第2383日目 〈『ザ・ライジング』第1章 4/13〉 [小説 ザ・ライジング]

 灯油タンクを持って勝手口から物置へ、サンダルをつっかけて出た。タンクを置いて壁の柱にネジで止めてある電源スイッチを“入”にする。天井からぶらさがっている白熱灯が低いうなり声をあげ、周囲を照らした。いろいろな生活必需品にあふれて雑然としているが、こうした場所特有のほこりっぽさは感じられない。雨の日は洗濯物干し場にもなるせいかもしれなかった。
 自転車の隣に置いてある灯油の入ったポリタンクを、軽く持ちあげてみた。腕が、ピン、と張った。正直、少ししびれた。まだだいぶ中にあるようだ。もっと給油していたような気がするんだけど……。まあ、いいか。
 灯油タンクを両手で摑み、ひっくり返した。取っ手を下に、キャップ部分を上に。カラーボックスの中に放りこんであったポリエチレン製の手袋を両手にはめる。
 えーっと、吸い上げ器は、と……。
 キョロキョロ左右を見回して、目当てのものがカラーボックスの陰にあるのを発見した。手を伸ばして、なんとか引き寄せた。二つのタンクのキャップをはずし、吸い上げ器の筒の方をポリタンクに、鍔が引っかかるまで差し入れ、半透明の蛇腹の先を灯油タンクに入れた。
 吸い上げ器のボタンを切り替えると、ゴボッゴボッ、と灯油を汲みあげる鈍い音がポリタンクの底の方から聞こえてきた。しばらく経つと、給油タンクのインジケーターは緑色に埋まりかけている。もうすぐ満タンになる……すべて緑一色……満タンになった。希美は両方のタンクのキャップを閉め、特にこれからストーブへ入れる灯油タンクの方は念入りにキャップをひねった。これでよし、と頷くと希美は立ちあがり、ポリタンクと吸い上げ器を元あった場所に戻し(吸い上げ器はティッシュペーパーと古新聞誌で口を拭いてから)、二ヶ所ある出入り口の鍵が掛かっているのを確かめた。
 その途端、背筋が急に寒くなった。肩も思わず震え、持っていた灯油タンクを落としそうになる――が、それはかろうじて免れた。明日はこの冬いちばんの冷えこみになるでしょう、と昨夜のニュースで気象予報官がいっていたのを思い出した。冬が終わってもいないのに、なんで「この冬いちばん」なんて断言するんだろう、なんで素直に「今年いちばん」っていわないのかな、と疑問に感じたのも一緒に。別にいいけどさ、あまり信じてないし。そんなことはどうでもいいや、早く中に入ろう、っと。希美は物置の電気を消し、勝手口から台所を抜けて、居間へ足を戻った。
 灯油タンクを入れ、レバーを押しさげる。ピーッ、パチパチパチパチ。炎が青くゆらめき、やがてオレンジ色に変化した。具合を調節しているうちに炎は安定し、静かに燃えさかっている。
 それを見届けると、しばらく両手をかざし、目をつむった。目蓋の裏は初めこそ真っ暗だったが、いつしか炎の色に染まった。溶鉱炉っていうのもこんな感じなのだろうか。目をつむっても、火の色が見える。焼かれるって、こんな感じなのかな……。欠伸が出た。二度、三度と続けて。このままこうしていたら――あまりの暖かさにうつらうつらして意識が遠のき、眠ってしまう。挙げ句の果てに……前のめりに倒れてストーブに抱きつき、服が火に燃え移って私は火だるま。
 耳許で鐘の音がした。ゴーン! ごーん! ゴーン! ごーん! ゴーン! ごーん!ゴーン! ごーん! ゴーン!
 思わず目が覚めた。背中が少し痛い。いまの鐘の音はなんだったんだろう。私の幻聴?いや、それは違った。希美の耳の置くに余韻が残っているばかりでなく、居間にその音色の残響はあった。
 生まれる前からある古い壁時計を見あげて、ようやく合点がいった。九時だった。
 そうか、時計だったんだ。それにしても、もう九時か。
 こんなことをしている場合じゃない。ご飯とお風呂だ。
 希美はよいしょ、と腰をあげると、浴室に向かい、お湯の量を確かめると湯沸かしのタイマーを二〇分にセットして台所へ行き、遅い夕食の支度に取りかかった。□

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