッカーが購入できたか、と皮算用し、企業向けロッカービジネスを心中密かに企み、1基の内1扉分が約1万円也かぁ、と嘆息した今宵のみくらさんさんかであります。
 野球帰りの人々でごった返すなかを縫うようにくぐり抜け、到着したいつものスターバックスで辛うじて最後の1席に坐れたと思うたら途端に睡魔に襲われ、寝覚めたら空席が目立つようになっている店内を目の当たりにして、すはトワイライト・ゾーンへ彷徨いこんだか、俺はヴィック・モローか、と刹那不安になった。ご存知の方もおられようか、そのときわたくしの脳裏にあったのは至極傲慢な男が戦時下のドイツに迷いこみ、SSにユダヤ人と間違われて執拗に追われる、という、スピルバーグ製作の映画版で栄えある第1話に選ばれた映画オリジナルの一編である。
 わたくしが初めてこのエピソードに触れたのは映画版の方でたしか高校生の頃、テレヴィの洋画番組であったと思うのだが、当時の自分にはこのエピソードが持つアイロニーなぞ当然わかるはずもなく、単に悪夢じみたそれとしか受け取れなかった。ナチスによるユダヤ人虐殺について細かい事柄を本や映画から仕入れたり、そこから派生して人権や人種差別などに関心の矛先が向くようになったのは、それからしばらくあとのことだったもの。もしわたくしがいまの時代に当時と同じ年頃であったなら、専ら都市部で行われた/行われているヘイト・スピーチなどここに重ね合わせていたことだろう。
 事程然様にこのエピソードは普遍性ある寓話だ。本当はいつの時代にも適用できる普遍性など持たない方がいいのかもしれないけれど、人類が存在して争い、諍い続ける以上はけっしてフィクションとはなり得ぬ性質のものである。
 映画版『トワイライト・ゾーン/超次元の体験』が呼び水となったのかもしれない、以後わたくしは今日に至るまで好むと好まざるとにかかわらず、ナチス・ドイツを扱った、或いはその時代を背景とした映画やドキュメンタリー番組、書物などに多く触れてゆくことになった──ヒトラー著『我が闘争』は言うに及ばず。映像作品では『夜と霧』と『縞模様のパジャマの少年』が双璧となるが、ここにこれまでとは一風変わった関連映画が封切られていることは既にご承知かもしれぬ。
 その映画、邦題を『帰ってきたヒトラー』という。原作は河出文庫より上下巻で発売中(ティムール・ヴェルメシュ/著、森内薫/訳)。自殺したはずのヒトラーがなんと21世紀ドイツに突然復活、どうにもちぐはぐな言動の末にモノマネ芸人としてブレイク、やがて遂に政界復帰を目指して活動を開始する……というストーリー。主演はブルーノ・ガンツよりもヒトラーらしい風貌のオリバー・マスッチ、監督・脚本はデヴィッド・ヴェンド。
 或る意味でこれはヒトラーを主人公にした数多の栄華の頂点を極めたものだ。「笑いと恐怖は紙一重」という言葉をこれ程的確に表現した映画とは、そう滅多にお目にかかれるものではない。どん詰まりの笑いはやがて窮極の薄ら寒さに取って代わる。◆

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